* 01 *
ふ、と目を覚ます。
ヤバい、思ったよりがっつりと眠ってしまっていた。
少しだけ焦って、周囲を見回す。
いつもなら、駅に留まる度、軽く意識は浮上するのに。
だが当然、窓の外から得られる情報はない。
なんていったって、地下鉄だ。くらいトンネルの中を走る電車なのだ。
でも、それで、少し焦る。
私の降車駅の付近はしばらく外を走るのだ。上りも下りも、3駅ずつくらい、ずっと外。
しかも下りの終着駅から3つ手前のところで降りるので、何も見えない、ってことは折り返して、上りになってしまっていることかもしれない。
もう一度、目を凝らす。
真っ暗な闇。
外だが、暗すぎて何も見えない、というのはあり得なかった。
どの駅の周辺も、町の明かりや街頭、民家の光などが見えるはずだからだ。
そして、何よりヤバいことに気付く。
電車、動いていない。
至極シンプルに動揺してしまった。
車庫に入ったとか、終電終わってしまったとかそういうことか!?
いやでも最後くらいは車内点検せんの?!
とは言いつつどうしていいかもわからないので、ただ、シートに座り続けている。
そして、それは、唐突に訪れた。
―――――ぺた。
つたない、音。
ぺた、ぺた。
乾燥を知らない幼い子が、裸足で、リノリウムを歩くような、そんなおと。
ほかに誰も乗客の姿が見えないのに、そんな人為的な音が聞こえて、私は反射的に身がまえた。
鋭い、静寂。
ぺたり、と、もう一歩分の、音がする。
何もいない。
この車両には、恐ろしいことに、私しかいないはずなのに。
いやひよっこながら小生、葬儀屋に勤めており。
夜中の葬儀会館に一人でいてもこんな体験したことないのに、まさかこんなところでこんなことになろうとは!
恐怖と困惑と、そしてちょっとだけ、興奮。
長年、心霊体験や超常現象に思いをはせてきた類の人間である。っていうか葬儀屋入社したんもそういうところがでかいしな???
見るからに、あからさまに危機的状況だということはわかるのだが、如何せん、今まで長いこと夢見てきた状況だということに気付いてしまって、私は少しだけ、わくわくしてしまった。
ぺたり、という音。
じっと、音の方に目を凝らす。当然、何もいない。
というか、この、かすかとも言える音の小ささ。
もしかすると、まだこの車両には至っていないのかもしれない?
ふっと、奥を見る。
車両間をつなぐドアの向こう。
大人のおなかから上くらいだけが硝子になっていて、その下は不透明な素材でできているドアだった。
そのドアのガラス部分から、
―――――じっと、こちらを見つめる、真っ黒な瞳が2つ、のぞいていた。
やはり子供なのだろう。
かっぴらいた状態でこちらを見ているが、鼻から下は、不透明部分に隠れてしまっている。
目が合って、にたり、とその瞳がゆがんだ。
白目なんてない、ただ眼窩と思しき空洞に黒い液を満たしたような、掛け値なく真っ黒の、瞳だった。
ぎい、と、音がしてドアが開く。
「――――!!!」
その姿は、私が予想していたものをはるかに上回っていた。
幽霊、というよりは異形。
お化け、というよりは化け物だった。
クリーチャー的なデザイン。
目から上だけが人間の頭部を模してして、そこから下は、肌色でしわしわの、適当に人間のパーツを寄り集めたような、どうあがいてもSAN値の削れるおぞましい物体だった。
けひ、と、”それ”が、嗤う。
一つ漏れたそれがきっかけとなって、堰を切ったように、それはゲタゲタと耳をつんざくような笑い声をあげた。
思わず、耳をふさぐ。
足ともいえないよくわからない部位を動かして、それは酷くみっともない挙動で、転がるようにこちらへ向かってくる。
「え、や、流石にそれは」
流石に触りたくないし勝てないですかね!
どうすることもできる気がしなくて、私はただ、呆然とそれを見ていた。
―――――伏せろ
「…え?」
予想もしない方向から声が聞こえて、私は、反射的に振り返る。
”それ”とは逆側の連結部分。
いつの間にかドアをまたいで、またしても知らない誰かがそこにいた。
「伏せろっつってんだ。”アレ”と一緒にぶっ潰されたいか」
「えぇ…」
なんとも物騒な。
だが、”奴”よりはよっぽどまともそうに見えた。
見た感じ、黒い髪の、中高生くらいの男の子であるようだったのだ。
しぶしぶ、というわけではないが、私は困惑しつつもシートから降りて地べたにしゃがみこむような形になり、頭を抱えた。
「……まあいい」
―――――鵺、
なに?なんて?
小さく青年がつぶやいた途端、ばちっと閃光がはしって、そして。
バリバリバリバリ!
「っひ!?」
大きな鳥が、私の頭上をものすごい勢いで飛んで行った。
その大きな両翼は車両の幅では足りない。まるで車両を真っ二つにするように乱暴に窓を割り、枠をなぎ倒しながら、一直線に異形に向かって言った。
ぱらぱらと、割れたガラスが頭の上に落ちるのがわかる。
恐ろしくて、思わず肩が震えた。
ばち、と大きな音がした。
そして、”それ”のだと思しき断末魔も。
ちら、とその方向をみれば、もうあの嘘みたいな大きな鳥も、そして夢みたいな異形も霧散するようにかすかに黒い煙だけを残して消えていた。
ざり、ざり、と乱暴に散ったガラス片を踏みながら、青年がこちらに来る。
というか、そんなありえんことして大丈夫これ???天井落ちてきたりする??
「悪い、少し乱暴にしすぎた」
立てるか、と思ったよりも常識的な声音とセリフで、青年はこちらを気遣うように見下ろした。
「あ、だ、だいじょうぶ」
恐る恐る首を上げて、それからゆっくり、立ち上がった。
「ちょっと触るぞ」
「あ、はい」
そう断りを入れて、彼は存外丁寧な手付きで私の髪についたガラス片を払い落した。
「まあ、これも実物じゃねえし、外に出たら大丈夫だから」
「ええ…?外…?」
「細かいことは今は良い。怪我とかないか。何もされてないか」
「だ、大丈夫、です」
そうか。
ぱっぱと服とか肩をはらう私を見て、彼は頷いた。
………あれ?
「じゃあ、出るか」
「でる?」
彼はさっさとドアの付近に移動して、それから。
―――――ガンッ
「えっ」
素晴らしい体幹。
何の躊躇もない喧嘩キックをドアのガラス部分にかまして、ただでさえ鳥にボロボロにされてたそれは、ついにべき?に近いような聞いたこともない音を立ててひしゃげた。
いや待って。鳥ももはや全然現実離れしてるけど、だからって言って地下鉄のドア前蹴りで壊せる????
「気にするな。どうせ現実空間とか規格が違う。そもそも奴を祓った時点でこの空間は放っておいても瓦解するくらい脆くなってる」
「……やばい疲れすぎてる。日本語が何一つわからない」
たまに疲労が過ぎると言語野死ぬことあるけどその時に近い。
全然知らない単語が並ぶ英語の長文を流し読みした時の感覚だ。
……とは言えそんなことしてたのももう10年近くも前かあ。すごいな、もう立派なババアよ。
「分からなくても問題ない。ほら行くぞ」
「わ、はい。えっと、ありがとう…ございます…?」
「まあ、おう」
どっちもどっちだが曖昧な言葉を交わしたら、彼が何の躊躇もなくドアから飛び降りた。
とんでもない高さ、というわけではないが、地面はそれなりに距離があるようだ。
青年、今首だけ見えてるくらいのたかさ。
「え、高くない?????」
運動という運動もう数年してないなまり切った社畜には恐れというものがあってですね。
「早くしろ」
「つめた…!」
とは言いつつ、ほら、と仕方なさそうに手を差し出してくれるあたり、青年は紳士として中々将来有望かもしれない。そのまま素直に育つんだよ。
ということで厚意に甘えてその手を持ちつつ、床に座って、真っ黒い空間にそろりと足を下ろした。
ま、まあこれくらいなら大丈夫…多分…。全く底みえないし着地しくって足首くじきそうだけど。
まあでもここまでしてもらっていてこれ以上待たせる訳にもいかないので、思い切って、とんだ。
あってないようなもんかと思ったが、結構支えてくれる手というのは頼りになるもんで、よろけながらも私は何とか着地を成功させた。
「大丈夫か」
「はい。ありがとうございます」
当然用がなくなったので手を放す。
こっち、と言われて、歩き出した彼に続いた。
出口は、すぐだった。いや出口ってなんよっていう感が否めないが。
真っ白、な穴があって。
そこをくぐって、二人で、暗い闇から抜け出した。