…嫌だ、嫌すぎる。ひく、と頬の端がひくつくのを感じた。向かいで眉間にこれでもかと皺を寄せる(ある意味)顔面凶器な男の子が、私の…将来の、旦那様になるなんて。
勿忘草
事の始まりは今から一ヶ月前。イタリア観光に来ていた父さんと私。なんと驚いてほしい、父さんはイタリアマフィアのボスなのだ。小さいマフィアだけどね。たまにはのんびり羽を伸ばそうと珍しく父さんが提案したものだから、二つ返事で頷いた。だって旅行だなんて何年ぶりだか分からないもの。思えばあの時拒否をしなかった私の問題もあるかもしれない。一般人と一緒に飛行機に乗って、イタリアの地を踏んだ瞬間私のテンションは最高潮。もうわっほーい!みたいなね。父さんの制止を聞かずに地図を片手に初めて見る土地にも関わらずホテル目指して全力ダッシュをしてしまったのだ。まあ、あれだ。御想像通り迷ったんだよ。元々方向音痴のくせにめちゃくちゃ上がったテンションのせいで冷静な判断力を失くしてたんだよ。イタリア語も話せないから道も聞けないし、うろうろして気がつけば路地裏って不思議だよね。段々暗くなってきた空が焦りと恐怖を煽った。助けて父さん。とぼとぼ靴を見ながら歩いてたら、これまたありがちで誰かの背中にぶつかってしまったのだ。
「――?」
「え、あの、あいむどんとすぴーくうううう」
「日本人の子かな?」
驚いた。振り返った優しそうな老人が、なんと聞きなれた母国語をお話しになったのだ。いやいや有り得ないここイタリアだよ。もしかしたらイントネーションが似てるだけかもしれない落ち着け私。ふう、と一呼吸ついて試しに喋ってみることにした。日本語を。
「あ、貴方は日本語を御存知ですか」
「分かるよ。イタリア語のほうがいいかな」
「いいいいえええとんでもない勘弁してくださいいい!!そ、そのお恥ずかしいのですが道に迷ってしまいまして…」
「そうか。それは困ったね、地図は持っているかい?」
「はい、あの、これなんですけども」
もうくしゃくしゃになって年季が入ったみたいになっている新品の地図を差し出す。若干手汗が滲んでいる。恥ずかしいい!というかこの人大丈夫かな、本当に道分かるかな。だんだんネガティブな思考に堕ちてきたころに、老人は顔を上げてやんわりと笑った。
「私も今からここに行くつもりだったんだよ。一緒に行こうか」
「ままマジですか!あああありがとうございます!!」
お、お、おお今私きゅんと来た!疑ってごめんなさい本当救世主です神様です。今頃般若みたいな顔で待機しているであろう父さんの顔を浮かべたら背筋がぞぞっと凍りついた。優しい御老人の行為に遠慮も無く甘えて、黒塗りのあれだ…リムジンの中でジュースを三杯も頂いてしまった。だって喉渇いてたんだもん。終始にこにこを絶やさない御老人は天使に見えます。今更だけど、リムジン初めて乗ったわ。他愛も無い話をほぼ一方的に話す私を嫌な顔一つせずに受け答えしてくれるご老人に惚れた。結婚して欲しい。数十分かけて漸く到着した目的地に口をあんぐり開けて間抜け面で停止した私に、隣で御老人は心配そうに声をかけてきたので、大丈夫だと返事をしてまた固まる。いや、だって、大きさがうちの屋敷(と呼べるのか)に比べ物にならないほどでかい。豪華な外装に圧倒されながらもリムジンは入り口前のU字路まで進む。ウィーン、なんて自動で開いたドアから震える足を地面に下ろすと、目の前になったホテルにまた圧倒。田舎者丸出しで恥ずかしい。
「お、おおおお大きいですね」
「ボンゴレの経営するホテルだからね」
「ボンゴレって、あの巨大マフィアの…」
そんなすごいホテルに宿泊するなんて父さん楽しむ気満々じゃないか。唖然とした私の背中をご老人が軽く押して、そんなに珍しかったかい?と笑った。金持ちだったのか。御老人と一緒に自動ドアの中へ入ると、一斉に受付やら従業員やらの人達がわらわらと集まってきて深々とお辞儀をした。え、なにめっちゃ良い待遇じゃないこれ!これが一流ホテルなのかと見渡してれば、ある一点のお辞儀をする人で目が留まった。きらりと光る頭の天辺を見間違えるはずがない。…何してるの、父さん。
「と、父さん?」
「なっ……ディレットか!?お前こんな時間までなにしてるんだ!早くその御方から離れなさい!申し訳ありません不躾な娘で…!」
「ちょっと失礼じゃない私が何したって言うのよ!」
「何を言うんだ!九代目様に失礼だろう!」
「きゅ、だいめ…」
まさかこの超待遇って、この人がドン・ボンゴレだからで…!うわあああ何てことしでかしたんだよジュース貰っちゃったよバカ!何でもっと早く仰らないんですか九代目えええ!!もはや土下座をしそうな私を九代目が笑っていいんだよ、と笑う。本当に天使ですか九代目。
「ディレットちゃん、と言ったかな」
「はははははいい!!」
「はは、そんなに固くならないでいいんじゃよ。面白い子だね」
「めめ滅相も御座いません!」
「今日は楽しんで行って欲しい」
「ありがとうございます!!」
結局あの日は父さんにねっちょり叱られた。上の空の私を何回か軽く叩いて再び説教をするけれど話は支離滅裂だ。相当動揺してたっぽい。落ち着いてから話せ。その日行われたパーティーには結局参加できなかった。マジで有り得ない。…と思ったのが当時の心境でありまだ何も知らない幸せだった頃の私だ。さてこれがどう転んだら今回の縁談になるのかバカでも分かるように説明してほしい。ていうか相手の男の子も超嫌そうな顔してるじゃん。勘弁して欲しい。
「こちらは息子のザンザスだ。どうやら君の話をしたら気に入ったらしくてね」
「ふざけんな誰がんな事言った」
「照れなくてもいいんだよ」
九代目、ザンザスくんは照れてるわけじゃないとおもうんですが。純粋に嫌がってるようにしか見えないんだけどもさ!勿論父さんが丁寧に断ってくれるだろうから私に心配は一切及ばないけどね。
「こんな不束な娘で宜しかったらどうぞ煮るなり焼くなりお好きになさってください!!」
ここでまさかの実の親の裏切り!チッとわざとらしく舌打ちをしたザンザスくんに若干傷つきながらも、無責任な親のつま先を本気で踏んでやった。本人達の意思を尊重しろ。