ヤムライハと赤魔導士
 遠くで鐘の音が聞こえ、ヤムライハは顔を上げた。窓から見える太陽は真上からやや西に傾いている。いつの間にか昼食の時間が過ぎていた。朝から魔法の研究に没頭していたヤムライハは一気に空腹を感じた。そういえば朝御飯もろくに食べていない。
 今から食堂に行って軽く焼き菓子か何かを食べても良いのだが、何だかそれも面倒な気がした。まあいいか、ご飯の一食や二食くらい。もうすぐ新しい魔法が完成しそうなのだ。これはきっとシンドリアの新たなる発展に繋がるはず。ヤムライハは伸びをして固まった体を解し、再び研究に取りかかろうとペンを握った。
 ちょうどその時、部屋の扉がノックされた。誰だろうかと怪訝に思いながらも「どうぞ」と答えると、長身の男性が部屋に入ってきた。シンドリアの官服に身を包んだ彼は卓上に置かれている資料の山を見て苦笑いを浮かべた。

「相変わらずだなヤムライハ。少しくらい休憩したらどうだ」
「新しい魔法の完成までもうちょっとなの。あと一回実験に成功したら休憩するわ」
「新しい魔法?」
「ええ。音魔法の可能性を最大に生かした素晴らしい魔法よ」

 へえ、と彼は興味の色を示す。それに気を良くしたヤムライハは少し胸を反らして語りだした。

「音魔法は特定の振動数を発生させて物を破壊させることが出来るけれど、それなら力魔法でも出来るでしょ?音魔法特有の効果は何か……それを考えてみたの」
「確かに音魔法は需要が無い気がするな。で、その効果ってのは見つかったのか?」
「多分ね。まだ私の推測に過ぎないのだけれど」

 音魔法は他の魔法と組み合わせて使用される場合が多い。恐らく音魔法は他の魔法の力を最大限にまで引き出せる効果があるのだ。たとえば熱魔法と併用すると、通常よりも少ない魔力でより強力な熱を発することが出来る。この原理を応用すれば、最強の魔法を生み出すことが出来るはず……頬に熱を溜めながらヤムライハは説明を終えた。

「なるほどなあ。6型魔導士だけじゃなく他の型の魔導士にもメリットがあるのか」
「ええ。ナマエの熱魔法にもきっと効果が出るはずだわ」

 ナマエはマグノシュタット出身の赤魔導士だ。優秀なシンドリアの貢献者でありヤムライハの良き理解者でもある。ナマエは興味深そうに資料を眺め、ふと何かを思い出したように顔を上げた。

「そういやヤムライハ、お前飯食ったか?」
「いいえ、まだよ」
「そうだろうと思った。じゃあさ、俺と一緒に市場に行って何か食わないか?」

 思わぬ誘いにヤムライハは目を丸くしたが、無意識のうちに頷いてしまった。先ほどまで食堂に行くことすら億劫だと感じていたのに。
 「よし、行こうぜ!」とナマエはヤムライハの手首を掴み、王宮の外へと飛び出した。


 色とりどりの果実や新鮮な魚を並べた賑やかな店が連なり、行き交う人々は笑顔をたたえている。何処からか肉の焼ける香ばしい匂いが漂ってきたり、甘い焼き菓子の匂いが鼻腔を擽ったり。二人は民衆達と軽く挨拶を交わしながら、昼食になりそうなものを物色した。
 シンドリア名物のアバレヤリイカの燻製やバルバット産エウメラ鯛のバター焼きで腹を満たした後、散歩がてらにぷらぷらと市場を散策していると、ナマエが織物や装飾品が置かれている店の前で足を止めた。

「どうしたの?」
「ヤムライハはこういう綺麗なものに興味はないのか?」
「……そうね、あまりないわ。装飾品なら私の魔法道具で十分だもの」

 唯一の装飾品といえば巻き貝を模した耳飾りだったが、実際これも魔力蓄蔵装置だ。魔法道具以外の装飾品を身につけたって戦いの邪魔にしかならない。服や飾りに使う金があるのなら薬草や実験器具に回したい。
 そういった女性らしからぬ発想をするヤムライハにナマエは苦笑を溢し、店に置かれていた一つの首飾りを手に取った。

「じゃあ俺がこの首飾りをヤムライハにプレゼントする。それなら良いだろ?」

 少しは女性らしくしないとな、とナマエは微笑み、ヤムライハの後ろに回って首飾りをつけてくれた。繊細な装飾が施された美しい首飾りだ。こんな高価なものを貰うわけにはいかないとヤムライハは慌てて遠慮の言葉を挟もうとしたが、既にナマエは店主に銀貨を渡していた。

「こんな高価なものを理由もなしに貰うなんて悪いわ。私も何かお礼をしないと」
「そんなのいらねーよ。俺が好きで買ったんだし。それにお礼ならもう貰ってる」
「……?」
「首飾りをつけているヤムライハの姿が俺にとっちゃご褒美さ」

 ナマエの言葉が頭に登るまで数秒かかり、妙な間を空けてヤムライハはボンと音がしそうなほど顔が熱くなった。どうしてこの男はこんな口説き文句を平然と言ってのけるのだろう。恐らく本人は格好つける気なんて微塵もないだろうが、端整な顔立ちのナマエに言われるとその言葉を真に受けてしまう。

「……勘違いしちゃうじゃない、馬鹿」

 先を歩くナマエの背中にそう呟いた。「何か言ったか?」と呑気に笑って振り返る彼にヤムライハは首を横に振る。
 相手がどう考えているかなんてわからない。だけど……。

 いつかこの気持ちを伝えられたらいいな、なんて。


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