眩 惑 横 丁



 四つめの角を曲がった瞬間、誰も居なくなった。肩を組みながら前を歩いていたはずの同僚も、千鳥足で後ろからついてくる上司も消え、ただ一人になっていた。
 千尋は思わず瞼を擦ってみるが、いまいちど目を開けてみても、状況は何一つとして変わらなかった。
 ──わたしも、ちょっと飲み過ぎたかな……。
 疲れたように息をつきながら、静まり返った夜の歓楽街へ足を踏み入れる。あたりを見回すと、どの店も灯りはついており、極彩色のネオンサインが至るところでチカチカと点滅をくりかえしていた。
「……変な場所」
 千尋ははたと立ち止まる。無人と思われた店の中から、こちらをじっと見つめる視線を感じたのだった。誰かがそこにいるらしい。やっと人心地がつき、安堵しながらその店に吸い寄せられていく。
「今日は、おひとりですか?」
 暖簾をくぐると、店主がたずねてきた。若い男の声だった。和服にたすきをかけた姿で、料理の仕込みをしているのか、こちらに背を向けている。
「いえ」
 こたえながら千尋は、手近な席に座ろうとした。
「さっきまでは、ひとりじゃなかったんです。会社の飲み会で……」
「もっと、近くへどうぞ」
 店主が振り返りもしないのに言った。千尋はやや間をおいて、まじまじと店主の後ろ姿を見るが、
「もっと、近くへ」
 同じ文句でうながされ、仕方なくカウンター席に移ることにする。
「あの……同僚たちとはぐれたみたいなんです。連絡してみてもいいですか?」
 了承を待たずに千尋は鞄から携帯をとりだした。が、画面を見て目を疑った。圏外になっており、通信ができないという。
「うそでしょ? どれだけの田舎なのよ……」
 千尋の嘆きを耳にした店主が、くすっと笑った。
「あの町にくらべれば、確かにここは田舎かな」
「──はい?」
「でも、あの人がいないおかげで、ここでは穏便に済ませられそうだ」
 店主の含蓄ある物言いに、千尋は首をかしげるばかりだった。
 が、結局、おいしい酒と肴を出してもらい、ついよもやま話に興じてしまった。店主は料理上手で、聞き上手で、千尋に対して気遣わしげだった。
「そろそろ、お帰りの時間ですよ」
 カウンターに突っ伏している千尋の頭に、店主の手が触れた。千尋はその感触に、妙な懐かしさをおぼえた。
「──また来てもいいですか? わたし、ここ、気に入っちゃいました」
「お気に召すまま」
 店主がまた微笑んだ、ような気がした。



19.05.26

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