かみさま、きいて | ナノ
曖昧Me×Mine
「……っはぁ」
離された唇が空気に触れる。目の前の人物は伏せていてその表情は伺えない。――いま、何が起きたのか分からない。時間が止まったようにさえ思えたこの刹那の時間は都合のいい幻だったのだろうか。気が付いたら目尻が熱くなってぽろぽろと暖かい滴が頬を伝っていた。
「う、ぅ…」
「……そんなに嫌だったのかよ」
ごめん、
ウェイバーがそう伝えてごしごしと袖で私の目元を拭う。加速する心音はもう制御が利かない。これでもし『今のは忘れてくれ』なんていわれたらどうしようか。ここは女として殴ってやるべきなのか、と考えていたら急にウェイバーの胸元に埋められた。
「…心配するな。今のは忘れて欲しいとは思わない」
「、口に出てた?」
「大体オマエの考えそうなことくらい分かる。一回しか言わないから、よく聞けよ」
ぐ、と更に押し付けられて鼻が痛い。なんて言える訳も無くこくこくと頷く。ウェイバーの匂いがする。落ち着くひだまりみたいなこの匂いは私は大好きだ。決して変態的な意味ではなく。
「ボクもオマエが好きだ。――向こうになんか、行くな馬鹿」
愛おしむように、大切なものを手放さないと隠すように、ウェイバーが咲を抱き締めた。純粋に嬉しい、幸せ。混じりけの無い感情が咲の中に巻き起こる。やっぱり私はどんなに隠してもこの人が、ウェイバー・ベルベットが大好きだ。どうして同じ世界に生まれてこれなかったんだろう。どうして離れないといけないのだろう。…どうして、彼にこんなにも惹かれるのだろう。
「わたし、も…っ。私も好き、大好き、
どの世界中でも一番愛してる…!」
今までで一番の思いを込めてそう叫んだ。好き、大好き、そんな言葉じゃ足りない。愛してるでもまだ足りない。だからこうして人間は抱き締めたりキスを送ったりしてその感情を表現するんだ。五年経ってもまだ細い腰を思い切り抱き締めて、上を向けば真っ赤な顔をしたウェイバーにキスを落とされる。幸せ。本当に世界で一番の幸せ者だ。
――だから、これは天罰なのかもしれない。
触れていた空気が一変して地面の感触が変わった。血の気が引く。瞼を開けるのがこれほどまでに怖いと思ったことがあるだろうか。
「ウェイバー…?」
返事は無い。さっきまで薄明るかった外は瞼越しでも分かるほどに明るい。うそ、やっだ、やだやだやだやだやだやだやだウソだウソだウソだウソだ…!!
「…ここは」
じわりと滲む視界が捉えたのはどこかの本棚の間。どこなんだ、ここは。ふらつく足元で立ち上がり本棚を伝って歩く。出口、出口はどこにあるんだ。もしかしたらまだウェイバーのいる世界かもしれない。希望はまだ潰えてない。
「うっさいな、もういいから離せよ馬鹿!!」
「…っ!!」
「おいライダー聞いてるのかよ!」
まだ少し幼い怒鳴り声。そしてその口から出た名前、"ライダー"と確かに呼ばれたその大男。呆然と立ちすくむ私にその男は気がついて、笑顔で近づいてきた。
「小娘、それはもしや大戦略のカードではないか?」
「っえ」
「おおうやはりそうだ!見ろ坊主、余の他にもふぁんとやらは居たぞ!」
「調子に乗るな馬鹿!」
心臓が跳ね上がる。眉を寄せてずんずんと近づいてきたその小さな影に涙が込み上げそうになる。ウェイバーだ、まだ聖杯戦争真っ只中の。言わなきゃ、今一番彼に伝えたいことを。
「ウェイバー!」
「なっ!オマエなんでボクの名前を」
「頑張って、ウェイバーにできないことは何にもないから!こんな私を幸せにしてくれてありがとう! どんな場所でも私、ウェイバーのこと思ってるから!ずっと忘れないから!!」
「…っ!?おいオマエ」
ライダー!と後ろを向いてもう一度正面を向くとその女はもう居なかった。ライダーはその瞬間を見たのか珍しく間抜け面だ。
「のう、坊主」
「…なんだよ」
「何故泣いておる」
「は、」
ごしごしと目を擦ると袖が濡れていて、初めて自分が泣いていることに気が付いた。なんで、なんで泣くんだボクは。熱くなる目尻と漏れる嗚咽が止まらなくて、年甲斐もなく泣き続けたボクをライダーはずっと何も言わずに見守っていた。どうしてあの女に会った瞬間、手が伸びそうになったのか。分からないことだらけで混乱して、久々に思い切り泣いた。何が悲しいのか分からないけど、ただ只管に悲しかった。
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