第20話

煌の空気は秋にとって少し肌寒く感じられるものだった。シンドリアのように心踊らせる色鮮やかな風景も悪くはないが、やはり煌育ちの人間は落ち着いた煌の雰囲気を好む傾向にある。それは秋とて同じことだ。数週間ぶりの故郷の景色を秋は暫しの間穏やかな気持ちで眺めていた。

それから宮殿に着くと、部下達が一斉に頭を下げ皇太子妃の帰還を盛大に祝した。部下の代表が祝辞を述べ終えたちょうどその時、突如秋の視界がぶれた。腰に回されている腕に気付き、誰かが後ろから抱きついているんだと理解するのにそう時間はかからなかった。華奢な腕と人懐っこい仕草から大体その人物は予想がついたが、敢えて秋は少し首を回して相手の姿を確認した。

「ただいま、紅覇皇子」
「……秋がいない間、寂しかったんだからぁ」

むう、と頬を膨らます18歳とは思えないほど愛らしい少年。秋は思わず紅覇の頭を撫でたくなった。無論、そんなことをすれば「髪が乱れる」と言って嫌がるだろうが。

暫く紅覇と近況やらを話していると、秋の耳に布擦れの音が飛び込んできた。はっとそちらを向き、秋は目を見開く。やがてその表情はゆっくりと嬉々に満ちたものへと変わり、秋は彼に駆け寄った。

「ただいま」
「……おかえり」

心地よい声が秋の耳元で囁かれた。腰に回される腕は紅覇よりもしっかりとしていて、胸板に身を委ねれば白雄の体温が伝わってきた。免冠の旒が邪魔で周りからはあまり白雄の表情が読み取れないようだが、秋には彼が柔らかく目を細めていることがはっきりとわかった。

「大丈夫だったか?」
「はい。白雄皇子こそ、体調を崩したりしていませんか?」
「あぁ。……帰ってきた直後に悪いが、少し話がある。ついてきてくれ」
「え、あ、でも……」

ちらりと紅覇に目をやると、肩を竦めた彼は「行っておいで」と苦笑を交えていた。秋は頷き、背を向けた白雄の後についていった。

無駄に豪勢な装飾品のお蔭で、二人が歩く廊下には金属同士が当たるような軽い音がちゃりちゃりと鳴っていた。部屋に着く間二人は他愛もない会話をしていたのだが、秋はふと向こうから歩いてくる懐かしい影に気づいた。相手も秋の視線に気付いたようで、相変わらず真意の読めない笑顔を浮かべながら此方に歩み寄ってきた。

「やあ秋。今日は随分と綺麗な格好をしているね」
「お久しぶりです悠殿。……というか今の時間帯、文官は仕事があるんじゃ……」
「ん〜、まあ息抜きって所かな。城下町に行って糖分補給でもしようかとね」
「つまりサボりでしょう。よく言えますね、皇子がいる前で」
「僕のこと、言いつけたりする?白雄皇子」
「お前が糖分補給を終えた後、真っ直ぐ仕事場に戻って働くなら考えてやってもいい」
「……それはちょっと無理かな。言い付けてもいいよ。僕は徹底的に逃げるからさ」

冗談めかして笑う悠に、白雄と秋は呆れつつもまあいつものことだなと微笑した。敬語を使わないのは彼の性格上歪められないことであって、決して悪気があるわけではない。

悠と秋は幼馴染みだ。ただ秋自身記憶を失っており、彼が本当に幼馴染みであるかと聞かれればはっきりとした答えは返せない。だがいくら秋が過去を知りたがっても、悠は何故かその話を口にしたがらなかった。

「……いいかい秋。この世界は美しく、酷く悲しいものだ。それは時には素晴らしい光に満ちた光景を、時には残酷な闇が渦巻く光景を生み出す。もし僕が君に全てを話せば、君はこの世界を恨むだろう。もしかすると君自身の運命さえも。だから僕は話さない。君は優しい人だから」

一度しつこく尋ねた時に、悠は謎めいた言葉を切なげに語っていたのを思い出した。それ以降秋は自身のことを悠に聞いていない。もうこれ以上聞くな、そう彼の目が語っていたから。

「……僕、そろそろ行くね。早く行かないとお菓子が売り切れちゃうから」
「夕食までには戻って来るんだぞ」
「うん!じゃあね秋、白雄皇子!」

子供のように走り去る背中を眺めていると、秋の中で少しだけ記憶が甦ったような気がした。具体的なものではないが、懐かしいような切ないような気持ちがきゅっと心臓を締め付けた。

「秋」
「……っ、はい!」
「これからお前の帰還を祝して宴が開かれる。今日はそれを楽しんでくれ。話はその後でする」
「……?わかりました……」

蟠る気持ちをそのままに、秋は白雄に手を引かれて皇子皇女と顔を合わせることになった。



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