Free! #幼馴染から



何がやりたかったのかも、どこかに置き去りにして、いろんな物を見失って。
結局何も残らない。空の心に振り回されて。足下も覚束なくなって、溺れたような錯覚に陥って、藻掻いて。
水に突き放されたような感覚、久しぶりに味わうこの感覚。
一体になれない水は、どこまでも無情に絡み付く。
分からない事だらけだ。この感情の行き場はどこにもない。
悔しいとか、悲しいとか、感情らしい感情に昇華する事すらも出来ない。燻る感情は落ち着かない。やっぱり、慣れない事はするんじゃなかったなどと後悔しても遅い。凛に勝ってしまったあの冬の日から、思えば後悔は始まっていたのだ。
ピチャリ、ピチャリと揺れる水面は遙の心情を表しているかのようだった。いつもは心地の良い水の感触も、今はなんだかまとわりつくようでちっとも心は落ち着かない。
どのくらいふよふよと水に浮かんでいたか分からないが、少しも安らぐ事はなかった。
仕方なしに水から上がる。
『お疲れ、ハルちゃん』
あの柔らかい笑顔が、見たかった。水から引き上げてほしかった。こんな日は特に、だ。
けれどそんな都合のいい話は転がっていない。遙はいつだって一人で何もかもを決め、それに真琴が付き合ってくれていただけなのだ。
それに、真琴は遙がいやがる事をしない。まるで、自らも嫌だというように。
突き放してしまったのは、遙自身だ。真琴は寂しそうに、けれど何も言わなかった。
「…まこと」
帰ろう。もう今日は遅いから、明日直接話をしよう。そうだ、そうしよう。
あの笑顔が見たい。
そう思うのに、瞼の奥に浮かぶ真琴は、笑ってくれなかった。




一人暮らしの遙の家は、出迎えてくれる人もいなければ、あらかじめ明かりがともっている事もない。
母親が単身赴任先についていってしまった直後こそ、それに寂しさを覚えたものの、もう慣れた事だった。
誰かが待っていてくれていたって、…誰も待っていなくたって、帰る場所は確かにここにある。たとえ、遙がこの地を離れる事があっても、この場所はなくならない。
そんな事を考えながら、階段を上れば、もう我が家は目の前だった。
ぼんやりとした明かりが灯ったそこは、優しく遙を迎えてくれて。
ほんの少しの期待が、遙の胸に灯る。まさか、いや、そんなはずは。
すんなりと開いた扉の向こうには、予想通りの人物がすやすやと寝息を立てて眠っていた。
どれくらい待っていたのだろう。
大会後の疲労も厭わず待っていてくれたのだろう。遙の為に。
ぎゅうっと胸をつかまれたような気分だった。
言い表しようのない感情が、心を締め付ける。けれど決して嫌ではなかった。どこか心地のいいもので心が満たされていく、そんな感覚。
「真琴…。…?
大事そうに両手で包まれた携帯が、着信を知らせていた。
そっと手から取り出して確認すれば、やはり渚達からのメッセージだった。

(渚…怜…江…真琴…)
どれだけ救われればいいのだろう。
どれだけ、わがままを言って来ただろう。
こいつらと、いつまで一緒に泳げるのだろう。
俺は、いつまで縛られているのだろう。…いや、逃げているのだろう。
『ハルと一緒に泳ぎたい』
『ハルじゃなきゃ駄目なんだ』
そんな事をいつだか真琴はいった。目をこれでもかというほどに潤ませて、泣きそうな顔で言った。
絶対に、叶わない願いだとでも言うように。
遙は酷く狼狽えてしまった。
あの日の思い出は、きっと4人にとっては、何にも変えられないとても大切なもので、それはきっと揺るがない。
たとえ凛が変わろうと、遙が変わろうとも、渚と真琴にとっては、執着するものなのだろう。
どんなに煩わしくても、それは自分で決めたし、それも含めて彼らなのだから、遙は止めない。けれど、自分がそうなる気には、どうしてもなれなかった。…それも、遙という人間だ。
それでいい、それがいいなんて、意味が分からない。多分、一生、分からない。


心地いい静寂が、柔らかな空気が、すやすやと眠る真琴の顔が、遙の心に沁みて、心までも、柔らかく溶かされていく。
真琴が言う、みんなの中には、必ず遙がいた。
この街で生まれて、家族のように過ごしてきた。
この家が、遙の帰る場所であると同時に、真琴もまた、遙の「居場所」なんだろうか。
じゃあ、真琴にとっての「七瀬遙」は?
どうしようもない、ただの、幼馴染み?
一緒にいるのは、惰性?
離別の時はくるのだろうか。
回避するには?どうしたらいい。そんなのはご免だ。真琴がいないと、誰が遙を引き上げるのだ。
一生水に捕われて、浮いてこなかったら、それはそれで、柵から解放されるのかもしれない。
…でも、楽しい事もないだろう。
そもそも、死んでしまう。遙は人間なのだから。

「真琴…真琴」
じゃあ、どうしたらいい?
どうやったら、お前みたいになれる?
少し潤んだ瞳と目が合う。
(なあ、どうしたらいいんだ。)
いつもなら読み取ってくれる瞳も、眠そうにとろりと溶けるだけだ。
出来る事なんて、限られているけれ、どれが一番喜んでくれるだろうか。
『一緒に泳ぎたいんだ』
いつだって自分を無視して、他人の為にと行動してきた真琴の、二度目のわがまま。
まあ、こんなの、わがままのうちに入りはしないけど。
と、遙はいつも思っている。
どこまでも他人に甘くて、自分は甘え下手で。
でも、そんな真琴だから、好きだ。…真琴達が今のままの遙を好くようにまた、遙だって、そんなみんなが好きだ。
目を閉じれば浮かんでくる。みんなの泳ぎ。声援。
(ああ、簡単な事じゃないか)


「んう…ん…ハルぅ…?」
「…泳ぐんだろ、リレー」
すべてを言うのはまだ早い。
凛と和解して、リレーを泳いで、そうしたら、言おうじゃないか。
…いまは、まだ、幼馴染みで。
(好きだ、真琴)
「ハル…っ!」




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