露の干ぬ間に
月は窓格子の向こうにほの白く暈されていた。ほんのひと吹きで糊づけの甘い薄紙のように心もとなく剥がれてしまいそうだ。清らかに澄んだ外気は朝靄の香りをしっとりとふくみつつ、人肌と人肌とに温められた寝床の枕辺にまで漂ってくる。火鼠の衣を手繰り寄せる衣擦れさえもしのばせながら犬夜叉は身支度を整えた。暁に発つと申し合わせてあった。その相手も今はまだ彼のように炉端に座り、妻と三人の子らのすこやかな寝顔を飽きることなく眺めているのだろう。
ようよう満ち足りて旅立ちかけたところへ、背後から不意打ちの声が投げかけられた。
「──行ってきます、の挨拶は?」
してくれないの、と、清らかな乙女の顔に魔性の微笑みを刷いて白い上体を衾から起こしかける。もうしたからという一言を彼は生唾とともに呑み込んだ。
戸口の菰が風もなしにしばらく揺れていた。編み目に差しこまれた白い花から夜明けの光がはらはらとしたたり落ちた。
2020.10.28