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うつろひぬとも
私の先祖は、あの日もひとりで暮れなずむ空を眺めていた。
遠く離れた灌木の陰に隠れていたつもりが、気がつけば金の双眸はこちらに向けられていた。先祖は鼻がとてもよく利くのだということを、これからのことに胸高鳴るあまり、すっかり忘れていたのだ。
「──その刀。あなたの鉄砕牙を、どうかぼくに、譲ってくれませんか?」
ありったけの勇気を振りしぼり、私はたずねた。幼かった頃の私は、喉から手が出るほどあの刀を欲していたのだった。
先祖は、緊張して塑像のように固まっている私を、ちょこんと膝の上に乗せた。
念願のものを与えられた私は、思わず歓声をあげた。初めて手にした鉄砕牙は、ずっしりと重い刀だった。興奮しながら鞘から刀身を抜こうとすると、先祖が私の手を制した。心配そうな目つきだった。
「じゃあ……ぼくがもう少し大きくなったら、抜いてみてもいい?」
先祖は頷いた。頭をくしゃりと撫でられた。その時、私は先祖の手に何かが握り締められていることに気づいた。古びてすっかり色褪せた、手縫いの匂い袋だった。
「それ、誰のですか?──何が入っているの?」
鼻をひくつかせるが、匂いはなかった。不思議に思い首を傾げると、先祖はその匂い袋を大切そうに胸元にしまい、また私の頭を撫でた。──後になって聞いた話だが、それは先祖の妻だった巫女が縫ったもので、先祖はそれに巫女の遺髪を入れていたという。
先祖は、鉄砕牙も、火鼠の衣も、言霊の念珠も、持っているものは全て子孫達に与えてしまったが、その匂い袋だけは最後まで肌身離さず大事にしていた。
──きっと、遠い昔の残り香を、いつまでも懐に抱いていたかったのだろう、と思う。
2019.02.21