「……随分機嫌がいいね」

「そうですか?」



買い物から戻ったセリアは随分とご機嫌な様子で、今にも鼻歌を紡ぎそうな勢いを保っている。聞いたところ馴染みの知人に会ったとか、なんだとか。詳しく聞こうとしたら『秘密です』とはぐらかされてそれっきり。軽やかな足取りでホテルに向かう彼女はどう見たってまだ幼き子供。二次成長を終えたばかりの風貌だというのに聞いたところ既に英国では成人済みというから世の中分からないものだ。



「ねえジャンヌ」

「何でしょう」

「おやまあ、何を怒っているのですか?」

「別に」

「もしかして秘密にしたのを拗ねてますか?ふふ」

「そんなわけないでしょう」



ムッとした顔でそう言い放つジャンヌに自然と笑みがこぼれた。もう目と鼻の先に目的地は在るというのに、なんだかこの開放感の在る場所で他愛も無い会話を返すのが楽しくて名残惜しい。しかしそろそろ温かい場所で休息を取らなければ、いつ始まるやも分からない聖杯戦争に万全の状態で臨めなくなってしまう。まだ見回り終えていない興味を引く建物を後ろ髪を引かれながらも通り過ぎ、フロントでチェックをしてから部屋へ戻った。



「お疲れ様です」

「セリアも、お疲れ様」

「すみません、長らく付き合わせてしまって」



しゅん、と耳を垂らすように顔を俯けたセリアに気にしないで、と優しい言葉が降り掛かる。早速備え付けのバスタオルと館内着の浴衣を取り、てきぱきと入浴の支度を整えるジャンヌは流石サーヴァントだ。セリアも櫛や髪留めなど細かい物を一式揃えると、共に一階に位置する大浴場へと向かった。ぱたぱたと何人かのスリッパの音が響く廊下を通り過ぎ、女湯の暖簾(のれん)を潜りスリッパを脱いで脱衣所へ出る。既に何人かの客は入っているが、時間帯が夕食時と被ったのかそこまで多くも無い。早速自分の服を脱いで丁寧にたたみ着替えを籠の中に出して、ミニタオルで体を隠す。


「ジャンヌの体は綺麗ですね」

「ゴホッ」


急にまじまじと見つめられたかと思えば、真剣な顔つきでそんなことを言うのだからジャンヌは思わずむせ返る。彫刻のような美しいラインの体つきに程よく発育した胸、白くも健康的でキメ細やかな肌は誰もが理想とする身体だろう。勿論セリアもその一人だ。長い金色の三つあみを解いて、ちらりとセリアを見ると未だに自分を見つめていた。


「私の身体はどうして成長をしようとしないんでしょうかね」

「個人差というものがあるよ」

「個人差…ですか…、」


なんだか疑わしい眼差しを向けられてセリアが入浴場へ向かうから慌てて後を追いかける。広々とした浴場は、大理石のタイルに大窓をあちらこちらに取り付けた開放感のある内装で天上に描かれた天使の絵画には言葉を失った。シャワーの並ぶ一つに腰掛けると、ゆっくりと蛇口を捻り温かいお湯を出す。



「セリア、洗いましょうか?」


気遣わしげというか冗談というか、クスリと笑うジャンヌが鏡に映る。一瞬間を置いて呆然としたもののすぐに笑顔でお願いしますと向き直る。返事を聞くと滑らかな髪にジャンヌのしなやかな指が通りシャワーを浸透させる。手に取ったシャンプーを優しい手つきで隅々まで広がらせて髪に付いた汚れを落とす。


「痛くない?」

「はい。気持ち良いです」

「それは良かった」


シャンプーを流し終えて次はコンディショナーを浸透させる。流石にこれ以上洗う程甲斐甲斐しくする必要性も、人の目の在る中行う度胸も無いのでジャンヌは髪を結ってやるとセリアの隣のシャワーへと移動した。



「私もジャンヌを洗いましょうか?」

「私はいい。セリアは不器用そうだし」

「失礼な人ですね」


そういいながらくすくすと楽しそうに笑うのだから、ジャンヌもつられて笑顔になる。互いにシャワーを終わらせて外で景色を見ながら入れる露天風呂に移動。気温は些か冷たくセリアはどっぷりと浸かり景色よりも身体を温めることに専念している様子。なんだかそんな光景すらも可笑しくてジャンヌの表情が解れる。――ずっと経験することの叶わなかった平和な一時。今当たり前のように過ぎる時間の一秒一秒さえもいとおしくて、けれど目を閉じるといつだって広がるのは自らが成した幾つもの骸が積み上がりジャンヌを取り囲む。だけどこの少女の隣に居れば、何時もは苦しくてどうにかしてしまいそうな思いも和らぎ平和な夢を見ることができる。



「綺麗な星空ですね」

「そうだね」

「このまま聖杯戦争なんて起こらなければいいのに。…皆、幸せのまま時が過ぎてしまえばいいのに、なんて無理な事は分かっていますけれど」

「……」

「ねえ、ジャンヌ。私にもお願いが出来てしまいました」


本当は聖杯戦争の終結を祈りたかった。否、祈らなければいけない。なのに今私の中には…、セリア・オルディアの中には新たな願いが出来てしまった。



「ジャンヌがこの世に受肉してくれたなら、ずっと一緒に居られるのに…なんて、」



叶わないからこそ乞い願い、叶えたいからこそその命を震わせて挑んでいくのだ。いずれ離れると頭は理解しているのに心は理解してくれない。セリアにとってジャンヌ・ダルクとの出会いは偶然とはどうも思えないのだ。もしかしたらあの予知はジャンヌに出会う為に視えたのかもしれない、なんて都合の良い解釈までしてしまいそうになる。いつかは離れる、唯一にして無二の友。その絶対的存在を失うのがセリアにとって何よりも怖い。




「…それでも貴女は、聖杯戦争の終結を願わなければいけない」

「……はい」

「だからそれは私の願いにしよう。この現世に受肉して、セリアの隣に在り続ける事が私の聖杯に託す願いだ」


「っ!」


「だからこの戦い、絶対に勝たなければ」




湯面に映る白く美しい月の陰影はただゆらゆらと二人を見守るように、そこに佇んでいた。