寿司を食べ終えて御満悦の主と、その主の隣で歩く従者。容姿端麗な異国人の二人は、通るたび冬木の人の目を惹いた。真白のキャリーバッグを引いて、近場のホテルに向かい漸くその姿が見えてきた頃ジャンヌが口を開いた。


「主、」

「どうしましたか?」

「主が申し上げた"折り入ってお願いしたい事"とは一体如何な事でしょうか。先日はお教え願えませんでしたので」

「まあ。そのことですか」


柔らかく笑んだセリアは何を思ったのか右手を掲げて、ジャンヌの前へと突き出す。状況が理解できないジャンヌに目尻を下げてもう一度微笑を浮かべると凛とした心地の良い声が響く。周囲の目が纏っては消えるが、そんな事も片隅も気にせずにセリアは【それ】を命令した。


「オルレアンの乙女、ジャンヌ・ダルクにオルディア・セリアが令呪を持って命ずる」

「――っ!!」

「聖杯戦争に必ずや勝利せよ」


ひゅん、と一つ目の令呪が青い光となってジャンヌに吸い込まれるように消える。

「二つ目の令呪を持って告げる。私を主とは思わぬように」


「そんっ…、主…!?」


輝かしい青に包まれて二つ目の令呪は消失した。更に重ねて三つ目の令呪を消費しようとするセリアをジャンヌが制する。ここで使い切ってしまったらもしもの時にセリアの身を守ることが出来なくなる。己のマスターの奇行に頭が付いていかず、ジャンヌは珍しく大きな声で問いただす。


「貴女は、一体何をお考えなのですか!令呪をまだ聖杯戦争は始まってもいないのに二つも使うなんて!」

「こうしなければ話すことが出来ないからです」

「…何故ですか?貴女がそうまでして請い願う所存とは何なのですか」



「私の代償は二つの令呪を削る事で果たしました。だから納得して欲しいのです」

「一体、何を」

「私は此度の聖杯戦争を、第四次聖杯戦争を持って終止符を打ちたいと考えております」


予想だにしなかった言葉にジャンヌが青い目を見開く。聖杯戦争を、終わらせる?それがこのマスターの聖杯戦争に参加する理由だというのか。自らの欲ではなく、その命を危険に晒してまで他人の為にそこまでするというのか。確かに、聖杯戦争において参加するサーヴァントや人間は皆大切だとジャンヌも考えていて一人脱落していく度に胸を痛めた記憶はずっと残っている。だが、今までそんな考えを持った愚かなマスターは存在しない。自分では成しえない奇跡を願って挑むのだ。


「だから、どうか私に協力してください。聖杯戦争の運営役としてこれは聖杯に背く言わば反乱行為に置けることは分かっております。ですが、」

「そんなことでしたら、わざわざ令呪を費やさずとも協力致します。主従権を放棄してまで貴女が臨むことでしたら尚更。ですが何故そこまでして他人の為に命を賭けるのですか?」


ただ一つ理解に悩む少女の異常なまでの優しさ。まるで慈愛に満ちた母のような願い。関わりの無い人間まで救いたいと思う彼女の意思は、一体どこから来たものなのか?ジャンヌは真っ直ぐに赤い双眸を見据えて答えを迫る。


「勿論答えるつもりで居ました。私は、祖母を第三次聖杯戦争で亡くしました」


面識は一切無かったけれど、時折訪れる母に聞いた話ではとても優しくて大らかな祖母だったらしい。いつも私が産まれるのを楽しみにしていた、と温かい眼(まなこ)で母は語ってくれた。そんな祖母も令呪が宿って聖杯戦争に参加せざるを得なかったのだ。…当代当主にオルディア家の更なる繁栄を願えと突き放されて。結果祖母は決戦で無残な死を迎えた。誰も幸せにならない。勝者が一人に対して、敗者は六人。悲しむ人の方が幸せを掴む人よりも多いなんて、可笑しな話だ。



「私は、もう誰も悲しまないで欲しい。この世全ての悲しみを消すことは出来ませんが、理不尽な死が少しでも減るならば私は命を賭します」



きゅ、と握られた白い手の平には青い令呪が映える。この小さな体にどれほどの重荷を背負ってきたのだろうか。無意識に伸ばした手は少女の柔らかく白い頬に触れていた。


「ジャンヌ?」

「一人で全て背負い込まないでください。少なくとも、今は私が居ます」



放っておけなくなった。自分を召喚したマスターこのとが。壊れ物に触れるように穏やかに撫でれば、セリアはくすぐったそうに肩を竦めた。


「マスター、そろそろ日が暮れてしまいます。早めにホテルに向かいましょう」

「私はもうマスターの権を放棄しました」

「ですが貴女が私をサーヴァントとして召喚した事実は変わりません。その証拠に貴女の手には令呪が在ります」

「ならばこの令呪を放棄します」

「…何故、そのようにマスターの権限を捨てるのですか」

「私は一人の人としてジャンヌの隣に立ちたいと思っています」


もじもじと顔を赤らめて下を俯くセリア。絶句。正にその一言に尽きる。どう返事を返したら良いのか分からず、必死にくるくると思考回路を廻らしていると聞き逃しそうな程か細く小さな声が聴こえる。


「…私は…ジャンヌの、…友人になりたい…です……」


いけませんか?と顔を上げた少女のルビーの如く赤々とした双眸は揺らぎ、緊張感がこちらにまで伝わって来そうで思わず苦笑が漏れる。



「私に、断る理由なんてありません」

「…っ!」

「元より主従関係は令呪によって破棄されました。ならばこれよりは、セリアの友人として共に戦います」


「いいのですか?本当に、私なんかが…」

「一つお教えします。嬉しく思ったときに伝えるのは『ありがとう』ですよ」

「…ありがとう、ジャンヌ」



それなら私からも一つ教えますね、と続けたセリアはジャンヌの手を取って笑った。


「友達に敬語は不要なんですよ」

「ですが、」

「私はいいんです。生来より敬語ばかり使ったので癖になってしまいました」


期待の眼差しを向けられては断る方法が見当たらない。少し間をおいて諦めると、ジャンヌは久方ぶりに友に語らうように言葉を発した。

「これからは私が無二の友達として共に居よう」


聖杯によって別離が齎(もたら)される、その最期の一時まで。