一人きりの閉鎖的な、狭い狭い世界。冷たい空気はいつだって私の体を包み込んで、独りであると思い知らされる。窓から見えたのは生まれて15回目に再び息を吹き返した淡い桜景色。きっと、いつかあの奇跡に触れられると信じて。



トロイメライ



小さな少女の影が、眩い閃光を眼前に揺れる。温かい陽だまりのような明るいハニーブラウンの髪に、耐え切れず細められた大きなガラス玉のような赤い双眸。この世に生を受けて19年と数ヶ月。冬の始まりを告げるような肌寒い空気さえも、彼女は心から愛おしかった。…この大理石の床に敷かれた聖水が眩むような光の源。彼女の今まで行ってきたどんな魔術よりも大きくて失敗は赦されない大魔術。その成功を示すかのように聳え立つのは、魔法陣の中心に現れた金糸の少女だった。



「――問おう。我を呼び、ルーラーの座を持って此の時代へと現界せしめたマスターは貴殿であるか」

「如何にも。オルレアンの乙女こと、彼の名高きフランス救国の英雄ジャンヌ・ダルクを召喚したのは私です」

「宜しい。ならば今此の時を持って契約は結ばれました。今より貴女が、私のマスターです」


恭しく頭を垂れた気高き騎士に、少女――セリアも相応の態度で対処する。そっと手の甲に押し付けられた唇は忠義の証。彼女の言う通り、この時を持って彼女の主になるということの証明なのだろう。右手に確(しっか)りと刻まれた青い令呪はどこか雪の結晶のような、静かな青を讃えている。



「そしてジャンヌ、貴女に一つ折り入ってお願いしたいことがあります」

「はい。私に届く物でしたら如何にも」


「私はこの戦いに命を落とす算段です」


静かにそう話す主に、ジャンヌが思わず目を見開いて一瞬思考回路が停止した。一体今、何といったのか。確かに命を賭す覚悟で参加する者が殆どであろうが、まさか端から死ぬるるつもりでいるマスターとは稀少だ。


「ごめんなさい、驚かせてしまいましたか?」

「…主。そんなに私の力量は信頼に置けませんか?」

「いいえ。寧ろ貴女程私に合ったサーヴァントは居ない筈、だから貴女の聖遺物を持って故意に召喚しました」

「ならば何故そのような、」

「私が生き残る道は有限ですが、確かに存在します。だけど、他のマスターと私の揃って生き残る未来が【視る】ことはできないのです」

「未来を…視る…?」


コクリと僅かに頷いたセリアは、自身の体を控えめに指差す。思わず眉を顰めたジャンヌに気が付くと、クスリと笑って胸から腹部までそっと撫で付ける。



「この体にはギリシア神話の女神、ウラニアの聖遺物が埋め込まれています。今はすっかり私の体に馴染み、彼女の持っていたとされる能力が宿りました。
先祖代の悲願は更なるオルディア家の繁栄です。その悲願の成就が先々代が授かり、そして当主たる私が譲り受けたウラニアのコンパス。ウラニアの持っていたとされる【未来予知】を叶える聖遺物です」


そしてその願いは叶い、今は13代続くこのオルディア家へと開花していき華々しい道を辿っている真っ最中。そして本来であれば名のある魔術家との子を儲け、生粋たる魔術師の血を持つ子に魔術刻印を授けてオルディア家はきっと更なる繁栄を遂げただろう。――だけどそれは、あくまで夢物語に過ぎない。


「数ヶ月程前でしょうか、ある未来を視ました」

「……」



尊い命が無残に散り行くその様を、私は何も出来ずに見届けていく。――有る者は幾十もの弾丸の氷雨に打ち抜かれ、有る者は上等なナイフに貫かれ、また有る者は呪縛の文字の羅列を叫び消え行く。黒い泥が赤々とした炎を発し、人々の叫び乞う悲痛な声音が木霊する。地獄絵図。これほどまでにこの惨状に当てはまる言葉は無いだろう。誰しもが守りたい者を掲げるものばかり消えて死に、恨み辛みを謡い幕を下ろす。こんな悲劇、現実に起こしてはならない。変えなければ、いけない。



「私は本来この聖杯戦争に存在しなかった8人目のマスターです。言うなれば此度の戦に置いてイレギュラーな存在。
少なからず未来には歪(ひずみ)が生じているはず。後はその歪みをどう正していくか、叶うことならば誰一人死ぬことの無い、嘆くことの無い結末を迎えたい」

「……そのために、自らの命を投げるというのですか?」



ジャンヌの問いに、まだうら若き当主は微笑みを返すだけだった。