孤毒



「おまえの名は、乙弥だよ」
 主人はこう言われました。手前の最も古い記憶に刻まれた声です。──私と共に来なさい、言葉はそう続きました。この世に息づいたその瞬間から、あの方のおそばを片時も離れたことはございません。
「苦労をかけるね」
 重大な危機に瀕した時など、度々、あの方は手前を労われます。式神は、血も汗も涙も流すことはありませんが、だからといってまったくの木偶ではないのです。お供をするうち、何度死を覚悟したことか知れません。その度にあの方が手ずから治してくださるのも、また事実ですが。
「手前が壊れてしまえば、摩緒さまを独りにしてしまいます」
「そうなれば、話し相手が居なくなってしまうな」
「人はなお壊れやすいですからね」
 そうだね、とあの方は首肯いて、いかにも壊れ物らしい扱いで手前の形代をお仕舞いになられました。
 いつの間にやら世の中は維新回天に浮かれ騒いでおります。公にしてあの方の太刀を持ち歩くことが益々難しくなりました。人の営みに深入りすることなく、長いこと人の世のうつろいを目にしてこられたあの方ですが、これより先は大いなる変化が待っているだろうと予感しておられます。
「──いつ、終わるのだろう」
 真新しい洋服に袖を通しながら、あの方は独り言のように口にされました。手前は返す言葉を思案しましたが、しばし考えあぐねておりました。




2019.11.15


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