琵琶御前びわごぜ



 その女が現れるのは、大抵雨の日の午後だった。
 鈍色によどむ川に架けられた、普段より人の往来の少ない橋の上で、女は手ずから琵琶をかき鳴らすのである。
 腕前はなかなかのものだった。なによりも、雨音に共鳴する琵琶の音色には、静かながらもなにやら切々とした情感が込められていて、ほつほつと橋を渡っていく通行人の足を止めずにはいられない。
 文様を排した黒の小袖に、深く被った菅笠すげがさ。銀杏に似た形のばちをもつ手はさながら雪のような白さで、どこか浮世離れした、ひやりと近寄りがたい空気を打掛としてその身にまとっている。
 一人や二人の観客があろうとなかろうと、奏者は気にかけることなく演奏に没頭していたが、ある気配を察知するや音曲おんぎょくをふつりと途絶えさせた。
「酔狂なことだな。いよいよ焼きが回ったか?──桔梗」
 くくく、と喉奥で邪悪な笑いを忍ばせる化生けしょうの者を、女は菅笠の陰から切れ長の目で睨めつける。──が、すぐに興醒めしたように視線を逸らし、ふたたび琵琶の弦を鳴らしはじめた。
「まがい物のきさまにも、一欠片の人らしさが残っていた……か」
 もはや取るに足らぬささいな雑言など耳に入らないのだろう。女の奏でる音色は、いよいよ哀切を増していく。
 雨の滴が川に打ちつけ、水面を毛羽立たせる。
 二度と添い遂げられぬ相手を想い琵琶を奏でる女と、女を抱擁することも破壊することもできずにいる男。
 水鏡が二人を映すことは、ない。



2019.03.19
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