■ ■ ■

虎杖くん没直後の高専。
はなさんと青ちゃんはお留守番していた。






「あ、五条せんせえ、お帰りなさ――――」


 本当に、その日は”異質”だった。



 覇気だけで人を殺して練り歩いているような形相で、まるでわたしになんか気付いていないようなそぶりで、先生は、歩いてくる。
 いや、語弊があるかもしれない。

 五条先生はとても気取るのが早い。
 だからわたしなんかがその大きな身長に気付く頃にはとっくにこちらに気付いていて、わたしが声をかけるのを今か今かと待っている。

 だから、こちらとしても何も気負わず話かけられる。忙しいとか、今取り込み中で、とか、そういうことが起こらないのだ。

 でも、今日の先生は、そう、先述の通り、すごい形相をして、歩いていた。

「はな。はなは今のところオフなんだ?」

 声をかけられれば、流石に五条悟。気付かないわけはなくて、いつも通りの表情に戻って、いつもどおりの語調で返事をしてくれた。

「そうなんですよー」
「そっか。………あぁ、そうか」

 でも急に、何かを理解したかのように、とんでもなく不愉快な何かを見つけたように、先生は、低い声を出して、顎に手をやった。
 ……何か、気に障ることがあっただろうか。
 思わずひるんでしまって、わたしはじり、と後ずさりそうになる足を無理やり止める。

「…!あぁ、ごめん。怖かったね。違うよ、はなは、何も、悪くない」

 悪い奴は、どうやらこの世界にはたくさんいるらしいけど。
 漫画の読みすぎなのか、或いは本当に何かあるのか、大仰なことを言って、先生は、じゃあ、と手を振って通りすぎていってしまった。
 あ、さよなら。
 何とかそれだけを返して、わたしも再び、目的地に向かう歩みを再開した。


◆◇◆◇◆


「………っ」
「青、」

 少し。ほんの少しだけ、高専内がどよめきだしたのを感じて、青はおびえたように瞳を揺らす。
 現在高専にいる、補助監督さんたちが、何やら焦りを隠したような歩調で、いつもよりも少しだけ早い速度で歩きぬけていった。

「……何か、異常事態かも」

 どうしても、不安が収まらないらしい青は、挙句の果てに食事も喉を通らないと言い出して、食堂で一緒に、ということなら少しはましかと思って一緒に、食卓を囲んでいたのだが。
 それが、あだとなったらしい。

 時刻は、食事には随分中途半端な時間になってしまっていた。

「あ、金枝さん」

 割と親しめの補助監督さんを見つけたので、青がすかさず声をかける。
 金枝さんは、いつものゆるい調子で、瑞鳥ちゃんと邑咲ちゃん〜随分遅いごはんだね、なんてのんきぶったことを言った。

「何か、あったの」
「ええ?」
「なんだかみんな、焦ったような、」
「そう?…大丈夫、なんにもないよ。」

 そう、見え透いた嘘をついて、金枝さんはいつもみたいに穏やかに笑った。

 じゃあね、と手を振って去っていった金枝さんを見送った後、青はガタリとおもむろに席を立った。

「青、どこに」
「………ちょっと」

 そういって、彼女は足早にどこかへ向かってしまった。
 仕方がないので食事を片付けて、わたしも、食堂をあとにすることにした。

「……」

 青の様子が、本当に尋常ではない。どうしたんだろう。でも、明確なことは、言ってくれない。
 わからないなりに出来る励まし、というのには限度があるのだ。そもそも、わたしの行為が彼女を落ち着かせる効果があるのかもわからないが。

 そうして、所在なく、ふらふらと歩きまわっていた。
 購買に行ってみたり、グランドをのぞいてみたり。

「あ」

 そうこうするうちに、ばったりと、伏黒くんに遭遇した。
 あぁ…、医務室まで、きていたのか。

「…」
「お帰り、お疲れ様。医務室から出てきたん?怪我した?大丈夫やった?」

 黙りこくって、うつむくだけの彼に、わたしは、いつも通りの振りをして、能天気ぶって話しかけた。
 怖かった。何故だかわからないけど、とても、怖かったのだ。

 彼が、これ以上なく、沈み切ってしまっている、のを、察知してると、ばれてしまうのが。

 す、と、静かに、彼はこちらへ歩み寄ってくる。
 わたしは従順に、それを待った。

 そういて、ある程度のところで足を止めたかと思えば、彼はおもむろに、わたしの肩をつかむ。

 その手は、酷く力なくて、どこか、震えているような気さえした。

「……伏黒くん?」

 彼の右手につかまれた、左肩。それが、とても冷えているように感じて、それがなんだか、とても可哀そうだと思った。

「………」

 伏黒くんは、何も言わない。
 どうしたの、と、わたしも言えなかった。

「伏黒くん」
「……」

 うつむいた目は、どこか下の方の一点を、見つめ続けている。
 何かを、必死に、腹の底に押しとどめているようだった。

「…………、」

 わたしは静かに、その手を取った。
 わたしも別に、体温が高い部類ではないけれど、それでも、その冷たい手をあっためるように、下ろして、わたしの両手でつつみこんだ。
 血を通わせるように、にぎにぎと、握る。

「…九条」
「うん。なあに?」
「…………九条。」
「うん、おるよ」

 わたしも、彼にならって、手だけを見つめていた。
 猫は、目を合わせると警戒するらしい。緊張するらしい。そらすか、ゆっくりと、まばたきをしてあげるといい、と聞いたことがある。

「……」

 そんな、彼の様子をみていたら、なんとなく、わかってしまった気がする。
 じんわりと広がる恐怖と同様を、彼にさとられないように、ゆっくりと、飲み下す。

 だれ。
 油断すれば、その二文字が、口の端からこぼれてしまいそうだった。

「伏黒くん」

 でも、少なくとも、貴方ではないんだね。
 誰だったとしても、悲しいし、痛いけれど、それでも、伏黒くんじゃなかったことが、何よりもうれしいと思う気持ちも、本当だった。

「………、」

 少しずつ、温度の戻ってくる、大きな手のひら。
 代わりに、わたしの手が冷えて、皮膚の下のからだの中身が、全部ぐちゃぐちゃになっていくような気がしたけど、気のせいだ、と、無理やりに無視をする。

 待つ。
 それは、わたしの、小さな意地だった。

「……ただいま」
「…うん、お帰り」

 悔しさなのか、後悔なのか、或いは、絶望なのか。
 ともすれば、生きていてごめんなさい、なんて意味に聞こえそうな、そんな言葉だった。
 彼は、そんなことだけは言わないと、わかっているから、かろうじて、聞き間違えることはなかったけれど。

「……虎杖が」

 虎杖くん、

「……っ、うん、」

 虎杖くん、なのか。
 朝聞いた、突き抜けるような明るい声が、耳の中で鳴る。

 夏の、真っ青な空がよく似合う、屈託なく、少年らしく笑う、彼。

 そんな彼のいないこの場は、酷く静かで、耳が痛くなりそうなほどだった。

 伏黒くんの、呼吸が震えているのすら聞こえる、静寂。

 ようやく腹を決めたのだろう。
 す、と、気合を入れるときみたいに息を吸って、にぎにぎと意味もなく動かしていたわたしの両手を捕まえるように、ぎゅ、と、握り返される。




 ――――虎杖が、死んだ。




 そんな、簡潔に、他人に事実を伝える言葉を吐くのは、そりゃあもう、覚悟の必要だったことだろう。
 だって、言ってしまったら、認めてしまった気がするから。その現実に抗うことを、あきらめてしまったような気がしてしまうから。

 そして、そんな言葉を受け止めるのだって、相当の心づもりが必要だった。

 少し、準備の時間をくれたことは、感謝するべきなのかもしれないと、思ってみる。
 紛うことなき、現実逃避だった。



◆◇◆◇◆



「青」

 青は、泣いていた。当然だと思う。わたしたちには、涙をこらえることは、できなかった。

 簡潔に、事実を告げた伏黒くんは、おもむろに、わたしの両手から手を逃がして、そして、わしわしとわんさんたちにやるみたいに、頭を撫でた。

 そんなつもりなかったけど、酷く、泣きそうな顔をしていたのだと思う。
 そして、手の温度をあらためて感じてしまって、わたしは涙をこらえきれなくなった。

 ”それ”を、目の当たりにしただろう人間の前で、そんな人間を差し置いて泣きじゃくるのは、ずるいことだとわかっていた。少なくとも、そういって批判されかねないことだと、知っていた。
 だけど、止められなかった。
 青と、そして何より、彼のその反応と声音が、その”死”が、どうしようもない真実だと、わたしに乱暴に突きつけてきたのだから。

 彼は、咎めなかった。
 そんな余裕がなかっただけなのか、或いは、そのずるい行いを許してくれていたのか。
 そのどちらかなんて、考えているほどの余裕は、わたしにも、そして彼にも。きっとなかったに違いない。

「……はな」

 彼女は、素直だった。
 泣いているのを隠そうともしないで、びちゃびちゃになった目元をぬぐうこともしないで、わたしを振り返る。

 ふ、と、両手が出た。
 わたしは、その両手も、受け止める。
 そのまま、彼女は痛いほどに、わたしを抱きしめる。
 そしてそのまま、青は人の肩でわんわん泣いた。

 ……自分以上に、感情を表出してくれる人がいると、少しだけ、救われたような気持ちになるな。

 あやすように、彼女の後頭部を撫でながら、わたしはそんなことを思った。
 慰めるふりをして、その実これは、その青への己の愛情を表現して、冷たく張り裂けそうな胸の内を、少しだけ温めようとする行為だ。

 そして、ふと、それが、先ほどの彼と、少なくとも行動だけは、同じものだということに気が付く。


 ……彼にとっても、わたしのさっきの”ズル”が、少しでもわたしにとっての青のように作用してくれていたら、いいんだけどな。



 そんなことを、思ってみた。



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