ランサーと共に戦場を退散したセリアは、抱えて戻るというランサーもといディルムッドの意見を断り倉庫街を駆け抜けた。白いワンピースを翻し駆けるセリアにディルムッドが沈黙を破り口を開く。


「セリア様、そんな格好では冷えてしまいます」

「そうですね。普通ならそうなんですが、私寒さには強いんです」

「ですがいくら強いとおっしゃってもこの季節に半袖というのは如何なものかと…」

「大丈夫ですよディルムッド。それにセリアでいいと話した筈ですが?」


少し寂しそうに眉を下げてディルムッドに説くと、困ったように苦笑を浮かべる。申し訳ありませんと謝罪を返されて些か満足したのかセリアは再び前を向き大通りを目指す。この時間帯でもタクシーの一つがあるといいのですが…。


「ディルムッド、少し霊体化していただけませんか」

「構わないが…如何なされた」

「ここで悪目立ちするわけにはいきません。すぐ近くでまだ戦いは続いている筈です。
騒ぎを立てるのはあまり得策とは言えませんから」


そう言うや否や空気が揺れてディルムッドの姿が闇に溶ける。サーヴァント特有の魔力で居場所は分かるが視覚で捉えるのは不可能なのであまり距離を置くのは宜しくない。…正直、冷静を取り繕う内側では不安や蟠(わだかま)りがふつふつとセリアの中で湧いて出ている。これまでの小さな未来の変更などは後にはどうとも響かない、言ってしまえばケイネスとソラウの殺伐とした空気が多少軽くなった程度。セリアが参加したことには多少の未来の揺るぎはあれど、他のマスターにさほど影響は出ない僅かな変動に過ぎなかったのだ。――だが、今回のディルムッドの戦局への不参加はどうだろう。


「(もし、今未来が大きく変わってしまえばこちらの不利は免れない)」


今回の令呪の一画のキープも、未来が分かっていたからこそ行えた選択。しかし今回の一件がきっかけとなり戦局や出来事が変わってしまえば打つ手がなくなってしまう。自らの未来予知も都合よく見られるわけではない。つまり起こりうる最悪の事態の回避が不可能となることを指していた。令呪一つで払う代償にしては些か大きすぎたようだ。それに、これで衛宮切嗣にも自分はチェックされてしまった筈。漏れて困るような情報は持ち合わせていないが、今後の聖杯戦争においてまず自分が邪魔になることは明白だろう。つまりいつターゲットになってもおかしくは無いのだ。


「(不可視の魔術を掛けておくべきでしたね…)」

先を見据えない浅はかな行動に嫌気が差したころ、隣のディルムッドの空気が僅かに揺れた。そして間を置かずに聴こえる低い声に身を固める。



「サーヴァントの魔力です」


前方に立つ、幼子を連れた橙掛かった髪色の青年を見てディルムッドがそう呟く。見たところはどこにでも居そうな好青年。特に変わった様子もなければ、他のどのマスターからも感じるピリピリとした空気や警戒心が皆無。おまけに礼装も武器も持ち合わせずに、魔力すら申し訳程度にしか感じない。そこらに溢れかえる一般人と変わりないのだ。けれど右手に光る令呪が何よりもの決定打であった。


「(ディルムッド、警戒を怠らないでください)」

(承知しました)


口の動きだけで意思を読み取ったディルムッドがセリアの真隣へ立ち、相手の様子を窺う。『このまま何も起こらなければ』と祈るセリアの思いとは裏腹に、そのマスターはセリアに気がつくと歩みを進めてきた。顔には人好きしそうな爽やかな笑みを携えて。


「――――!」

「What?」

「aaー…、Can you speak Japanese?」

「I can't speak」


すると青年は困ったように頭を書いて次の言葉を考えているようだ。すぐさま返せない所を見るに、彼は英語が話せるわけではないらしい。仕方なく魔術を耳と口に施して青年との意思疎通を図ることにした。もしかしたら同盟の勧誘の可能性もある、穏便に事を運びたいセリアにとっては一組でも多く組みたいところ。



「言葉…通じますか?」

「すっげえ!あんた日本語も話せるんだ!!」

「ええ、まあ。それで私に何のお話が?」


尋ねるや否や青年は輝かしい笑顔でセリアの手を掴む。ディルムッドの警戒は崩れず、何かあれば直ぐに動ける体制を取っているままだ。

「あんたすっげえ綺麗!キュート!どう?これから少し暇ある?」

「……え?」

「もう超アートにしたい!旦那に見せたい!これは絶対旦那も気に入ってくれるぜ!」

「ちょっと待ってください。おっしゃる意味が良く分からないのですが…」


手を慌しく上下に振る青年に言葉が通じずに焦燥感が込み上げる。なんと返すべきか。迂闊に敵に着いて行く行為は間違えなく浅はか極まりない。油断させて殺すことも、工房に追い込み令呪を奪い取ることも可能。それを考えないマスターが居るとでも思うのか。青年が甘いのか、もしくは俄かに信じがたいが――聖杯戦争を、知らない。


「つかぬ事をお伺いしますが、聖杯戦争をご存知ですか?」

「セイ…ハイ…?……そういや旦那がそんなこと言ってたっけなー。ジャンヌがどうとか」


「ジャンヌ…」

フッと頭に浮かぶのは醜悪な触手の蠢く河川。そして次々とバケモノに殺されていく一般人。…何故忘れていたのか。サーヴァントの印象が強く、マスターへの関心が完全に薄らいでいた。思い出したその顔と目の前の青年は顔を構成するピース一つに至るまで同じ。冬木の大量虐殺の殺人犯、雨生龍之介だ。



「Restraint!」

「うわ!!」


唱えるや否や雨生龍之介の手首には金色の糸が何重にも巻かれ、言葉の通り手出しの出来ない格好へと拘束された。相手は殺人犯、しかしまだ殺した人数は少ない。これ以上被害を出さない為にもここで先手を打たなくてはならない。



「貴方のサーヴァントの所へ案内してください」

「サー…ヴァント…」

「青髭の元です」


きゅ、と手の拘束を強めれば龍之介はコクコクと頷く。下で意識を朦朧とさせている幼子に声を掛けて逃がしてやると、龍之介は目を見開いて涙を浮かべ悲痛そうに声を漏らす。…しかしそんな意識も数秒の間もなくセリアの隣に突然現れた美丈夫を見て消え去った。




「ディルムッド、先にお戻りください」

「なっ、何故ですか!貴女一人では危険だ」

「大丈夫です。もしもの事があればジャンヌを呼びますから」

「え!あんたジャンヌちゃん知ってんの!?」

「案内してくださったら教えます」


些か納得できないのか、ディルムッドが後ろ髪を引かれるように引いていく。完全にその姿が見えなくなったのを確認してセリアは龍之介に向き直り、そっと微笑を浮かべる。



「行きましょう」