出会った時からその人物は、此方の顔ばかり見てきた。いや、顔と言うよりはその少し上……恐らく頭の「角」を見ているのだろう。 着ているのは控えめな装飾の着物。煌の人間だろうか。年齢は二十歳くらいだろうが、その瞳はきらきらと幼い少女のような輝きを持っていた。
「……あの」
遠慮がちに声を掛けると、女性はハッと目を丸くして目線を「角」から逸らした。
「ごめんなさい!気になって、つい……」 「いや、いいんですけど……」
見たところ護衛らしき人物は見当たらない。身形からして身分の高い人間のようだが一人で大丈夫なのだろうか。そんな心配を他所に、女性はやや興奮した面持ちでアリババの腰にある鞘に目をやった。
「もしかして剣闘士さんですか?」
その双眸が蔑みを含んだものではなく、寧ろ好奇心で輝いていることにアリババは驚いた。大概剣闘士と言えば奴隷のような扱いをされる剣奴が大半で、貴族の人々はそういった類いの人間を疎んでいる。彼女もその一人で、どうせ冷笑を浴びせる為にわざわざ話し掛けたのだろうと予測していた。ところが女性はそういった素振りを一切見せない。見たところ彼女は煌出身のようだから、レームの価値観に疎いのだろうか。 アリババがぎこちなく頷くと、女性はわあっと歓声を上げた。
「本物の剣闘士の方と話せるなんて……その左腕の傷も猛獣と戦う時に負ったものですよね。うわ〜格好いい!」
絶賛の言葉を一気に捲し立てる彼女に些か圧倒されたが、悪い気はしなかった。褒められたことを素直に受け止めるのがアリババの性格、「そんなことないですよ〜」なんて口先では謙遜しつつも顔は照れ笑いで緩んでいた。
「アリババくーん、久々に手合わせしないかー」
背後から飛んできた声に二人は振り返った。赤い長髪を揺らして此方に向かって来るのは……。
「ムーさん!それにミュロンさん、ロゥロゥさんも……」 「やあアリババくん。……おや、そちらの貴婦人は?」
レームの貴公子の名に恥じない紳士的な笑みを女性に向ける。一気に三人のファナリスを目にした為か女性は目を白黒させていたが、すぐに友好的な笑顔と共に手を胸の前で組んだ。洗練された煌式の敬礼だ。
「煌帝国皇太子妃、秋と申します」 「こっ、皇太子妃!?」
想像以上に高貴な人間であったことに驚き、アリババは素っ頓狂な声を上げた。装飾品から推定出来なくもなかったことだろうが、まさか剣闘士のような身分の人間に敬語を使うような女性が皇族だったとは予想外だった。 一方ムーは元から秋が来ることを知っていたようで、驚きは一切顔に出ていなかった。「なるほど、貴女が皇太子妃殿下でしたか」と目を柔らかく細め、レーム式の敬礼をした。
「私はファナリス兵団長、ムー・アレキウスと申します。そして此方が妹であり団員のミュロン、それにロゥロゥです」
ムーに習って二人も軽く頭を下げる。ファナリスを前に秋の目には再び興味の色が浮かんでいた。
「ファナリス兵団……!話には聞いていましたが、まさかお会い出来るなんて……」 「私も秋様に会えて光栄です。宜しければ兵団の修練場を見学なさいますか?」 「良いんですか?」 「ええ、もちろん。貴女様のような美しい女性なら大歓迎です」
ムーは秋と流暢にやり取りをしていたが、後ろにいるロゥロゥは畏まっていることが性に合わないのか、うずうずと体を揺らしていた。ミュロンが秋から死角になるところでロゥロゥの背中を小突く。 そのまま一同はファナリス兵団の修練場に向かうことになった。アリババも成り行きで何となく着いて行く。その間にも、皇太子妃様の前なんだから礼儀正しくしろ、お前は考えすぎなんだよミュロン、兄さんの面子を潰したくないのだ、それだと俺がまるで野蛮人みたいじゃねえか……といった小競り合いがミュロンとロゥロゥの間で続いていた。
修練場に足を踏み入れるのはアリババ自身も初めてだった。男性、女性、子供……年齢や性別は様々だが、修練場にいるのは皆揃って赤髪だった。帰ってくるなり団員達はムーを取り囲むように駆け寄り、お帰りなさいと口々に出迎えた。ムーが秋を紹介するとアリババ同様目を見開いていたが、秋の友好的な態度からかすぐに打ち解けていた。 ふいに、団員の一人である少年が興味深げに秋の姿を眺め、
「お姉さんは力持ちなの?」
などと突拍子もないことを言い出した。 どう考えてもこの細い身体で力があるとは思えない。皇太子妃殿下に向かって無礼だろうとムーも少年を窘めかけたが、驚くことに秋は笑顔で頷いた。
「はい。こう見えて体技には結構自身があります」 「へえ〜、ならいっちょ俺を投げ飛ばしてみますか?」
燻っていた闘争心に火が点いたのか、ロゥロゥはやや挑戦的な態度で秋の前に立った。すかさずミュロンが睨み付ける。 秋は無礼とも取れるロゥロゥの態度を意に介さず、寧ろ楽しげに口角を上げた。
「良いんですね?」
躊躇うことなくロゥロゥの腕を掴み、そのまま即座に身を低くしてロゥロゥの腹の下に潜り込んだ。一瞬、巨体が宙に浮く。それから正常な重力に従ってロゥロゥは腰から地面に投げ落とされた。重い音が修練場に響く。
「……え」
思わず声が漏れた。あり得ない。あんな細腕で、あんな動きにくそうな服で、自分の数倍もある大男をあっさりと投げ飛ばすなんて。それに加えて相手はファナリス。華奢に見えるが、実は相当な腕力の持ち主なのだろうか。 アリババが思わず凝視すると、その視線に気づいた秋は得意げに微笑んだ。
「相手の力を利用して投げ飛ばす技です。決して私が馬鹿力なわけでは……なくもないですが」 「……お……おう……」
驚きのあまりアリババは素の言葉遣いで頷いた。こんな人がいる国を敵に回して良いのだろうか。勝てる気がしない。 呆然と立ち尽くす皆の中で、ムーは一人、鋭い眼光を落としていた。
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