* 03 *
「………はぁ」
結界の中に入るなり、伏黒くんはとんでもないクソデカため息をついた。
いやまあ、気持ちはわかるが。
「……これは異常です。一応教員に報告しましょう」
「そうですね」
二人は疲れ切った顔をしていた。まぁ、わかる。
たかが普通の下道。特に森の中でも山の中でもなかったというのに、角を曲がれば呪いの結界内。低級とはいえ複数体の呪霊が襲い掛かってくる。という展開を少なくとも5回はした。
いや流石にバグっている!なんも界隈のこと知らんがそれだけはわかる!!
まあそんなわけで私はそのまま学長室へ連行された。おお、そう来たか。
そして当然のようにいる、がっでむ!って感じの学長先生。と、可愛いぬいぐるみたち。
伊地知さんと伏黒くんが事情を説明してくれた。
やべー。私何しに来たとかこれから何を成すとか聞かれても答えられんわ〜〜〜。
「……」
「このまま、高専に編入してもらって、術師として呪霊の対処法を学んだ方がいいと思うんですが」
「……………」
ふしぐろ の せんせいこうげき!
がくちょう の ながいちんもく!
あまり こうかは ないようだ
黙殺はさせない、という目で、伏黒くんは学長を見つめ返している。
おや。伏黒くんが高専に押し込んでくれる流れ?いや別にいいよ?じゅじゅちゅは致死率高そうだし……なによりトリップしてきたとはいえヒロイン気取りたいわけじゃないし。
元の世界にさえ戻してくれれば。この世界でまた高校生を、しかも孤独にやり直すのはちょっと嫌ですけど。なんかめちゃくちゃ呪霊に寄られる体質になってしまっているみたいだし。
「確かに、たったこれだけの距離と時間でそれだけの遭遇数は常軌を逸している。高専で他の術師がするように任務に就いて実際に自分で体験しながら、呪霊の対処を学ぶというのは、とてもいいことだろう。
おそらく、それだけ引き寄せてしまうのも、彼女が呪力を制御、とどめることができないからだ。」
いろいろと、言葉を選んでくれているようなセリフだった。いいひとなんだな、と、それだけでわかる。
「だが、」
―――――えー。良いんじゃない?
いくらか聞いたことのある声が、学長のセリフにかぶさる。
……やはり、この世界に来てしまった以上、この男が関与してこないことなどありえなかったか。
「…五条」
知らぬ間に、怪しげな目隠し男が背後に立っていた。
ドアにもたれかかるようにして、いいじゃんと軽薄に言う彼は、そう、言わずもがな最強、五条悟である。
やっぱどうあがいてもそうなるんか。まあ、そらそうか、といえばそらそうなんだが。
まあでもこの位のテンションなら夢主にありがちなバグった好かれ展開とかもなさそうである。まともな感性、まともな審美眼。だいじ。
「学長はいつも難しく考えすぎ。
家もない。見知らぬ世界に来てしまった。外に出れば20分に1回は呪霊に襲われる。
そんなとんでもない状態の少女をピラニアの生け簀の中に放り込んで、何が呪術師だよって話な訳よ。
自力じゃ呪霊の被害を減らせない人達を助けるために、俺たちはいるんでしょ?
本来は人助けを主目的として掲げた組織でしょ?」
「………だがその過酷な地獄へ入り込まないように守ってやるのもまた、”俺たち”の役割だろう」
「回りくどいんだよなあ、学長は。昔っから!
じゃあ、言い方を変えよう。」
”そんなにいうなら、学長が、このいたいけな少女を呪霊がわんさかといる大都会東京のど真ん中に、捨てなおしてきてくれるんだね?”
にっこりと、人の悪い笑みで、五条悟はいう。
確かに、捨て猫をもう一回捨てて来なさい、というのは自身の罪悪感を他者に転嫁した発言ではあるのかもしれない。
じゃあこのつぶらな瞳で寒そうに震える小さな小さな命を直視してから言ってよ!そして、その腕でこの愛おしくすらあるぬくもりを抱いて、自分であの雨の降りしきるドブの近くに捨ててきてみなさいよと。
「少なくとも僕は嫌だよ。可哀想だもん。恵も嫌だよねえ」
「そりゃ、もちろん」
真面目な顔で(?)頷きあう二人。
困ったように、学長先生は再び黙りこくってしまった。
ちくちくとお裁縫をしていた手も止まる。
ちら、と伺うようにうつむきがちに、学長先生を見る。
「……もとより、拒むつもりはない。
ただ、想像を絶する、過酷な世界だ。足を踏み入れるというのなら、それ相応の覚悟を持てよ」
「あははっ、それなら最初からそういえばいいのに!」
けらけらと笑って、五条先生はバシバシと学長先生の肩を叩いた。
すまん、カワイイは作れるおじさん。元の世界に戻れるっていう手立てを誰も知らなさそうなので(雰囲気的に)泣き落とさせてもらったぞ。てか五条悟が出てきた時点で結末なんて決まってるんだろう貴様ら。無駄な時間も無駄な問答もコスパ悪いから省略せえ。
まぁそんなわけで凡人社畜ババア、紆余曲折ののち、呪術師として高校生活をやり直すことになったようです。
弟とも殴り合いのけんか一つ大してやったことがないので戦闘面に関してはめちゃくそ不安があるし、ろくな術式もないだろうからそこそこ学んで補助監督にでもなろうと思います。
生半可な気持ちでほんとにすまんとは思うが精神年齢的にはもうそろそろアラサーも近くなってくる頃なのよ。そんな情熱だけを熱源に、なんてことできる歳では到底なくなってしまっているのさね。
コスパをみつつ実現可能そうな人生計画立てていかないとね。冒険できるほど、もう若くはないんです。ほんと。多分フィジカルは若返ってると思うけど。めっちゃ体動くもん。びっくりよ。
◆◇◆◇◆
「……ふぅ」
とりあえず、新たに与えられた自室で、一息ついた。
呪術師、オカルト心霊を相手してるだけあって、夜に強い。
朝8時には業務開始してる社畜にはね、もうね夜9時くらいになるとね終わりが見えてくるんよ。
スタミナというか電池というか。
なんか忙しすぎてブーストかかってるときとかは別やけどさ。
もうすでに、日付は変わってしまっている。
夕方ですか?って勢いで普通に稼働しているこの施設も、それから当然のように元気に対応してくる諸先生方も本当にすごいわ…げんき……。
とりあえず、なんか多分お酒は入手できなかったので(当然)、それっぽく炭酸ジュースを買った。
炭酸ジュースなんかほとんど飲んだことないわ。そういえば。
かしゅ、と雰囲気だけでも。
いい音をさせて、ぐいっと勢いよく飲み下す。
まあ最近は禁酒もかねてノンアルのサワーもどきを飲んでたし。それと一緒だと思ったらね。
今日はこのままお風呂入らず寝てしまおうかな。
などと思いながら、元の世界と変わらないソシャゲをまわす。
データとんだとかじゃなくてよかった。唯一の心の支えである。
「じゃあ、編入の手続きとかもろもろは流石に明日に回そう。
でも、とりあえず流石に名前くらいは聞いておこうか。
僕は五条悟。この呪術高等専門学校で、教鞭をとっている。君は?」
酷く簡単なことのように、彼は私に、名前、を聞いた。
確かに、酷く簡単なことだ。
なのに、私は、とんでもなく難しいことを問われたような気持ちになって。
そして、少し、胸を張っては言えないような、打算じみた思考が、脳裏に過って。
「―――――――行菱、”くるる”です」
そして一つ、とてもとても、大きな嘘を、ついてしまった。
今思い出しても、心臓がばくばくする。
大きな嘘をつくの、私、苦手なんだよな。
行菱、くるる。
嘘だった。
苗字は元の世界のそれだけど、名前。名前を、嘘ついた。
元の世界の、本当の私の名前をもじった、所謂偽名、という奴だった。
でも、あの瞬間に名乗った名前が、この世界では私の本名になるということはわかっていた。
だから、かもしれない。
なんとなく、嘘をついた。
これが人間に必ず潜在的に存在する変身願望、という奴なのだろうか。
今までの自分とは全く関係のない、他の人間になってみたい。
そんな欲求が、私のどこかにも、潜んでいたのかもしれない。
あるいは、シンプルにあの世界での社畜の私ではないと、気持ちを切り替えたかった、という程度のことなのかもしれないが。
…だが、いずれにせよ。
後悔なんかしていないが、していたとしてももう遅い。
名乗ってしまった以上、私はもう、あの瞬間から”行菱くるる”という人間として、生きていかねばならないのだ。