その他 #ゼラニウム
「ここにいたのか」
幸村はここ最近この場所がお気に入りらしかった。人目の少ない小さな公園。小さな花壇があって、そこにはもともとなんの花も植わっていなかった。
それをいいことに幸村はせっせと毎日通いつめ、花々を植えていき、立派な花壇を作り上げてしまった。
きっと、ここに来るものは俺や幸村くらいで、この花壇は誰に披露することもなく、自己満足で終わっていく。そうだというのに。
お前はまたこうして、虚しい聖域を作り上げるのか、と呆れてしまった。
「うん。今日はこれを植えようかと思って。」
俺に向き直った幸村の手には小さな球根が乗っていた。なんの花なのか、俺には知る由もなく、ただ、幸村が植えるのだから、きっと綺麗な花なのだろうとぼんやり思った。
俺は幸村精市という男を、なんでもできる神の子だと思っているようだ。
「お前はほんとうに物好きだな」
「そうかな?とっても楽しいよ、これ」
真田もやればわかるよ、と思ってもないことを言ってくる。
戯け、お前のようにはなれないしならないと、お前はようく知っているだろう。楽しいわけがない。俺にはどうやったって性に合わないのだ、そんな細やかなことは。
幸村の繊細な手が、土に汚されていく。それをなぜだかじっと見つめてしまって、「やりづらい」と睨まれた。そうして俺の視線を無視し、黙々と作業をする幸村の目は真剣そのものだ。
幸村のそういうところが、俺はたまらなく好きなんだろうと思う。成果を得るためならば、どんな努力も惜しまない。全ての結果に貪欲なところが。
俺と、同じだから。
***
「今日は、これくらいにしておいたらどうだ。」
どのくらい経ったのだろう。すっかり夕焼け空は濃紺に染まっている。これでは手元が見れず、作業はできないだろう。
「そうだね」
幸村は満足気に頷いて、汚れた手を冷たい水で洗い流した。
闇に隠れた花壇が、どんな風に彩られるのかは、春になればわかるだろうか。
…春になったら、俺たちは何をしているのだろう。
季節はもう、冬にさしかかっている。
俺は、幸村との関係に、何かの引っ掛かりを覚えたまま、年月を過ごそうとしている。
***
「随分日が短くなったな」
冷たい風に身震いした幸村の表情は晴れている。
揺れる髪に隠れる横顔が、なんとも言えず、なんだか無性に、かき抱いてやりたくなった。
別に欲求不満というわけでは…あるのかもしれない。
俺は、幸村を何度となく抱いてきた。それは、『そういう意味で』好きだからに他ならない。
だというに、俺は今まで一度だってそんなことを口にしたことがない。
「真田」
「っなんだ」
「だーめ」
ふと俺の方を向いた幸村は悪戯っぽい笑みを浮かべて、指を口元に寄せた。
一枚も二枚も上手なこの男はきっと、俺の全てを見透かしている。
しかし、そう言われてしまうと気にくわないから、歯向かってやりたくなった。
「っちょ、さなだ!なに、んっ」
ぐっと力を込めて手を引けば、驚いた瞳とかち合う。
いつもは余裕綽々な幸村の顔が歪むのが、俺はすごく好きなのだ。なんとも趣味が悪いとは自覚しているのだが。
そのまま唇を奪うと、幸村は抵抗をやめ、動かなくなった。キスに溺れているのだろう。
幸村はキスが好きだ。
いつだったか真田とするキスが好きだと言っていた。だからそれは、自他共に認めるものであると思う。
そういう素直な幸村をほんとうに愛おしいと思った。
俺がなかなか素直になることができないからだろうか。
…でも、そうだな、幸村も、好きだとは口にしてくれなかった。
互いが深みに踏み込むことができずにいた。
…男同士だとか、そんなことを誰より気にしているのはきっと俺で、幸村もそれを察しているとは思う。
それを敢えてなにも言わずにいてくれているということくらい、俺にだってわかる。
きっとそれは幸村だって同じだから。
だが、幸村は男であろうが女であろうが幸村で、きっと俺はどちらであっても選んでいたのだろう。
だから、俺も腹を括らねばならないのだ。
壁は壊さなければ、ならないのだ。
「ゆきむら、好きだ」
びくりと幸村の体が大げさに跳ねて、唇が離れていった。
泣きそうな瞳が揺れている。なぜだろうか、ぎゅっと胸が押しつぶされそうだ。
なぜそんな顔をするのだ。
「な、に…」
ついに決壊したか、瞳から大きな雫が溢れて、ひとつ落ちたら止まらなくなった。
嗚咽を漏らすことはなく、ただ、静かに涙を流して、それも自分でも制御がきかない様子だった。
「なぜ泣くのだ!?」
頭を振った幸村が、依然涙を流しながらいう。
震えた声で、いう。
「さなだ、間違えてはいけないよ。おれたちに『その型』をはめてはいけない。」
「な、にを…」
「おれたちは、『親友』であって、『ライバル』だ。いま、おれたちはきっと勘違いしているだけなんだよ。引きずってはいけない。後戻りができなくなるラインを、越えちゃダメだ。いま、キミは何を言ったと思う?」
「ゆきむ、ら」
なぜ、そんな顔でそんなことが言えるのだ。
「いいよ。真田、セックスしようか。」
にっこり笑った幸村には、やはり逆らえんのだ。
俺は手を引いていた。
道中、幸村は何も言わなかった。
正直、ありがたかった。
混乱している頭では、幸村が何を言っても頭に入らなかっただろうから。
どんなに大事なことであってもだ。
ゆるく微笑んでいる幸村を、部屋に着くなり押し倒した。
それでも幸村は、驚いた顔ひとつ見せなかった。
硬い畳の上で申し訳ないとも思ったが、いま、いま抱かなければいけないと思った。
幸村が言ったからじゃない。
俺たちが本当に違ってしまう前に、存在を確かめなければならぬと、そう思ったからだ。
最中、幸村はどこか上の空だった。
こんなに虚しい行為は初めてで、俺は絶望に打ちひしがれていた。
好きだと言ってくれたキスも、受け入れてくれはしなかった。
何もかも拒絶されているような気分になる。…というより、実際そうなのだろう。
今の幸村には、何を言っても無駄な気がした。
無意味な精子が死んでいく。
あ、あ、幸村の言った意味が、少しだけわかった気がした。
俺たちは、なににもならない。
「じゃあな、真田」
去っていく背中を、ただ、見つめることしかできなくて。
結局、虚しいだけのセックスでは、幸村の本心を探ることも、壁を壊すことも、何もかもできはしなかったのだろうか。
花壇には白いゼラニウムが咲き誇っていた。
幸村が植えたものでないことが、なんとなく俺にはわかる。
幸村には、この花はなんだか似合わないと思ったから。
…いや、そういうことにしたかったのかもしれない。
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