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”それ”は、鮮血とともに現れた。
いきなり奇麗とは言い難い話で申し訳ないが、中学に入学して、最初の5月。
わたしは、早くもなく遅くもない(と、勝手に思っている)初潮を迎えた。
まあ、別に驚くことはないというか、母親がこのころだといっていたから、わたしもそんなもんだろうと心づもりはできていた。
おなかは痛いし、普通に怖いくらいの血が流れていくことに、初めは多少戸惑いはあったけど、まあ、そこまで気に病むことはなかった。
ーーーーーだけど、変化はそれだけではなかった。
確かにね、生理ってね、毎月直前直後だけでかなりメンタルあれるし体調も変化するし本当に別の人間になったような錯覚をしてしまうくらいなんだから、全く生理がなかった頃の「わたし」と生理が始まってしまってからの「わたし」では決定的に違う人間になってしまったといっても、確かに過言ではなかったのかもしれない。
まぁつまり、簡潔に言えば、だ。
その初潮とともに、わたしは「おかしなもの」が見えるようになった。
幼少期は、何の変哲もない子供だった。
確かに怖い話とか不思議な話は好きで、よく図書館の怪談タイプの本は読んでいたけれど、それだけだ。
霊感があるわけでもなく、そしてそれを騙るでもなく。
いかにもという薄暗くてしけった場所で頭がいたい、肩が重いなんて喚いたこともなければ、あそこに誰かいる、ここに黒い影があるなんてほのめかしたことだってなかった。
だって、わたしは純粋に知っていたのだ。
そういう、「嘘」は、少なくとも、「痛々しく」て、「うっとうしい」のだ。本当にそれを知覚しているなら、当然その例には漏れるけれども。
少なくとも、わたしは注目を集めたいがためだけにそんなでたらめを言う人のことは煩わしく思っていた。
あいにく愛想笑いも話を合わせるのも思ってないおべっかを言うのも全然カロリーを使わずできる人間だったので(どちらかというと、素直に不快感を態度に出す方がしんどいのだ)角を立てたり異議を申し立てたりすることはなかったが。
おっと閑話休題。
つまるところ、口に出してしまえば、そういう煩わしいタイプの人間として認識されてしまうかもしれないということが恐ろしくて、一度も口にも態度にも出したことはないが、あの、中学一年生の初夏から、わたしは、何か、他の人には見えないらしいものを、「見える」ようになってしまった。
ただ、その禍々しい姿形は、わたしから声を奪うには十分すぎるほどだった。
恐ろしくて、わたしは目をそらして、関わろうなんて当然思えなくて、”彼等”に気付かれないように、わたしも全く見えないふりをした。
そうすれば、”彼等”もわたしをほかの有象無象と同じ、何も知らないでのうのうと生きるその辺の「見えていない人」と変わらず見逃してくれていた。目に留まることは、ありがたいことに、なかったのだ。
そうして、息を殺して”彼等”を観察するうちに、それは外宇宙の生命体でも、恐ろしい悪魔たちでもなくて、人々が思い描く通りの「呪い」という存在なのだろうということが分かった。
そして、あるとき、本当に不意に、油断をして、母にそんなことをこぼしてしまった。
そうしたら、どうだろう。
情報が、知識が、出るわ出るわ。
やはり血は争えないというのだろうか。
母親の家系は代々、その「呪い」とやらを使って商売をしていた家系で、しかも日本のあまり表沙汰にはならないようなところにそれ専用の機関があり、意外にもそれなりの人数が、それらを対処するための商いをしている――――
などと、オカルト板の語りだしだったのならほぼ確実に読み飛ばしているだろう様な突拍子もない話に飛躍した。逆に、少年漫画くらいだったら興味をそそられたかもしれない。
そして母は、「見えてるなら、危ない目に合うかもしれないから」と言って、”彼等”に使う対処法をいくらかわたしに教えてくれた。
イメージしやすい様にいうと、彼等「呪い」の存在やそれらの纏うエネルギーを燃焼させ灰にする方法。
こういう「対処法」は、代々”見える”家系に密かに伝わっているものらしい。そして、実はこの日本の中にも、わたしたちと同じように、「呪い」を対処できる人達のことを「呪術師」と呼ぶのだと、母は言った。
「当然のようにこの術式が使えるってことは、赤にも十分”呪術師”としての才能があるってことだよ。」
ママはそれになるのがぜ〜〜〜〜〜〜ったいに嫌で家を飛び出してきちゃったクチだけど、もしも、今後の人生の中で赤が思うことがあって、壮絶な世界だってわかっていてもそこに飛び込みたい、と決心するなら、おじいちゃんに頼んで、その世界の門を開いてあげることはできるからね。
もちろん、危ない世界だから、ママとしてはそんなの知らないふりをして、ママみたいにのうのうと一般人の世界で暮らして天寿を全うしてほしいところだけど。
そんなことを言って、母は茶化すように笑った。
その言葉が、ずっとずっと、わたしにこびりついてしまった。
先述もした通り、中学生、という思春期の国は酷く厄介で、基本的には角を立てたくないわたしにとってはそこで暮らすことは酷く神経をすり減らすことだった。
そんな絶対王政にも似た息苦しい国の中で暮らして、一番初めに学んだのは「目立たないこと」だ。出る杭は打たれる、というのがあまりにも顕著な世界だった。少し、平均から外れたことを言えば後ろ指を指されてクスクスと笑われて、しまいには総スカンを食らうのだ。だから、自分の意見など全部飲み込んで、大多数の意見ににこにこと頷くことを覚えた。平穏に暮らすためには、それが一番、省エネで、かつ安全性が高かった。
だけど、そんな風にして二年も過ごすうちに、次第に、己の人間性について、不安に思う時間が増えた。
自分とはいったいどういう人物だっただろうか。確かに、元々波風を立てないことを好む人間であったのは確かであろうが、こんなに軽率に人の悪口にさも同調したかのような顔をする人間だっただろうか。人に悪意を向けるのは嫌いだったはずではないだろうか。クラスの〇〇くんがかっこよくて、なんて思う人間だっただろうか。
アイデンティティの確立、というのは大人になってさえ達成できることの少ない、人間が人生の中で持つ最も大きいともいえる課題の一つなのだそうだ。
わたしは、まさに、それにぶち当たってしまった。
当然、気付かなかったふりをして生きていくことも、容易といえば容易だっただろう。何せ、わたしの唯一といっていいほどの数少ない特技が「愛想笑い」なのだから。
どんなに同意しがたいことを言われてもさも共感してあげたかのように笑ってすます。それが、わたしの何より得意なことなのだ。
それでも、視界の端に入り込んでくる「あいつら」が、少しだけ、わたしのみじめな自己顕示欲を刺激した。
こんな何の特技も長所もない、落ちこぼれという「個性」すら持ち合わせることのできなかったわたしにも、「わたしにしかできないこと」に近いものがあるのかもしれない。
もちろん、他にもいくらか、「それ」を行う人がいるとは聞いていたが、とてもとても、数が少ないのだと聞いた。
そんな、稀有な存在に、もしかしたら、わたしだってなれてしまうのかもしれない。
ただでさえ思春期で、ただでさえ大人にだって簡単には達成できない課題を、特に困難に感じていたわたしにとって、それは、とてもとても、魅力というにはおこがましい、ほの暗い羨望を纏った「打算」となった。
だから、わたしは、「それ」を決意した。
平穏を崩すなんて、と野次るわたしがいた。
本当に、そんな過酷な世界で生きていくつもりか、と心配したふりをするわたしがいた。
実力主義の社会なんてお前には無理だ、と文句をいうわたしもいた。
だけど同時に、
落ちこぼれたならそれはそれで、いい「個性」じゃないかと嗤うわたしがいた。
別にそもそもその世界で大成しようなんて、できるなんて思っていないからと鼻で笑うわたしがいた。
未知の社会を、世界を見て見たいと思うのは当然じゃないか、と目を細めるわたしがいた。
だから、わたしは、
「――――――お母さん。わたし、呪術師に、なりたいんだ」
そう、宣言をした。