* 18 *
「釘崎さんたちを病院へ送り届けたら、私もなるべく早く戻ります」
「いや、もう伊地知さんはいてもあんまり意味ないので戻ってくるときは1級以上の術師と一緒にお願いします。いないと思うけど」
静かに揺れる車内。
私も、のばらちゃんも、何も話さなかった。
きっと、彼女は、虎杖くんが心配で。
そして、私は、虎杖くんが惜しくて。
分かっている。
彼は、戻ってくるのだ。知っている。
それでやはり、あんなに遠くからでも微かに感じた特級の呪力を前には、心配せざるを得ないのだ。
そして、そう。
この世界が、絶対的に私が知っている世界と同じかは、分からないのだから。
だって、何より、言い逃れがしようもなく、”私”という異分子が存在している。
その時点で、元々のこの世界は、私の知っている世界ではないのだ。
大まかな基盤が同じでも、世界は蝶の羽の風から些細な変化の波紋が広がって、しまいには天と地が入れ替わるくらい、大きく世界を覆していく。
ざあざあと、車の窓の向こうで、雨が降っている。
或いは、伏黒くんが、何か取返しのつかないことになってしまう可能性だってある。
本当は、病院になんて行きたくなかった。どうでもよかった。こんな体なんて。
でも、のばらちゃんをあの場から遠ざけるというのは、きっと、必要なことに違いなかった。
この子や、私がいたところで、負傷者が増えるだけ。最悪の場合、死んでしまうかもしれない。
そして何より、そんなに大きな変化を与えて、もし、伏黒くんが宿儺のお気に入りに入れなければ。
それだってまた、それだけで世界終焉シナリオに直結するほどの致命傷だ。
絶対に、それだけは、避けなければならない。
だから、私には、何をするでもなく、ただ大人しく、この車に乗ることしか、できなかったのだ。
◆◇◆◇◆
翌日。
特に何も考えないまま、朝、とりあえず、精神的なものが原因のけだるさを引きずって、無理やりに、教室に登校した。
幸い、私も怪我という怪我ではなく自然治癒で放っておいて大丈夫な類のものだったそうで、まだやや痛みはあるものの、問題なく、日常、を過ごす。
朝から、伏黒くんが明らかにおかしくて。
問い詰めて、虎杖くんの死が明らかになった。
のばらちゃんは、その時は、平然としたふりをしていて。
それが何より、私たちからすると痛ましいのだけれど、私も、伏黒くんも、そんな彼女に何か言ってやれるほど、気の利いた言葉をもっている人間ではなくて。
そんな彼女の強がりに甘えて、同じように皆、ただただ、もの静かに、生きていた。
「あ」
「……」
「……」
にこ、と、ぎこちなく笑む。
午後に差し掛かった頃だった。
おひるごはんを、のばらちゃんと二人で食べて、そののち。
彼女は何を言うでもなくどこかへ行ってしまったので、私も自販機でジュースだけを購入して、部屋に戻ろうとしていた。
そうしたら、そう。
ああ、この時間帯なのか、と思ったわけだけれど。
どうにも見慣れた光景が、あった。
高専内に数多くある神社や仏閣を模した建物の一つ、入口の階段の所に、物憂げな美女が一人、腰かけている。
あぁ、と思って何も気づかないふりをしてスマホを見たまま通り過ぎようか、と思ったのに、他でもないその美女が、酷く飾り気のない声を上げたものだから、私も、手元から、視線を上げざるを得なくて。
「あつくない?」
「…あついわよ」
何とか絞り出した言葉に、彼女もぎこちなく返事をした。
どうしようかな。
ぱったりと止まってしまった私の足を、彼女はぼんやりと眺めている。
分かっている。この後のことも知っている。
だけど、そんな顔をされてしまったら、このタイミングで、こんな顔をする友人を置いて立ち去るなんて行為が酷く薄情な気がしてしまって、どうにも私は、再び歩き出すことが出来なかった。
そして結局、私も喉乾いたな、と漏らした彼女に、じゃあ、これ、あげる。と、言い訳をして、手に持ったペットボトルを差し出し、そして、隣に腰を掛けた。
また、二人して、黙りこくったまま、座っていた。
「何やってんだ」
どこか優しい声音が、降ってきた。
建物から、伏黒くんが出てきたらしい。
「別に、何も」
もしかして、のばらちゃんはこの建物に伏黒くんがいたことを知っていたのかもしれない。
そうだとしたら、とても、可愛い。
「あっそ」
どす、と雑な音を立てて、やや後方に、彼も腰かけたようだった。
「なんで居座ってんのよ」
「道ふさいでる奴らがいるからだろ」
「どこをどう見たら塞がってるのよ」
二人して端っこに寄ってちまっと座っているというのに。
非常に不名誉だが、まあ、こうなることは知っていたから。
私は、何を言うでもなくそんな二人の言葉を聞いていた。
「……」
しばらくの沈黙。
日差しが、暑い季節になってきた、と思う。
「長生きしろよって…」
ぽつり、と、彼女が言った。
伏黒くんが、朝にこぼした、虎杖くんの最期の言葉だ。
「自分が死んでりゃ世話ないわよ。
…アンタたち、仲間が死ぬの、初めて?」
「タメは初めてだ」
「うん」
「ふーん。その割には二人とも平気そうね」
「………オマエもな」
「当然でしょ。会って2週間やそこらよ。…そんな男が死んで泣き喚く程、チョロい女じゃないのよ」
のばらちゃんは、良い女だな、と、本当に思う。
かっこいいのよ。本当に。私には、あと何年経ったってなれない、そんな強さがある。
涙も、声が震えるのも、全部全部飲み込んで、ただ、何でもない様なセリフを吐いて、なんて。
私には、きっと、到底できない。
「……暑いな」
「………そうね。夏服はまだかしら」
夏の雰囲気を纏った、鋭い日差しが降り注いでいる。
重たい空気を遮るように、ざり、と、音がする。
静かに視線だけを向ける。
先輩方のご帰還の様である。
「なんだ、いつもにもまして辛気臭いな、恵。お通夜かよ」
いつも通りの、真希さんだった。
今日もかっこよく、そして誰より、堂々としていた。
「禪院先輩」
気が付いた伏黒くんは顔を上げていった。
「私を苗字で呼ぶんじゃ―――――」
当然、いつものセリフ。
その呼び方を、彼女は嫌っていた。
いや、あるいは彼女たち、か。
「真希!真希!!!!!」
真希さんを呼ぶ声がする。
んだよ、と、言わんばかりに振り返る。
その視線を追った先。木の陰に、パンダさんと狗巻さんが半身でこちらを眺めている。
「まじで死んでるんですよ、昨日!!一年坊が一人!!」
「おかか!!」
「は や く い え や !」
びき、と、真希さんの表情が固まる。
いやそんな漫画表現ばりの冷や汗、人体で本当になるんだな。
「これじゃ私が血も涙もねえ鬼みたいだろ!!!!!」
「実際そんな感じだぞ!?」
「ツナマヨ」
「あぁ!?!んだと!?!」
「いやだからそういうとこだってば!!!」
「めんたいこ!!!!」
ぎゃあぎゃあと言い合いが始まる。
ああ、この騒がしさ、二年生!って感じするな。染み渡るわ。
一年生今喪中なのでね。
「何、あの人たち」
「二年の先輩。女子の方が禪院先輩。呪具の扱いなら学生一だ。
で、あっちが呪言師、狗巻先輩。語彙がおにぎりの具しかない。
最後がパンダ先輩。
あと一人乙骨先輩って唯一手放しで尊敬できる人がいるが、今海外」
「アンタパンダをパンダで済ませるつもりか」
「ちなみに禪院さんが私がこないだ言ってた真希さんやで」
「…?あぁ、」
「いやースマンな。喪中に。許して」
「だがオマエたちに”京都姉妹校交流会”に出てほしくてな」
「京都姉妹校交流会?」
「京都にあるもう一校の高専との交流会だ」
「でも2、3年メインのイベントですよね?」
「その三年のボンクラが停学中なんだ。人数が足んねえ。だからオマエら出ろ」
「交流会って何するの?スマブラ?」
「なら三人でやるわ。
東京校、京都校。それぞれの学長が提案した勝負方法を一日ずつ。2日間かけて行う。
つってもそれは建前で初日が団体戦、二日目が個人戦って毎年決まってる」
「しゃけ」
「個人戦団体戦って…戦うの!?呪術師同士で?!」
「あぁ。殺す以外なら何してもいい呪術合戦だ」
「逆に殺されない様ミッチリしごいてやるぞ」
「ってかそんな暇あんの?人手不足なんでしょ?呪術師は」
「今はな。冬の終わりから春までの人間の陰気が初夏にドカっと呪いとなって現れる。繁忙期ってやつだ」
「年中忙しいってときもあるが、ボチボチ落ち着いてくると思うぜ」
「へえ〜〜〜〜〜〜」
「で」
にやり、と、二人(?)そろって、挑発的な笑み。
「やるだろ?」
「仲間が死んだんだもんな」
そんな先輩たちの煽りに、彼等が応える言葉は決まっている。
「「やる」」
だよな、と、真希さんは満足そうに笑った。
「でもしごきも交流会も意味ないと思ったら即やめるから」
「同じく」
「ハッ」
「まぁ、こんくらい生意気な方がやりがいあるわな」
「おかか」
「で?同級生たちはやる気満々みたいだが、お前はどうするんだ、くるる」
「え」
「えじゃねえよやるかやらねえか聞いてんだ」
「え、でも二人参加したら人数足りますよね?」
「たりねーよ、今年は向こうは7人いるからな、お前が参加したってうちは一人足りねえんだよ」
「そうなんですか…?!」
そうだっけ…?!いやんな訳ないと思うけどな…?!
「まぁ、お前だけ不参加なんて認めるつもりハナからねえけどな」
「まぁそれはそうですよね〜〜〜〜〜!」
「やるからには死ぬ気でやれよ」
「ち、ちっす!!頑張ります!!!可能な限り!!!」
おかしいな!!交流会はのんびり傍観するつもりだったのにな!!