――いつかまた、此の場所で






「ジャンヌ、そちらの準備はどうですか?」

「もう少しで終わるよ」

「こちらもあと少しです」


「ちょっとセリアー!手伝いなさいよ!」

「ソラウ様、それでしたら私が」

「あなたは引っ込んでいてディルムッド!!ケイネスのサーヴァントでしょう!」


ソラウの怒鳴り声がホテルの一室に木霊する。あまりの態度の豹変に驚きはしたものの、どこか嬉しそうなディルムッド。これでギクシャクした主従関係には終止符が打たれたのだから当然だろう。その華奢な手にダンボールを三段抱えたソラウは一体日本滞在期間にどれほど買い込んだのだろうか、頭を抱えたくなるような思いをしながらディルムッドはケイネスの元へと向かう。電話を切って慌ててソラウの残りのダンボール二箱を手に持ち、ケイネス、ソラウの後に続きフロントへ向かい予め手配したタクシーの運転手に渡した。


「協力、ご苦労だった」

「いいえ。この位いつでもお助けしますよ。…それはそうと、どうしてキャリーバッグをお使いにならないのですか?」

「部屋に置いておくからな」


そう。ケイネスもソラウもダンボールを使用してキャリーバッグを部屋に置き去りにしてきたのだ。その意味が理解できなかったセリアは、不躾かと想いながらもその疑問を口にした。しかしそんな純粋な質問にケイネスは鼻で笑って答える。


「貴様は確か、此処が衛宮切嗣に勘繰られる事を理由に拠点の変更を申し出たんだったかね」

「はい。相違ありません」

「ならばむざむざ部屋を空にする必要が何処にある。多少なりと荷物を残せばまだ私とソラウは留まっていると錯乱できるのだ」

「ケイネスも伊達にロード・エルメロイの名を貰っている訳ではないのよ。頭も少しなりともキレて当然なの」

「主、準備が整いました」


運転手に手伝い車に荷物を積んでいたディルムッドが戻ると、ソラウとケイネスがもう一台の車に乗り込む。残ったセリアとディルムッドは荷物の乗る車に乗り込み、ケイネス等が乗る車の後ろに着いて無線を耳に括りつける。もしも、の事が有ったら遅いとのことで通信機をケイネスに渡し何かあれば直ぐにこちらに伝わる状態にしておく。ふう、と一息ついてジャンヌにメールを入れて携帯を閉じた。ちらりと横を見ると、その当人ディルムッドも同じように自分を見ていたことに気がつく。


「私の顔になにかついていますか?」

「…いや、変わっていますね」

「顔がですか?」

「いいえ。何故初対面のケイネス様とソラウ様を救おうなどと」


分からないといった表情でディルムッドが眉を顰めた。ぽかん、と呆けた表情をした後にセリアがクスリと笑った。


「私が救いたいのは貴方もですよ、ディルムッド」

「は?」

「寧ろ本命は貴方です。私はあまりにも悲惨な末路を遂げた貴方に胸を痛めました」


聖杯戦争、最初の脱落者にして最も望まない最期で幕を閉じたランサー陣営。彼の口から出たとは考えられない呪いの言葉、批難の言葉を叩きつけながら泡沫となり消える姿をセリアはその目で見たのだ。――ただ、己の騎士道を。前世で叶わなかった忠義を果たしたいだけだったというのに。何一つ罪深き事を犯さない彼を聖杯は罰した。こんな終わりを迎えていいはずがない。優しく心清らかな彼に第二の人生を歩ませるチャンスを与えたい。白くか細い手をディルムッドの頬に置き、優しい手つきで撫ぜる。



「ディルムッド・オディナ。私の貴方へ求める願いは只一つ。この世でケイネス・エルメロイ・アーチボルトの元果たせなかった忠節を果たし、悔いの無い戦いを行いなさい」

「……貴女は、一体」

「只の一端の魔術師に過ぎませんよ」


クス、と笑うその温和な表情は慈愛に満ちた聖母の如く。無性に泣き出したいような、叫びたいような、そんなじんわりとした気持ちに満ちて胸が締め付けられる。――かつて己が歩んだ恋路への道は、代償が大きすぎた。唯一無二の主人を裏切り、グラニアとの逃避へと賭けた歩みは果たして自分にとっては良い選択であったかは分からない。子宝にも恵まれ、後悔はないがどこか置いてきた感情が在った。寂しさや虚しさが無かったといえば嘘になる。



「やはり、変わった御方です」

「そんなにですか」

「はい。俺が見てきた中で、一番優しい存在だ」


ふわりと初めて柔らかな表情を見せたディルムッドにセリアも息を呑む。黒子を無しにしたって相当の美丈夫であるし、何せこんなに綺麗に笑うのだから平気で居ろというほうが無理だろう。あ、と慌てて気を持ち直したセリアが話を切り替えて何でもないような話に花を咲かす。紅茶は何が好きですか?以前ソラウ様に頂いたアンブレが馴染みました。アンブレですか…初めて聞きました、アッサム何かもオススメですよ。それなら頂いた事がある。わずか10分足らずの移動時間であったが、何事もなくアパートに無事到着。あらかじめ取っておいたセリアから二つ離れた一室に荷物を移動させていく。



「ねえ、セリア」

「はい?」

「こんな場所に根を下ろせというの」

「ええ。中はそこそこですけど広い造りなので、数日間過ごすには支障ないかと思います」

「そう」


それだけ聞いたら満足したのか、ソラウは自分のポシェットを取り部屋に入っていく。せかせかと手伝いをするディルムッドに便乗し、セリアも手を動かした。しかし荷物の多いこと。よたよたと歩いていると、不意に腕から重みが消えた。


「セリア、休んでていいよ」

「すみませんジャンヌ」


控えめに頭を下げて、今日初めて肉眼で見る滞在場所に向かった。流石に今日は疲れた。睡眠不足が主な原因だが、少しでも養っておかなければ支障をきたすわけにはいかない。いつのまにか雨が上がり、空に虹が架かった頃不吉な知らせが予め飛ばしてあった使い魔によって時報される。――アサシンが、遠坂のサーヴァントによって仕留められた。無論この既成事実は知っていたしこれをアサシンの動きやすくするタメの餌ということも承知していたセリアは、大した焦燥もなくベッドに身を沈める。ただあるのは聖杯戦争が始まってしまったという事実。これよりは一瞬たりとも気を抜くことがゆるされぬ、血で血を洗う聖戦のおこない。もう、後には引き返せない。右手の令呪に誓いを立てるように、セリアは静かに唇を落とした。





火蓋は切って落とされた