* 17 *




「……惨い、」

 わぁ、
 っていう感嘆符をすんでで飲み込んだ。

 目の前には、三人分の肉。
 一人分の切り離された上半身と、それから、丸められた、他。

 非常に、好みのオブジェクトと化している。

「三人…でいいんだよな」
「そう、みたいね」

 たっと虎杖くんが、上半身に駆け寄った。

 今日、ついに私たちは、例の少年院の任務に来ている。
 虎杖くんの、第一命日である。
 ……第一命日ってパワーワードかもしれんな。

「この遺体、もって帰る。」
「え」
「あの人の子供だ。顔はそんなにやられていない」
「でもっ」
「遺体もなしで”死にました”じゃ納得できねぇだろ」

 困惑するのばらちゃんを横目に、伏黒くんは躊躇なく、そんなことを言う虎杖くんの襟首を掴んだ。

「あと二人、生死を確認しなきゃならん。その遺体はおいてけ」
「…振り返れば来た道がなくなってる。後で戻る余裕はねえだろ」
「”後にしろ”じゃねえ。”置いてけ”っつったんだ。
 ただでさえ助ける気のない人間を死体になってまで救う気は、俺にはない」

 すまんがそれに関しては割と私も賛同派である。
 功利主義を気取るつもりはないけど、その子たちよりは、その子たちが殺した子、の方が、バックグラウンドにいる”悲しんだ人間”の数は絶対的に多いに決まっている。
 (まあだからといって弔わなくていいかと言われれば話は別だが)

「…どういう意味だ」

 虎杖くんも、躊躇なくつかみ返す。
 おう、いいなあ。男の子同士、って感じ。そういう友情の形は女には生まれにくい。

「ここは少年院だぞ。呪術師には現場のあらゆる情報が事前に開示される。
 そいつは無免許運転で下校中の女子を跳ねてる。”二度目の”無免許運転でだ」
「!」
「お前は大勢の人間を助け、正しい死に導くことに拘っているな」

 ”正しい死”という言葉は好ましいかもな。
 その、どこまで突き詰めたって絶対に正解なんて出しえない、哲学的な概念だから。

「だが自分が助けた人間が将来、人を殺したらどうする」

 そうだな。このメンツの中で、”わかりやすい善”の立場をとるのは、虎杖くんのように見えて、その実伏黒くんであるのかもしれない。
 彼の主張は一貫していて、そして昔から一定数確実にその立場をとる人間がいるような、どこまでも”人間的”な感性だ。
 批判的意味のない、”自己中心的”な意見ともいえる。己の向ける情が基本的な基準であり、でも、だからこそ同じ視界を知っている人間には至極共感を得やすい判断基準だ。
 意外と一番、非合理的だともいえる。もちろんこの言葉にも批判的な意味などは無い。

 何てったってほかでもない私も「私の感性だけが判断基準」という類の人間だからな。
 どれだけ正しくても、大人数に支持されていても、私が不快だと思えば不快だし、どれだけ周りから嫌われていても、間違っているといわれても、私が好きだと思ったら好きなのだ。そして、好きな人は、少なくとも私にとっては正しくて、肯定すべきものだ。まあ、そこに関しては限度があるけど。著しく集団の輪を乱すことは私は悪とみなしているので。

「じゃあなんで俺は助けたんだよ!!!!」

 黙殺。
 代わりに、ぐ、と、襟ぐりを掴む手に力が入った。
 何かの予備動作のようだった。

「ああ、もう!」

 だが、そう。
 こういうときにちゃんと仲裁に入るというのが、メインヒロイン、というもの。
 男2,女1の、理想的な関係性。

 時にぶつかり合う覚悟もあるくらいの、腹を割った信頼のある男二人、それを時に厳しく、時に優しく見守り、そして導く聖母性を持つ、それでも、男たちに負けない強さのある女。
 昔から語り継がれてきた基本形を現代風に素敵にした、とてもバランスのいいトリオ。

 いいね。のばらちゃんが来てくれて一気に私の傍観者性が高まった。
 私には先述のようなヒロインは到底務まらない。

「いい加減にしろ!!」

 私にできるのはせいぜい、ゆるふわ日常系女しか出てこない中身ない深夜アニメのサブキャラくらいだ。
 メインキャラに参入できるほど頭おかしくもないし。まあモブでいいならそれが一番だが。

「時と場所を弁え―――――」

 がくっと、かかとの落ちる感覚。
 …あぁ、まあ、予想はついていた。

 そうですか。私はやっぱりこっち側な訳ね。

 ずる、と生暖かい粘液が足を飲み込む感覚。
 そのまま、体は沈んでいった。
 瞠目して、つかみ合ったまま少年たちは私らが飲み込まれていく光景をただ眺めていた。


 ……あ!!!ちょっとまてここで分断ってことは特級ちゃん見れへんということやないか!?!?!
 くそ、命を取るか推しを取るかか………どっちでもよいな、うん、転んだ方に大人しくしたがっとくか。



「くるる!」
「いるよ」

 真っ暗な空間。
 のばらちゃんが私を探している。

「どこ」
「ここ」
「話し続けて」
「そうね、何を言おうか」
「なんでもいいわ」
「いっぱいいますね」
「そうね」
「勝てそう?」
「勝つわよ」
「のばらちゃんつよいからね」

 お互いの声を頼りに、手探りで、近づいていく。
 闇雲に、左手で闇を掻く。

「あ、のばらちゃん」
「なに」
「ちょっと、距離あるうちにしとくから、心構えして」
「え、何」
「多分、とても、不愉快になると思う」
「何のことよ」
「武器を、出すね。この武器、出すとき、どうやらとても不愉快な気を放つらしいから」
「何それ」
「まあ、嗅いだら、わかるよ」
「嗅ぐ?」

 かち、と、手探りで、腰に下げた球体を取る。
 さあ、今日も熊ガチャの時間だ。

「―――――!!!」

 ああ、エモいな。
 真っ暗で、おびただしい悪意にさらされながら、手のひらのなかで不快に球体の蠢く感覚。
 最近は完全に慣れ切ってしまっていて、今日は生暖かいとか冷たいとか固いとか、そんな程度にしか思わなかったけど。
 流石に、のばらちゃんが勝ちきれないほどの呪霊の手の平の上。

 その怖気と相まって、自分で気分を盛り上げなくたって、勝手にぞわぞわと背筋が粟立つ。

 暗い所為で、余計に手の先に意識が向く。
 ずるずると、ウナギでも腕を這うような感覚だった。
 指の先から入って、直接、脳を這いずり回るような。

 …あぁ、臭い。魚臭い。
 海鮮の居酒屋でふざけてタイの頭を夏の夜、一晩常温で放置した時の臭いにそっくりだ。

 あれ、SAN値イカれたよなあ。またそれも丁度、酔歩する男?だっけ?読んだ直後だったからめちゃくちゃ刺さったんだよなあ。

 或いは、あの古物商の、惨劇の匂い、とも言えるかな。

「大丈夫やった?」

 息をのんだ気配以降、身じろぎすらした様子のないのばらちゃんに、私は声を投げる。
 ひゅ、と、乾いた呼吸音が聞こえた。
 かわいいところもあるね。ずるい女だ。

「大丈夫、でも、なに、それ」
「そういう呪物みたい。」
「あんたも呪物タイプ?」
「そうね。真希さんほど、玄人じゃないけど」
「真希さん?」
「あぁ、知らないかごめんごめん。そういう人がいるのよ」
「ふうん。で、どこにいんのよ」
「ここよー」

 その直後に私に触れるのは怖いんじゃないかと思って、私はあえて立ち止まっていたのだが、のばらちゃんはつかつかと近づいてくるようだった。
 さっき、ちょっと光ったし、ある程度の場所は分かったのだろう。

 このへんね。
 丁度そういった時。
 ぱし、と、少し乱雑に、彼女の手と思しきものが手に触れた。

 …あぁ、可哀そうに。冷え切ってしまった。
 相当怖かったんやね。

 償いもかねて、その手を温めるようにしっかり握った。
 血流を促すように、少しだけにぎにぎとしていたら、なによ、と笑われた。

「で、こんだけのんびりしていて、全然姿も形も見えないわけだけど」

 手は離さないまま、のばらちゃんが言った。

「ああ、基本的に、あれやると呪霊、一旦めっちゃ距離とるんよ。多分、それ」
「……まあ確かに、気持ちはわかるわ。別に呪霊に限ったことじゃないんじゃない」
「やっぱり?」
「ええ」

 などと言っていれば、不意に、背後から光のようなものが見えた。
 かすかに、のばらちゃんと思しきシルエットも目視できた。

 振り返る。

 大きな、白い仮面が、そこにあった。

 それを目視した直後。

 まるで、暗闇が、ただの黒い背景に変わったかのように、視界が機能を始める。
 私たちの背後には、おびただしい数の仮面の顔をした呪霊と、他にも似たようなレベルの呪霊が、にやにやと不快極まる笑みをたたえて、浮遊していた。

「……クソほどいるじゃねえか」
「ね。すごいなこれ」

 お互いの姿も見えるようになったこともあって、のばらちゃんは静かに私の手を離した。
 そして、腰を落として、構える。

 うん、大丈夫。
 伏黒くんが助けに来てくれるから、それまで、死ななければいいだけ。
 …まあ、台本通りなら、だけど。

 いやでもわんさんがのばらちゃんの呪力かぎつけられるくらいなんだから、今のりんほんの初手ノックバックだって空間を貫通しているはず。
 結構遠くまで不快さお届けできるらしいし、結構いい目印になったんちゃうかな。

 でも漫画で見たくらいの圧倒的な力差だから、ともすれば初手で首ちょんぱされてもうてる可能性だってなきにしもあらずやからな。
 ほんと、いちみりの立ち位置の差で生死すら変わってくる勢いやからな。楽観はしてられへんけど。

「とっとと片付けて、青春野郎どもを探すわよ」
「そうね」

 言うが早いか、のばらちゃんが先制攻撃を仕掛けた。
 いい音を立てて、釘が飛んでいく。

 私も呪力を使って、思いっきり跳躍をした。
 おお、着地の地面見えないの怖いね!





「……だああ!もう!どんだけいるのよ!」

 しばらくの攻防ののち。
 そろそろ手数が無くなってきたのか、のばらちゃんは少しの焦燥をにじませながら言った。
 そうですね、私も流石に疲れてきました。

 めちゃくちゃ強い、というよりは、そこそこ強いのが無限に湧く、という感じ。
 倒しても倒しても、それはあざ笑うように、次から次へと現れる。

 前衛にかける私と、後方支援もお手の物なのばらちゃん。
 完全後方支援に立ってくれるとそれはそれでやりやすいな。
 お陰で危なげなく撃破出来ている。

 ……だが、嫌な予感も、かすかにする。

 ああ、やだやだ。これは多分、被害妄想と言うか、私の不安症が出てるだけだと信じたいが。
 待たされている時間というのは長く感じがちなもの。
 分かっている。頭では。

 それでも、こんなに長いこと、かかるんだろうか。
 だって、特級の足止めを、虎杖くんがしているはず。ということは、あまりに時間がかかってしまうと、その分彼の命だってどんどん危機にさらされることになる。
 もしかしたら、もう―――――


 ああこら。あかんあかん!
 時間の流れが外とは違う結界だってないことはないんだ、悲観するな、まだ分からない。
 だって現に、まだのばらちゃんが捕獲されてしまうほど追い詰められてもいないんだから。
 待っている側だから、長く感じるだけ。

 そう、大丈夫だ。
 少なくとも、まだ、


「―――――!!!」

 ずるり、と、闇の中から大きな呪霊が現れた。
 今までの奴らとはどこか雰囲気が違う。
 微かな既視感。コイツか。のばらちゃんを追い詰めたのは。

「って、クソ離せ!」

 その呪霊は、右手のようなものを大きく振りかぶって、のばらちゃんに向かって振り下ろす。
 当然、飛びのこうとするわけだが、足を、別の何かに掴まれていて、失敗した。

「のばらちゃん!」

 反射的に、駆け出す。
 阻止する。腕を落とすだけで良い、



 ――――ドッ!!!


「っ!!!!」


 重い衝撃。体を、何かに横殴りにされた。
 肺の中の空気が無理に全部押し出されたようになって、私は床に転がされて、思いっきり咽る。

「ぐ、ゲホッ、ゲホゲホッ、」

 ぅえ、と小さく、嗚咽が出る。涙も出た。

 …のばらちゃんは!

 なんとか上体を起こす。何故だか目が痛くて、うまく開けられない。

「…!!!」

 ああ、予定通り。

 まるで扉が開いたみたいに、四角い光が闇をさして、見たような体勢で蛙に飲み込まれているのばらちゃんがいた。
 さらに体をひねる。伏黒くんがいた。

「行菱!大丈夫か!!」
「大丈夫!」

 慌てて涙をぬぐった。
 起き上がろうとすれば、式神らしき大蛇が心配するような様子で私にすり寄ってくる。
 蛇だと…?!?可愛いね…???!?!

「ひえ、可愛い子がおる…!」

 まだちょっと肺に違和感があるし、普通に体痛いけど、蛇を撫でたくて私は元気に起き上がった。
 いだだ。腕、よう分からん筋やらかした感がある。
 だが、大蛇さんいたわるように私の傍で止まる。遠慮なく撫でさせてもらうことにした。すまんが、それ以上の動きはできん。

 後ろから飛び出してきたわんさんが、残りの呪霊を元気に噛み千切った。
 頼もしいぜ、全く。

「あんたよくそんなの触れるわね」
「のばらちゃん爬虫類あかん?」
「無理」
「かえるの口の中にいる人がよく言うわ感あるけど」
「なんなら鳥肌で死にそうよ」
「悪かったな」

 まあとにかく、こちら側は無事、というところだ。
 幸運なことに足には特に問題がなさそうなので、そのままガンダで出口へ向かう。
 索敵もできるし出口もわかるし強いってワンさん有能すぎでは。

「ここだ」

 壁をさして、わんさんが吠えてる。
 流石に飛び込む勇気はなかったので、触れてみた。
 確かにすり抜けるようだ。

「行くぞ」
「はい!!!」「信じるわよ!」

 なんとなく、先陣を切った伏黒くんの服の裾を掴んで、それから、のばらちゃんの手を取った。
 そのまますぽん、と問題なく結界の外に出ることができた。

 ……駄目だ、体感時間がバグっている。
 どれくらいの時間がたっているのかも分からないし、虎杖くんが大丈夫そうなのかも分からない。

 ただ、どっと緊張の糸が切れてしまって、私はその場に座り込んだ。

「!」

 驚いたように、伏黒くんが合わせてしゃがみこんだ。

「ああ、違う違う、大丈夫ごめん。ちょっと疲れだけ」

 震えそうな声は腹筋で無理やり安定させる。
 ふう、と、疲れたふりをして大きく息を吐いた。あばらがいたい。これ、折れたとか言わないよね。
 骨折れたこととかないからどんなもんか分からんねんけど。こわ。

「大丈夫か」
「うん、すごく長く感じただけだよ」
「遅くなって悪い」
「ああ違う違う、そういう意味じゃなくて」
「……どこだ」
「え?」
「とぼけんな」

 いや本当にそんなつもりなくて疑問符が出た。何のことかと。

「どこの、何をやった」

 確実に、負傷者に対する問いだった。

「いや、別に大丈夫、」
「嘘つけ、お前嘘下手くそだっていい加減分かれよ」
「え、ええ?」

 全部ばれているそうです。
 ダメですか。まあそこまで必死に隠そうという気合は確かになかったかもしれない。が、普通そんなに細かな変化見つけれんくない?????

「肺か?」
「肺、ちょっといたい」

 観念して、言った。
 確かに、呼吸がおかしいなと言われた。呼吸がおかしいってなんだ…?!
 まあ確かにうまく吸えなくてちょっとたまに大きく吸ったり吐いたりしてるけど!

「あとは」
「腕の筋くらい」
「骨は?」
「大丈夫」
「本当だな」
「本当。ありがと」
「もう少し早く見つけられてれば、」
「いや大丈夫やって。二日も寝たら治るでこれ、多分」
「家入さんとこいけよ」
「いや行くけど!比喩やん!」
「あんたら元気ね……」

 疲れ切ったような声で、のばらちゃんは言った。
 彼女も知らぬ間に床に座りこんでいる。

「のばらちゃんが援護してくれたから随分、体力残ってる。ありがとね」
「良いわよ。お互い様」
「それはそう。お互い無事で、よかった」
「ええ、そうね」

 ふっと、施設を見上げる。
 虎杖くんは、とは、誰も言えなかった。

 わんさんは遠吠えを続けている。

 



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