かごめ、加護女

 城下ではちょうど市の立つ日であるようだった。五月晴れの青天の下、濠端沿いに筵をひいた商人たちが、さかんに客引きの口上を張り上げている。
「これはまた賑やかな。──ちょうど良い、ここで手土産でも見繕うこととしましょうか」
 錫杖を涼やかに鳴らしながら、弥勒は「お祓い礼」の積荷を過分に載せた荷車を降りた。
 往き交う人々が、どこぞの城への貢ぎ物であろうかと、さも物珍しげに荷車やそれを曳く牛の手綱をとる犬夜叉の異形を眺めている。
「おまえも、かごめさまに何か選んでさしあげたらどうだ?」
「けっ。あいつがこんながらくた、欲しがるかよ」
「……まったく。おまえは相変わらず、おなごのことがまるでわかっていないのだな」
 つむじを曲げた犬夜叉は、まだ真剣に品定めしている弥勒を一人置き去りに、憮然とした顔つきで牛の手綱を引いた。
「弥勒の野郎、知った風なこと言いやがって。かごめのことは、おれが誰よりもわかってるに決まってるだろうが……」
 ぶつぶつ言いながら往来を歩いていると、ひときわ人だかりの目立つ一角に行き当たった。荷車では通れそうにないので、面倒がりながらも迂回しようとした時、
「──偉い巫女さまの厄受人形だとさ」
 不意に聞こえてきた素見客の声が、彼の犬耳をぴくりと動かした。巫女と名のつくものに反応せずにはおられぬ犬夜叉は、人波をかき分けて我先にとばかりに売り手と差し向かい合う。
「なんでい。その、厄受人形とやらは?」
 異形の半妖にいきなり鼻先で凄まれ、人形師は頭から冷水を被ったように青ざめ震え上がった。
「……近頃隣国にて噂される、さる高名な巫女さまのお姿をお借りしたものです。持ち主の厄災を引き受ける霊力を宿した人形でして、直々に──」
 犬夜叉の口から悩ましい溜息がこぼれた。その「人形」は実に精巧に作られていた。まさに彼の知る「実物」を、手に収まるほどの小人へ仕立て直したもののようだった。
 だがこれを不特定多数の人手に渡らせることは、非常に癪に触る。そこで彼は一計を案じた。
「勝手にこんなもん作りやがって。……おまえなあ、いつかきっと呪われるぞ?」
「──なっ、の、呪い!?」
「おう。呪いが怖けりゃ、人形の顔を作り変えるんだな。巫女の顔した人形なんざ、碌なもんじゃねえからな。人形には魂が宿るっていうぜ。そのうちこいつが、おまえの首を人形みてえに挿げ替えようとして……」
 はったりの効果は覿面だった。人形師はありもせぬ祟りにひどく怯え、金輪際巫女の人形は作らないことを涙ながらに約定した。

 段々畑の畦道を下っていくと、若穂の青く波打つ水田の向こうに、躑躅が広々と群生している。その中から、彼を呼ぶ声が響いた。
「おかえりなさーい、犬夜叉ー!」
 犬夜叉はぱっと手綱を離し、勢いあまって田圃道を転げ落ちそうになりながら、かごめが待つ躑躅畑の中へ飛び込んでいった。むせ返るような花の香りの中、彼女の匂いをたぐり寄せる。
「随分早かったのね。──あれ、弥勒さまは?」
「ちんたら遅えから、置いてきた」
 そのことを咎められる前に、先手を打って犬夜叉は背中に隠していた手土産を差し出した。
「わあ、ありがとう! きれいな菖蒲ね……」
「この前、染め物がしてえって言ってただろ。帰り際に市が立っててよ、そこで染め布を見て思い出したんだ」
「うん。覚えててくれたのね。犬夜叉、大好き」
 首筋に抱き着かれ、犬夜叉は躑躅の花の色がににじんだように顔を赤らめた。
「そんなに嬉しいかよ」
「嬉しいわよ。離れてても私のこと、思い出してくれるんだもん」
 市の話題の行きがけに、厄受人形のことを話してみた。かごめは、犬夜叉が人形師から、祟りのないよう丁重に供養をしてほしいとなかば押し付けられる形で引き取った一体をまじまじと見つめながら、困ったような、恥じらうような顔をした。
「おおかた、どこかでおまえが妖怪退治するのを見かけたんだろ。霊力がこもってるんだとよ。持ち主の厄災を引き受けるとかなんとか……。ま、どうせはったりだろうが」
 それを聞いたかごめは、好奇心をそそられたのか、「おすわり」と彼の耳に囁いた。
 犬夜叉はいつものごとく地面に這いつくばる覚悟を決めたが、体が下に引っ張られたように軽くぐらついただけで、普段のあの抗いがたい言霊の力は感じられなかった。
「……本当に、厄を引き受けたのか?」
 まさかと思いながらも人形を確認すると、その額に先程まではなかったひびが入っている。
「げっ。壊れてやがる!」
 犬夜叉は血の凍るような思いで傍らのかごめの前髪を掻き上げた。幸いにも、彼女自身の額には傷一つついていない。
「本当だ。人形にも、霊力を分けられるのねえ」
「……おい。『おすわり』は、禁止だからな?」
 訳知り顔で頷いているかごめに、彼がくれぐれもという様子で念を押す。
「ったく、気が気じゃねえ。あの人形師の野郎、こんなもん作りやがって……」
「でも、人形よ? 不幸の身代わりになってくれるなら、いいじゃない。そんなに気にしなくても──」
 犬夜叉は眉をひそめ、笑うに笑えなくなったかごめの瞳をじっと見つめた。
「人形だろうがなんだろうが、かごめの顔だ。おれにはかすり傷一つつけられやしねえ」
「犬夜叉」
「それに、おまえを身代わりにしてのうのうと無傷でいるくらいなら、おれは……」
 ずるいわ、と唇をとがらせてかごめが呟いた。
「私、いつも犬夜叉に守られてばかり。──私にも、あんたを守らせてよ」
 犬夜叉は、彼女の唇が微笑むのを見た。予感めいたものが彼の中で働いた。
「おまえ、まさか、この人形……」
 し、と内緒話のように口先に立てたかごめの人差し指は、ほのかな躑躅色に染まっている。その指先が人形の額に触れると、まるで血を分け与えられた分身のように、その傷は癒されていた。


20.05.17
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