09.「それは告白でした」
「こちらがアトリエヒウンでございますナマエ様」
「アトリエヒウンって…美術館なんですね」
噴水広場を少し進んだ先の、ヒウンアイス屋さんの向かいにそれはあった。
アトリエヒウン、そこは絵画や美術品を展示する美術館で、さほど大きい建物ではないものの、凛とした静かな空気が美術品達の美しさを際立てていた。
ノボリさんに手を引かれるがままに立ち入ったそこは沢山の絵画が飾られていて、そのほとんどがこの街のジムリーダーが描いたものだと教えて貰った。
観覧者はまばらではあったけど、みんな一枚、一枚丁寧に、隅から隅まで絵画を眺めていて素敵だとため息が聞こえてきそうな表情をしていた。
私達が歩くだけで靴音がカツン、カツンと館内に響く。
「こういった場所はお好きですか?」
「嫌いじゃないんですけど、あまり行く機会がなくて。ほら、私ってバトルバトルの人間だから。でもたまにはこういう場所に来るのも悪くないなぁって」
「フフ、それはよかった。
ひとまず一通り見て廻りましょうか。多少でしたらご説明も出来ますよ」
ありがとうございます、と一言つげ、ノボリさんの後ろを着いて歩いて廻った。
いろんな絵画があった。
それはポケモンであったり、トレーナーであったり多種多様ではあったけど。たった一枚の絵画に物語りが描かれていて、隅々にその世界のかけらがちりばめられていて、その世界観の壮大さにドクンドクンと心臓を高鳴らせながら眺めていった。
今はイッシュ地方の伝説をモチーフにした作品ばかり展示している、とノボリさんから教えてもらった。
『白き炎』『黒い稲妻』『理想と真実』というタイトルの絵画が特に目についた。どうやらイッシュ地方に言い伝えられている伝説のポケモンをメインにした展示らしい。
ゼクロムとレシラム。理想と真実を掲げたポケモンだと、元は一匹のポケモンであったのが二つに分かれ、己の志をともにしてくれる英雄の元にくだったと。イッシュに伝わる伝説を、ノボリさんは丁寧に説明してくれて、それが絵画からも伝わって、私は何度もうなずいて、気がつけばその世界にのめり込んでいた。
「わたくし、実は時間が出来た時にはよくこの場所へ赴くのです」
「絵画、好きなんですか?」
「ええ、それもあるのですが」
とある絵画の前でノボリさんの足取りがピタリと止まった。
そして、その絵画を眺めて…ノボリさんは愁いを帯びた瞳でその絵画を見上げた。
「この絵画に、心奪われてしまいまして」
「この…絵画」
ノボリさんの視線を追って私もそれを見上げた。
王族、だろうか。歴史を感じさせる装束を身に纏った男二人が背に白と黒のポケモンを控え、己達を見やっている。そして、互いに手を伸ばし掴むか掴まぬかの距離で伸ばされた腕は停止していた。
まるで、相まみえぬというように。互いの望みを主張し、それを相手へ紡いでいるかのようにかざされていた。
絵画のタイトルは『双子の英雄』−−−。
「先ほどナマエ様へもお伝えしたように、絵画には物語や描き手の想いが詰め込まれているものなのです。大抵の絵画ではそれは語られているのですが、この絵画だけはそれが語られていないのですよ。
それが何故なのか…気になって、皮肉にも生まれてこの方一番に魅入られた絵画でしたのにそれが記されていないとなると。
何度も、何度でも眺めに来てしまうのです…。答えなんてないでしょうに、でも…気になって」
おかしな話しでしょう?
ノボリさんは困ったように笑ってから、また視線を絵画へと移した。
「一度、クダリとも来た事があるのですが、あの子はこういった物にはあまり興味がないらしく、視野にも入れて貰えませんでした」
「あはは、クダリさんって確かにそういうタイプですよね」
「双子というタイトルの絵画だというのに冷たいものですよね」
そこでふと、思う。
チラリと見上げたノボリさんの顔はぼーっとそれを見つめていて、言葉の通りにこの絵画についていろんな事を考えているように見えた。それを考えて、それがやめられないというのは……もしかしたら自分と、重ねて見ているのではないかなと、一つの疑問が浮かんだ。
「答えがない、絵画ですか…。
でも、あえてこの絵画だけどういうものなのか語られていないという事は、この絵画の作者はこの絵画を見た人達に考えてほしかったのかもしれないですね」
「…と、言いますと?」
「この絵画ってさっきの英雄の双子の事ですよね?真実と理想を掲げて戦ったっていう。
その双子の戦いを、望んだ未来を、彼らが己を信じて貫いたように。私達にもそれを考えて欲しいとおもって…わざと語っていないのかもしれないですよね」
もしそうだとしたら億万通りにこの絵画は見て取れる。これほどまでに細部まで描かれている絵画なんだもの。どんな絵画なのかいろんな顔が見て取れる。
「私はこの絵画、英雄の双子達が戦ってはいるけど、やっぱり理解して欲しいって想いの表れを表しているのかなって思いました。ノボリさんはどうですか?」
「わたくしは、英雄という表現がこの王族ではなく背に控えるレシラムとゼクロムの事を表現しているのではと思っておりました。」
「ノボリさんにとっては、この絵画の主人公はポケモン達なんですね」
「そうなりますでしょうか…、ですが王族の双子の表現方法にも考えさせられますね」
「ですね、それをいうならこの配色も」
そこで偶然目があって、互いにぷはっと吹き出して笑ってしまった。
やっぱり答えなんて出ない。でも二人で語らうからこそどんどんと世界が広がっていく。いろんな視野で視点でこの絵画を見れるんじゃないか。
「…知れば知るほど、見えるものってありますよ、ね」
「ええ、左様でございますね」
「ノボリさんの、事ですよ」
恥ずかしいので俯いたまま、ノボリさんの服の袖をきゅっとひっぱる。
ノボリさんは少し驚いたふうに振り向いて、私の言葉を待つ。
「私今まで…ノボリさんの事、絶対に理解出来ない人なんだって…思ってました。
少ししか会った事がないのに…その、突然結婚してくださいとか言って…きたり。断ろうとしても諦めてくれないし、デートも…強引に決めちゃうし。
絶対横暴で傲慢な人なんだろうなって……失礼ながら思ってました」
けど、
もごもごと言葉を濁して、それでもこれは伝えなくてはいけない事だと思うから…照れであっつくなる顔を隠せぬまま、ノボリさんを見上げて笑ってみせた。
「今日、ノボリさんと一緒に出かけられて良かったです。知らなかったノボリさんの一面も見れたし、ノボリさんがどんな人なのか…ちょっとでも知ることが出来ました、し。
今日は、その…た、楽しかった…です」
気恥ずかしさに視線を反らそうとした時、ノボリさんに頬をその手に取られてノボリさんへと視線を向ける形で固定されてしまった。
あれ、ノボリさんの手のひらあっついなぁ。それに、なんでそんな、訴えるように、苦しげに…でも愛しそうに見つめてくるの。
「ナマエ様、ナマエ様……わたくしの貴女様への想いはどうか、信じてくださいまし」
「おも、い…?」
「…本日、トウコ様よりメール頂きまして。ナマエ様がわたくしの告白は信じられないと漏らしていたと伺いました」
「!!!!!!!」
と、トウコぉおおおおおお?!朝のあの台詞をばらしたわね?!よりにもよって本人に?!
トウコは無神経に人の秘密をばらすような子じゃない。ということは彼女なりの考えがあっての行動だろうけど、一体何を思ってこの爆弾を本人へ直接ばらしてしまったのか頭痛がしてならない…!!
「あ、ああああの!わ、悪気があったんじゃなくてっっ!普通に考えて一目惚れってその私みたいな平凡人にノボリさんみたいな人がってっっ」
「ナマエ様」
「ひゃいっ」
どこか怒りを含んだ低い声で名前を呼ばれて、若干舌を噛んで返事をしてしまった。
「ナマエ様は、ご存じないでしょう……お会いしたあの日から、また再会出来るまでのあの一週間を。」
ノボリさんは切なげに眉を寄せて、私の目をまっすぐに見つめて……私がここにいるのだと確かめるかのように瞳の奥を深く、深く見つめてくる。
「わたくし、ナマエ様にあの日お会いして、初対面でありますのに介抱してもらっただけでなく、無理をしようとしたわたくしを言いとどめて本気で心配してくださった貴女様に、一言も礼を述べる事が出来ずに、ましてや…名前さえも伝える事が出来ずに、激しく後悔したのです…。
目が覚めて、貴女様がいなかった事に絶望し、日を追うごとにナマエ様の事ばかり考えるようになって、それでももう会う事が出来ないのかと思っただけで…苦しくて」
ノボリさんの声が震えてる、目元なんて弱々しく歪んでしまって泣いてしまいそう。
私はただ、そのノボリさんの想いを聞くのが精一杯で、私なんかが考えていた“一目惚れ”という言葉以上に彼の想いは深くて。困惑して胸の動機がどんどん、どんどん、激しくなっていく。
「ナマエ様と初めてお会いしたホームへ何度も足を運びました、空き時間を見つけては構内を見て廻り貴女様の姿を探しました、似ている背格好の女性を見つけては掛けより違うのだと分かり……何故あの日にナマエ様を捕まえておけなかったのかと後悔ばかりで」
ですから、と。
ノボリさんは私の両手をとると、己の額へ寄せて俯いてしまった。
声色が、やはり震えている。
「ですから、再会したあの日にわたくし…っ、貴女様へと募らせた想いが弾けてしまってっ
行き場の無かった想いが、恋情なのだと理解し。もうわたくしへは会いに来ないだろうとおっしゃったナマエ様をどうにか繋ぎ止めておきたかったのです…!」
また、出会った日のように離れていなくなってしまわれるだなんて…わたくし耐えられません。
「だ、だからっていきなりプロポーズになりますかっっっ」
「いけませんか、これほどまでに胸焦がした貴女様が欲しいのだと願ってはいけませんか?
付き合うだなんていつか壊れてしまうものなどわたくしは欲しくありません、望むのは…永久に貴女様を手に入れる切れぬ鎖でございます…ナマエ様」
ああもうどうした事だろう。
私の心臓ちゃんと動いてる?今までに聞いた事がないほどに胸の中で暴れ回っている。顔が…ううん、全身が熱を帯ってあつい。
こんな、気持ちしらない。
ここまで言われて、言わせてしまって、一目惚れは信じられないだとか、出会った日数が短いからだとかの言葉ではもう、ノボリさんからは逃げられないじゃないか。
今の私には、彼を拒絶する言葉が見つからない。
だから、困る…!
「のっのぼりさん…!あの、お気持ちとてもよく分かりました…のでっ、ひとまず手を離して下さいっ」
「…嫌でございます」
「っ」
私の手は依然とノボリさんに握られて、彼の額へと固定されたまま。
これじゃあノボリさん、なにかを願っているみたいじゃないですか。私に対して、何か望んでいるみたいで。
「のぼっ」
「…愛しておりますナマエ様、どうか…どうかこの気持ちだけは信じてくださいまし」
ふと、私へとノボリさんの影が重なった。
手を握られたまま、唇に吐息を感じるまでの距離にノボリさんの顔が迫ってきっっ
「度が過ぎるんだよこのストーカーー!!」
バシィッッ!!と、ノボリさんと私の間を華麗に、素早く誰かがチョップして割って入って来た。すぐさま私からノボリさんを突き飛ばす形で遠ざけて、威嚇丸出しで睨むこの少年は、、、
「え、あ、トウヤ君?!」
「ナマエさん!!気を許しちゃダメだってあれほど言ったのに!!」
「ああああもう!トウヤの馬鹿!!今良いところだったのにーー!!」
「今絶対ちゅーのフラグだった。もうちょっとだったのにノボリ何やってんの!!」
え、えええええええ!?
と、トウヤ君がここに居ると言うだけでも驚きなのに、なんとまあ銅像の影にこそこそ隠れてこちらをのぞき見ているのはどう見たってトウコとクダリさんじゃないでしょうか?!もしかして、後つけられてた?!覗かれてたの?!いえいえいえトウコはまだしもクダリさん仕事は?!サブウェイマスターのコート着たままだけどもしかして抜け出してきたとか言いませんよね?!
「・・・・・・・・・・・・・・・。」
ああああああああああ?!ノボリさんの顔色がめちゃくちゃ極悪顔ーーーーーー!!怒ってる、あれ絶対怒ってる!!って、トウヤ君もなんでノボリさんを威嚇するが如く唸っているの?!ちょっ何この場所怖すぎる!!
静かな美術館でこんなに騒いでしまったら嫌でも目立つ。周囲には野次馬が集まってきていてヒソヒソ、ひゅーひゅーとヤジが飛ぶ。
勘弁してよぉおおおお……!!!!!
「わたくしとしました事が、まさか後をつけられていた事に気づかなかったとは。
それにしましてもストーカーとは侵害な、ストーカーというのは物言わずに浅ましく人様の後をつけるような輩の事を言うのだとわたくし思っておりました」
「違いますよ、ストーカーというのは了解も得ないで、その場の空気に紛れて下劣にも手ぇだそうとするくそ野郎の事を言うんですよサブウェイマスターノボリさん」
「それはそれは…面白い事をおっしゃいますね。わたくしおかしすぎて腹が煮えくりかえってしまいそうです」
面白くてお腹は煮えくりかえらないと思いますノボリさん…!ソレ絶対怒っているんでしょうぉおおおお…!!!!
「ノボリさん、表出て下さい。男はバトルで勝負ですよねええそうですよね」
「いいでしょう、わたくしのシャンデラも先ほどからトウヤ様へご挨拶したいのだとボールの中で騒いでいるようですので」
「ナマエ争奪戦ですか、とてもぷまいですね、分かりました私が審判やりまーーーすっっ」
「え、あ、ちょっとあのぉおおおおお?!」
二人が険悪な空気のまま、しかもトウコまでもなんでかノリノリで外へ歩き出して行くのを止めようとしたのに、ぐんっとクダリさんに腕を引かれてそれを制されてしまった。
「ねえナマエちゃん、ナマエちゃん!今日のノボリどうだった?前よりは印象変わったでしょ!」
「か、変わりました、けど」
「よかった!
ああ、あとね。この場所、またノボリと来てあげてね」
「?、それは…何故ですか?」
「ノボリ、ここの場所紹介したのボク以外で君が初めて!
この場所、ノボリが精神的に不安定になった時に来て心落ち着かせる場所なんだよ、本当は」
人差し指をたてて「しー」っとクダリさんは笑う。
「つまり、弱み、見せられる人じゃないと連れてこない。サブウェイマスターとしてだったらそういうの、見せたくないって生真面目な人だからノボリ。
ここで、さっきの話ししたって事は、あれノボリの本音で、受け止めてもらいたい弱音でもあるから。
ちゃんと、考えてあげてね!」
ぽんぽん、と肩を叩かれてクダリさんはどこかご機嫌にみんなと同じく立ち去って行った。
残された私は状況についていけなくて、ぐるぐると思考が混雑したままで、その場に蹲ってしまった。
「ほ、んねって……。疑う事は、もうしないけど、でも、わたしそういうのよく分からない…しっ」
ピピピと、メール着信音が鳴る。
ライブキャスターを取り出して、メール画面を開くと宛先は“ノボリさん”だった。
その内容に、目眩。
【折角のデートですのに残して出てきてしまい申し訳ございません、事が片付きましたら家までお送り致しますので。
それと、
ナマエ様に口づけようとした事は間違いではございませんので、謝罪致します。
おそらく、また同じ事をわたくしは望むでしょうから、そうなった場合に嫌悪感を感じましたら突き飛ばして拒否して下さいまし。
拒絶がなかった場合、わたくしきっと止まれませんのでご了承くださいまし】
あいしています、と脳内で先ほどのノボリさんの言葉がリピートされた。まるで隣で、耳元で囁かれたかのように。
「……ぅう」
悲しくもないのに、何故か涙が押し寄せてきて。
ぐちゃぐちゃで整理しきれない頭を思い切り横に振る。
ライブキャスターを握りしめて、蹲った体制のままで自分の膝におでこを押しつけた。
前に、クダリさんが私へ忠告した言葉をふと思い出した。
『相手はノボリだからね!きっとじわじわ、ずいずい、どかどかナマエちゃんに迫ってくる
ノボリきっとすっごく本気、ナマエちゃんきっと逃げれない』
「…じょうだん、キツイですって。
もう頭ばくはつしそう……!!」
答えなんて出ないから、知らないから、ならば私はやっぱりモノズを随時控えてノボリさんガードをすべきだよなぁ、なんて的外れの事を考えて。
真っ赤に染まった顔色が、落ち着くまで。それを隠すようにその場に蹲っていた。
2012/08/01