第24話

 静かな場所だった。暗くて、とてつもなく広い空間。その中に落ちる一筋の光に手を伸ばせば、青白い光に照らされた道が浮かび上がった。秋はその道に沿って歩き始める。
 自分の足音でさえも静寂が包み込み、無にしていく。何も見えない。何も聞こえない。だけど少し、懐かしい匂いがした。
 道は二本に分かれていた。どちらに進むべきか秋は迷ったが、一方の道へ自然と足が向いた。
 突如熱風が襲いかかり、秋の髪を煽った。煙の臭いが鼻をつく。静寂は一瞬にして崩れ、一面は赤に埋まった。炎が地面を舐め尽くし、真っ暗だった空間を緋色に染め上げている。聞き取れるのは炎の音と悲鳴、呻き声、怒号。

 秋が辺りを見回した時、それらとは違った声が微かに聞こえた。切迫した、けれども玲瓏とした聞き覚えのある声。それが秋の名を呼んでいた。何度も何度も、繰り返し……。


「――秋!」
「っ!?」

 秋は目を覚ました。全身が汗で濡れており、外気に触れた肌がひやりと冷たさを感じ取る。秀眉を顰めて此方を覗き込む夫の顔に秋は安堵を覚えた。

「大丈夫か?随分と魘されていたぞ」
「はい。……ちょっと、疲れちゃったみたいで」

 此処には真っ暗な空間も炎もない。広々とした西洋式の部屋だ。あの声は自分を起こす白雄のものだったのかも、と秋はぼんやり思考しながら寝台から抜けた。
 レームに滞在して一週間が経つ。西洋の暮らしにも大分慣れてきたが、やはり異国の寝台で寝ると無駄な力が入ってしまう。軽く伸びをして固くなった体を解し、秋は外の景色を眺めた。
 精巧に造られた建物がずらりと並び、奥には最高司祭がいる神殿が聳えている。この国はマグノシュタットに矛を向けるとシェヘラザードは言っていた。彼女が望むのは単なる領土拡大ではなく、憐れなマグノシュタットの民を救うこと。その気持ちに偽りはないだろう。

(だけど、なあ……)

 秋にはその言葉が建前に聞こえた。マギはこの世界の秩序を超越した特別な存在であり、人間の常識を越えた膨大な知識と志向を兼ね揃えている。ならば何故、そんなにもマグノシュタットと戦いたがるのだろうか。マギならばもっと別の方法を見つけ出せるはずだ。誰も傷つけず、平和になる方法を。
 ――そうか、あの夢は……。

「皇子!私ちょっと最高司祭の所に行ってきます!」
「ああ、行って来い……ってちょっと待て。突然何を言い出すんだ」
「昔から言うでしょう、長春は蕾のうちに摘めって」
「そんなこと昔から言わないしそもそも答えになっていない」
「ともかく私は行かないといけないんです!」

 白雄の制止を振り切って秋は飛び出した。この国は……この世界は、誤った道に進んでいるわけじゃない。運命に沿って歩みを進めているだけ。だけど、止めなくては。世界が滅びてしまう前に。



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