騒がしく警報が内なる頭。妙な胸騒ぎが朝から収まらず、朝食も殆ど摂っていない。心配したジャンヌが医者に行くことを進めてきたが、セリアは静かに首を振ってホテルを出る支度を整えていた。早朝に契約は連絡で取っていたので、アパートの鍵を貰ったら直ぐに使うことができる。…早く工房を構えなければいけませんね。



「ジャンヌ、ホテルのロビーに預けてある貴重品を受け取ってきてもらえますか?」

「承知した」


すう、とジャンヌの姿が消えて壁に溶ける。こんなことで霊体化しなくてもいいのに、と思うが近々聖杯戦争が始まると教えたのできっと少しでも魔力の量を保たせるようにとの計らいだろう。まったく、どこまでも過保護なサーヴァントだ。くすりと零れる綻びを隠すように、トランクに荷物を詰め始めた。








「タクシーの列、すごいですね」

「仕様ない。直ぐに順番はくるよ」


そう言って最後尾に並ぶジャンヌに慌てて後を追うセリア。右手の令呪が無ければどちらがマスターか分からない、なんて思うジャンヌがクスっと笑う。重い荷物で塞がる両手を気遣うようにセリアが声を掛けるが問題ないとあしらった。列が進む。今にも振り出しそうな曇天に傘を買わなくては、と眉を寄せるセリアに頷いて前を向く。一組、また一組とタクシーに乗り込んで長蛇の列は次第に短くなっていき、漸く順番が回ってきた頃。後ろの扉が自動で開き、二人は車へ乗り込んだ。



「すみません、冬木ハイアットホテルまでお願いします」

「畏まりました」


ブロロロ、とエンジン音の後にタクシーが動き出す。目的地のアパートは冬木ハイアットホテルの近隣のアパート。そしていつでもマスターの内の一人、ケイネス・エルメロイ・アーチボルトの居るホテルだ。――真っ先に同盟を組もうと考えている、かつて己の居た時計塔の講師。ぽつ、ぽつと降り始めた雨に包まれる景色を眺めながらセリアは手のひらをきゅっと握った。


「セリア、」

「大丈夫です。共に、戦いましょう」


運転手には聴こえないように小さな声で。しっかりと結ばれた決意はセリアの胸の中に満ちて光の泡沫になり、溶けて広がる。悲しい結末の回避。それを叶うための第一歩、ケイネス・エルメロイ・アーチボルト率いるディルムッド・オディナとソラウ・ヌァザレ・ソフィアリの陣営の救出。この聖杯戦争において最も悲しく、救われない悲劇を遂げた人達。そっと左手に握られたペンダントに目をやる。抗魔力の効果のある結界、持ち主を魔力から守る役割を持つ秘術で造られたペンダント。これをミス・ソフィアリに渡すことが目的だ。彼女らを着実と破滅の道に歩ませたのは、ミスター・アーチボルトとの相違観。ミスター・エルメロイのディルムッドへの嫉妬、そしてディルムッドに恋焦がれるミス・ソフィアリ。この悪循環こそが協力関係を大きく仇なす原因だろう。まずはこの関係を正す為にとセリアが導き出した一つの答えである。商店街の角を曲がると、目的地の冬木ハイアットホテルが姿を見せる。財布から下ろした一万紙幣を五枚取り出し、運転手に手渡す。


「お釣りは入りません。安全運転でここまで連れて来てくださり、ありがとうございます」

「い、いやあの、」

「またご縁が合ったらお願いしますね」


たかが数千円の料金をこうも大きな金で渡されたら口ごもって当然だ。後ろから二人が降りたところで我に返り、頭を下げて見送る。一方セリアとジャンヌはそんな丁寧な順応に心が温かくなって、笑みを返した。


「さて、向かいましょう」

「アパートに?」

「違います。冬木ハイアットホテルにですよ」

「そ、そうか」


理解できないと言わんばかりに呆けたジャンヌを引き連れて、徒歩一分もないホテルへ向かった。如何にも金持ちが泊まるような無駄に豪華な内装に目がチカチカして痛むのを堪えて、セリアは迷うことなくフロントへ向かう。


「すみません、知り合いを呼び出して欲しいんですが」

「申し訳ございませんが、何か証明書の提示と該当者様のお名前を伺っても宜しいでしょうか?」

「もちろんです」




財布から偽証明書を渡し、ケイネス氏と話したいとのウマを伝える。無論偽造などバレるわけも無く、あっさりと連絡を入れてくれた。"聖堂協会の方からお話がある"と。勿論この名を出されれば間違いなく来る筈だ。受付の人に勧められてクッションに腰掛けると、間もなくミスター・エルメロイが現れた。――隣に、ミス・ソフィアリとランサーを連れて。



「聖堂協会の方が、私に何の用かね」

「まずは腰をお掛け」


ジャンヌがすっと回り、三人に向かいのソファへと促す。ピクリとランサーが眉を顰めるがまだ勘付かれてはいないはず。


「最初に謝罪をさせてください」

「何だね」


「私は、聖堂協会の者ではありません」


三人の目が開かれた。しかしケイネスは予想していたのか、ふっと嘲笑ののちに足を組み直してこちらに視線を向ける。今しがた擬似証明書の顔に変えていた魔術を解き、セリアは本来の愛らしいビスクドールのような面立ちに戻る。



「お久しぶりです、ケイネス先生」

「…オルディア・セリア君か」

「はい。騙すような真似を申し訳ありません」


深々と頭を垂れると、隣にジャンヌを侍(はべ)らせる。ディルムッドが口を開こうとしたのをジャンヌが目線で制す。ディルムッドが口を閉ざしたのを確認すると、セリアは用件を伝えるべく小さな口を開いた。



「今回は、ケイネス先生に折り入って同盟の申し出をしに参りました」

「…ほう。話だけでも聞いてやろう」

「恐れ入ります。本来私と、この隣に居る彼女は聖杯戦争に参加し得ない第8の陣営として参戦します」

「何?」

「そしてその目的こそが、未来の回避。訪れるべく悲劇の根本を覆すことこそが私の参戦する理由です」

「…そうか。確か君は未来が視えるらしいな」

「だから私は、ケイネス先生とソラウ先生。そしてサーヴァントの、ディルムッド・オディナ氏を救いたい」

「ちょっと待って、貴女何を言っているの」

「ソラウ先生、」

「確かにオルディア家の事は私も知っているわ。だけど一体さっきから何を言っているかわからないんだけれど?」

「そうだ。もう少し簡潔に述べたまえ」


「(この男、セリアが救ってやると言っているのに…!)セリア、」

「いいんですよジャンヌ。確かに核心をお話していませんでした、私は以前この聖杯戦争の全貌を視ました」

「全、貌?」

「はい。そこでランサー陣営、つまりケイネス・エルメロイ・アーチボルトとその援助者ソラウ・ヌァザレ・ソフィアリは銃殺され、ディルムッド・オディナは令呪を持って自害を命じられてこの戦争を最後まで呪い、恨みの言葉を紡ぎながら亡命します」


かつての教え子によって知らされた、此度の己の末路を聞いた三人は信じられないといった様子でその話に耳を傾けた。セリア・オルディアの未来透視能力は時計塔の上層部には言わずと知れており信憑性は充分すぎるほどある。しかも今回はその当主がわざわざ参戦してまで覆そうというのだから、鑑みて当然だ。この言葉もあながち嘘ではないだろう。暫く思案するように目を伏せていたケイネスが顔を上げる。

「つまり君は何が言いたいんだ」

「私はケイネス先生へのご恩を返したい。そして未来あるお二人が崩れていく様を見たくありません。
…なので、改めて私と同盟を組んで頂けませんか?」

「無論、同盟を結んだら私も惜しむことなく協力をするつもりだ」

「ただし一つ条件をつけさせてください」


「なんだね」

「私と彼女は全力であなた方を他の陣営より守護し、協力します。ですが敵のマスターを陥れて討ち取ることはしないと誓ってください」

「……それでは聖杯戦争の意味が無いだろう」

「はい。ですが本来マスターが傷つくことのないようにとこの聖杯戦争はサーヴァントシステムがあります。わざわざ殺すことはないでしょう。
この条件を呑んでくださるのなら私たちルーラー陣営はケイネス率いるライダー陣営へ力を提供しますが…、如何しますか?」

「ケイネス、」

「ああ。分かっているよソラウ。いいだろう、貴様の条件とやらを呑み同盟を組んでやろう」

「それは良かった。――そして先ほどから気になっていたのですが、何故ディルムッドは床に膝を付いているのですか?汚れてしまいますよ」


そう言うやいなや、セリアは席を離れてディルムッドの手を取り立ち上がらせる。ポシェットから取り出したシルクのハンカチでその膝を払ってやると、少し困った様子で恐れ入ります。とディルムッドから返事が返ってきた。しかし妬ましげな視線が絡み、セリアはその目線の方へと顔を向ける。間違いなく、それはソラウより発せられていた。そこで漸く思い出したのがポケットに仕舞われたペンダントだ。話をつけたら渡そうと思っていたのに忘れてしまった。


「あの、ソラウ先生」

「……何よ」

「これをソラウ先生にお渡ししたくて」


そういって取り出したのは深い赤色を湛えるペンダント。その美しい細工に思わず顔が綻ぶソラウだが、慌てて表情を引き締める。彼女に邪気は感じないし、何か小細工がしてあるとも思えない。そう判断した後にソラウはペンダントを受け取り、ケイネスに付ける様に指示する。



「ディルムッド・オディナ」

「…ディルムッドで構いません」

「これで心狭い思いはしなくて済む筈だ」


傍らでそう笑うジャンヌに小首をかしげるディルムッド。彼がその真意を知るのはわずか一分後のことだった。