バッドラ
その結論はまだ早い


人気のない特別教室棟を侑に腕を引かれて歩く。さすがに治も、後ろを歩いていた幼馴染が急に逆方向に歩き出したとは気付いていないみたいで、振り返ってももう姿は見えない。侑に声をかけても反応が無いので、何なんだろ…と思っていると、今はあまり使われていない講義室に押し込まれた。

やっと解放された腕をさすりながら侑を見ると、後ろ手で扉を閉めたところだった。俯いているので、相変わらず表情は見えない。カシャンという音で鍵を閉めたことがわかった。見もしないで閉めたところを見ると、侑はよくここに来ているみたいだ。多分、治の西階段の一番上みたいな場所なんだろう。
しかし、こんな場所で何をするつもりなんだろうか。サボりに巻き込まれた?と思って、その疑問をぶつけようとしたとき、ちょうど本鈴が鳴る。
…あーあ、どっちにしろサボり決定だ。

「侑?」

もう一度声をかけると、また腕を掴まれて、今度は壁に体を押し付けられる。うわ、もしかしなくても、これって所謂壁ドンってやつか。
行動と、やっと見えた顔で、侑の機嫌の悪さが伺えて、すごく気分が重い。
両手首を掴まれ、壁に押し付けられた状態で見下ろされると、まるで私が悪いみたいじゃないか。

「最近妙にサムと仲良えよな?何話しとるん?」
「何って…」

侑ほど何か話してるわけじゃないから、なんて答えたら…。大体話してるの侑のことだし。

…あ、そっか、今さっきの話を訊いちゃえば良いんだ。

「何って、侑のこと」
「俺のこと?ほんま?」
「うん」

侑は私の答えに「へぇ…」と呟いた。その声はさっきよりだいぶ機嫌が良さそうだ。

「俺の何の話しとんの?」
「…侑が…私のこと好きなんじゃないかって」

口に出してから、その言葉の間抜けな響きに少し恥ずかしくなる。よくよく考えてみれば「私のこと好きなの?」って本人に訊くのって凄い自信家みたいだ。

「…フッフ」

予想外に侑は笑いをこぼす。もう、講義室に入った時の空気は何だったのかわからないほど機嫌が良い。

「なんや、もうバレてもうたか」

その言葉に私はホッとする。

「なんだー、治と共謀したドッキリか」
「何が?」
「だから、私のこと好きな振りしてからかってんでしょ?」
「なんでそうなるん?」

そう聞き返す侑の声は低く、また機嫌を損ねてしまったみたいだ。なんだよ、情緒不安定か。

「だって本気で侑が私を好きとかあり得ないじゃん」
「なんでそないに思うんや?」
「侑なら選びたい放題じゃん。何で私なの?」
「なまえでええやのうて、なまえがええんやん。なまえのそういう自分に自信無さすぎるとこ、たまにめっちゃ腹立つわ」

そんなこと言われても、幼馴染が侑と治だ。これくらい卑屈だって、まだまだ精神的に健全な方だと思う。

「俺が、なまえを好きなんやからええやん、それで」

いつになく真剣な侑に、心臓が痛いほど跳ねる。まだ冗談だった方が良かった。

「なまえはどうなん?」

自分の欲しい答えを私がすんなり言うとでも思っていそうな口ぶりに、少しムッとする。そんな風に自信あるなら尚のこと、なんで私なの。今までそんな感情で接して来なかったのに、今更言われてもよく分からない。

「私も侑のこと好きだけど、そういう好きじゃないし。恋愛対象として侑のこと考えたことない」

でも、突っぱねるように答えても、侑は何だか楽しそうで、ムカつく。「まぁそうやろうなぁ」って分かってんなら訊かないでよ。

「ほんまにいっぺんもそう思うたことあらへんの?」
「うん。全然。全く。これっぽっちも」
「なるほどなぁ」

やっと手首を解放してくれた侑は、自分の顎に手を当てて何やら考えている。私は、実はそんなに痛くなかった手首を、わざとらしくさすって侑を見る。侑は私の言いたいこと分かってるくせに、その場を動かない。それどころか。

「ほんなら恋愛対象として見てもらうようにするしかあらへんな」

そう言いながら、片方の手を私の腰に回し、もう片方の手は私の後頭部から耳、首筋となぞる。

「待って、この手は何?ねぇ?」
「もう気持ちがバレとんのなら、遠慮する必要ないやろ」
「あるから!ねぇ!また顔近いし!」

顔を背けながらも私は、何だかんだで、この前の鼻チューの例もあるし、特に何かされることは無いと油断していた。でも、首筋をなぞっていた手で顔の向きを侑の方に直される。

「今日は我慢せんよ」
「ちょっと!あつ、待っ…んんっ」

まじか、この男、まじか。本当にした。口にキス。

「目ぇ閉じとけや」

いきなりのことで混乱してる私は、何故か素直に従ってしまう。それに気を良くしたのか侑は、顔の角度を変えたりしながら何度もその行為を繰り返した。

初めてのことで、息するタイミングも分からず頭がクラクラする。心臓は全力疾走の後のようにハイスピードで鼓動を打ち続けているし、触れられている全ての場所が熱い。反抗することも忘れて、鈍った頭で「なんで」をひたすらに繰り返すだけだった。


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