* 21 *
「で、あれ以降、なんか進展したか」
さて、二日後の夕飯時。
たまたま遭遇したので伏黒くんとごはんを食べていた。
二人だけになってふと思い出したのか、彼は随分とおもむろにそんなことを言った。
「あ〜〜〜〜あれねえ。硝子さんは、予想通り、感覚優位型だから、まったくわからんかった。ほろほろほ〜〜〜んがとい!とか言われた。語感がいいことしか分からんかった。」
「……まぁ、多少予想はしてた」
「やんなあ。あと学長も、やっぱり気付けば趣味で作ったぬいぐるみがいつの間にか動くようになってたってさ」
「……それも、多少予想はしていたが」
「ですよねえ。まぁ、私もいつか唐突に悟るまではりんほんだけで頑張るしかないんかなあ」
「まぁ、気長に待つってのも一つではあるよな」
「そうねえ〜〜〜〜〜」
まぁ、とりあえず何かしら手っ取り早い診断方法があるわけでもないんだから、どうしようもないっちゃどうしようもないわけだ。
一旦は諦めることにしよう。
そもそもまだ何も困っていないからな。
何かに行き詰まり始めたら必死になるとしよう。今はまだ、ちょっと気になったしな、くらいだし。
「あ、話変わるけどさ、伏黒くん明日任務だって聞いた?」
「いや、聞いてない」
「マジか先生ほうれんそう頼むわマジで〜〜〜私も苦手やけどさあ」
「朝イチ?」
「んにゃ、11時出発」
「分かった。どういうの?」
「なんも聞いてない。明日で良いかなと思って」
「まぁ別に問題はないな」
ちなみに、食べるのが早い育ちざかり青年はすでに夕食を食べ終えている。
気持ち急ぎ目では食べているのだが、如何せん、流石に敵わない。
私も割と食べるの早い方だと思うんだけどな。量とスピードが見合ってないぜ、お兄さん。
でもこれで、気を遣わず先に部屋かえってもいいんやで?っていうとちょっと怒られるので、何も言わないでおくことにする(前に一度怒られた)。
まぁそれも彼なりのやさしさという事で、厚意には甘えておくことにする。
◆◇◆◇◆
その日の夜、夢を見た。
断言できるのは、私にとっては珍しいことだ。
なんだか夢を見ていた気がするな、というのが大半で、普段は夢のゆの字もないくらいの大爆睡野郎だから。
社会人やっててもそうなくらいなんだから、体が若返って無限に寝られる今なんてもっとである。
なのに、その夢だけは、驚くくらいにしっかりと、覚えていた。
薄暗い部屋。
聞いたことのない声が、陰鬱な声が、私の名前を呼んでいた。
酷く鼻につく、魚の腐ったような匂い。
いつぞやかにかいだ、夏の夜に、タイの頭を一晩放置した時のような、酷い匂いだった。
声の方に進むにつれて、匂いは酷くなった。
薄暗い部屋が、どんどん、暗くなっていく気がした。
そして、近づいて近づいて、ようやく、声の主が、見えてくる。
汚い、洋風なバスタブの中に座り込んだ、細身の、身長の高そうな男の人。
おそらく、違和感のないブロンドで、疲れ果てたようにぼさぼさだった。
その男の人は、見たこともない歪な形をした大きな魚を抱えて、
―――――酷く汚らしい音を立てて、魚の腹に何度も何度も爪を立てていた。
ぐじゅ、と、血とぬめりにまみれた音がする。
大して長くもない爪に、死肉が詰まって、どす黒い色をしていた。
それでもなお、男はがりがりと、その肉を掻き毟っていた。
「くるる」
まるで、喪った愛しい恋人でも呼ぶかのように、彼は、私の名前を呼ぶ。
その癖に、目前まで来た私に、気付くことはない。
不意に、視界の端が、煌めいた。
ちら、と、光が舞った気がして、視線を移す。
刹那。
ぱ、と、地面に落ちたその煌めきが、目にもとまらぬ速さで、広がった。
――――否、”燃え広がった”。
ごお、と、猛々しい音を立てて、その小さな火花は、床一面に炎となって広がったのだ。
確かな、熱。
至近距離のそれに、私は当然、痛みを覚悟して身構えた。
が、それは、”私”を焼くことはなかった。
近くで煌めく、その熱。
それは、私だけを奇麗に避けて、一瞬にして、バスタブごと、男の姿をさらった。
少しだけ、焦げるような匂いがした。
これは、髪が焼ける匂いだな、と思った。
そうして、その大きな波が引いたころには、バスタブごと、その男は跡形もなくなっていた。
いつの間にか、のっぺりとした、真っ黒の空間にいた。
ちらちらと、大人しく小さくなった炎が、こちらを見上げるように、伺うように、足元で瞬いていた。
カルシファーが実在したら、きっとこんな感じなんだろうな、と、思った。
私は、道端で猫でも見つけたかのように、その炎の前にしゃがみこむ。
触れられると、思った。
そんな直感は、子供の時以来だった。
だけど、それは確信だった。
私は手を伸ばす。
指先が触れたとたん、その炎はぶわと私の腕を駆け上がった。
だけど、恐怖も、困惑も、驚愕もなかった。
何故だか、それが当然だというかのように、腕に上がった炎を、私は、分かり切った操作のように、まるで、ただ、呪力を手のひらに集めるだけかのように、手の上に集約した。
肩まで伸びた炎は、大人しく、手のひらの上で、また、カルシファーになった。
当然、やけどもなければ、服の袖に煤のひとつもつかなかった。
炎は、嬉しそうに瞬いていた。
なんとなく、そう思った。
ぱ、と、背景が変わる。
その昔、夜に抜け出して、廃ビルの屋上で古新聞を燃やして遊んだ夜の光景だった。
ぱ、と、また、切り替わる。
高校生になって、初めての一人部屋をもらって、嬉しくてうれしくて、寝る前にアロマキャンドルを焚いて、ぼんやりしているのが日課だった頃の光景だった。
ぱ、と、変わる。
急に、明るくなったその空間に、私は思わず、目を細める。
――――――見慣れた、葬儀式場の中だった。
どこの、誰の時だろう。
ステージにあるスタンドのお花には一つも札があがっていなくて。
目の前にあるお棺の小窓は締め切られていて。
わかることと言えば、宗派くらいで、他は、何も分からないけれど。
ご尊前の、経机の前に、棒立ちをしていた。
手のひらのカルシファーは、いなくなっている。
ただ、ぼうっと、故人様しかいない儀式場で、私は、燭台の火を、眺めていた。
聞きなれた、BGMが流れている。
所属地区の中で、一番大きな会館の、一番よくつかわれている式場だった。
「………あぁ、そうか、」
なんとなく、全てがわかった気がした。
そうだ。
自分のことについても、そして、この世界での、”私”についてもだ。
あの直感は、間違いではなかった。
私に"持たされた"のは、紛れもなく、あの瞬間にふと浮かんだ匂いと同じ。
ただただシンプルに、目的のわかり切った、一つのマッチだったのだ――――――