ああ、それにしても、
「……一瞬だったなあ…。」
宿泊棟の屋上、四ヶ所に分かれた見張り台の一つの上で、一人ぽつりと呟く。いつもなら眠たくて仕方がない夜番も、今日はうたた寝の気配もなかった。
そりゃあ眠気も吹っ飛ぶってもんだよなあ。本当に予想だにしない所で、エースさんに会ってしまった。でもまあ、元々まともな状況で姿を確認できるとは思っていなかったし、それを思えば短いながら話もできたんだからラッキーだったんだろう。
…まともな海兵になる前に会えて、本当によかった。
「おい。」
「あ、はい。」
変化の無い夜闇にそれでも目を凝らしながら、ぼんやり考えていると、不意に後ろから肩を叩かれて慌てて振り返る。あ、もう交代…いや、あれ?ちょっと早くないか?だって今日、捜索があったから時間の割り当てズレて…
「あの、………。」
「よお。」
時間間違ってません?と尋ねようとした言葉は手品のように消え失せた。
何故って、目の前にある、妙に着崩れた制服から視線をグッと上に上げて、目深に被ったキャップの奥を暗がりで覗いたそこには、さっき形容した特徴がそのままあったからだ。黒い癖っ毛に、そばかす。
どうか見間違いであれ。いや無理。これだけの至近距離で見て、見間違いようがない。…けどですねえ!!
「……何してるんですかこんなところで……っ!!」
「何しにって、お前に会いに来たんじゃねえか。あんな一方的に別れやがって。」
「だからって…!!」
海兵に紛れ込むとか…!と言いかけた言葉は何とか飲み込む。いや…いやいや確かに今はここ、新米海兵だらけで顔覚えるのも大変だし、紛れ込みやすくはあるんだろうけど…!随分大胆に乗り込んできたなあ…!ていうかどこから制服やらIDやらを…か、考えたくない…。
兎に角、気を紛らわしついでに周りの見張り台に目をやる。…うん、今のところこちらに気を向けてる人はいないようだ。ていうか眠いんだよね、みんな。分かる分かる。
「とりあえず…無事でよかったです。島、出れそうですか?」
「ああ、夜明けには出る。さっきはありがとな。」
「いいえ。くれぐれもお気を付けて。」
「…本当にお前、ルフィの妹なのか?」
「それを信じてくれてなきゃ、わざわざ海軍の直中なんて来ないと思いますけど。」
そう言えば、返す言葉が見つからなかったのか、返事に詰まったエースさんはガシガシと頭を掻くと、確かめるようにまたまじまじと顔を見る。
んん…あの時は状況が状況がだったから気にもしなかったけど、この至近距離キツいなあ…。その上無言で見つめ合うのもかなり気まずい。って言っても、流石に色々楽しくお喋りできるような状況ではないし…。
「ジジイの嘘かと思ってた。」
「え?」
「《モエ》って存在が。」
また会えたのはいいけど何を話せばいいのか、と悩んでいる間に、エースさんの方から口を開いてくれた。
それにしてもジジイって…おじいちゃんのことだよね。当てはまる共通点なんて他にないし、エースさんがあたしのことを聞くとしたら、おじいちゃんか、ダダンさんか、マキノさん。その三人以外にはいない。
…その三人以外は、誰一人。
「お互いに口伝えでしたしね。」
「俺は多分お前より聞いてない。ジジイに、もののついで程度に名前を聞いただけだ。」
「おじいちゃんも聞かなきゃ何も言わない人ですしねえ。」
「…ルフィも、身内はジジイだけだと言ってた。」
「…でしょうねえ。」
「……。」
「聞きたいことがあればどうぞ。」
「ルフィが自分の双子の妹の─お前のことだけ忘れちまったっていうのは、本当なのか?」
「はい。」
実際は五歳の時、フーシャ村で別れて以来会ったことがないから、自分で確かめたことじゃないけれど、その間一緒にいたこの人何だから、付け加える必要はないか。
当時おじいちゃんから聞かされて、まさかとしか思わなかった気持ちが、じわじわと虚無感に変わっていった過程を、無駄に鮮明に思い出す。
「コルボ山に行った初めの頃に、落ちたか殴られたかして盛大に頭を打ったせいらしいです。」
「…心当たりがありすぎてわかんねえ。」
「あはは、でしょうねえ。ゴムだから痛みは殆どないんでしょうけど、中にはきっちり響いてたみたいです。」
「……。」
「でも、忘れてよかったんですよ。元々おじいちゃんがあたしとルフィを引き離した理由が、お互いに頼りすぎて甘ったれないようにですから。」
時々黙るエースさんの沈黙の意味を、なるべく悟らないように話を続けて、少し笑う。本当に結果オーライだし。
ルフィがあたしを覚えていたら、まず間違い無く海に出て初めに、あたしを迎えに来ただろう。ルフィはあたしも海賊にする気満々だった。それを阻止したい気持ちもあって、おじいちゃんは尚更あたし達を引き離したのはよく分かってる。牽制なのか何なのか、その後あたしは時々マリンフォードに連れて行かれた。まあ心配しなくても、海賊になる気はなかったけど。
気まずく思われてもこっちが居たたまれないので、へらへらしながら返事を待てば、エースさんは少し俯き、後ろ頭を少し乱暴に掻いてからまた正面から見据える。
「…で、その間、お前は何処に居たんだ?」
「あ、ワノ国にいました。」
「ワノ国!?」
「その反応だと行ったことあります?おじいちゃんの知り合いの方に預けられてたんですよ。」
「だからそんな礼儀正しいのか…。随分な所で育ったんだな。」
「あはは、コルボ山より過酷ではなかったと思いますよ。」
随分な所って。いい意味も含んでるんだろうけど、先生達に言ったら怒られそうだなあ。
それはそうと、そろそろお暇して貰わないと、いい加減周りの人に怪しまれてしまうかもしれない。話すべきこと話したし、あんまり引き止めちゃ…
「あともう一つ、確かめたいことがある。」
いけない、と思ってやんわり口を開くより早く、エースさんの手があたしの手首を掴んだ。既視感を覚えると思ったら、それはさっき逃げている時に掴まれたその形。
エースさんは確かめるように、手首を掴む手とは反対の手を自身の目の前にかざすと、眉を顰める。
ああ、やっぱり気付いてたんだ。思って、かざしている手を今度はこちらから握れば、一瞬退くよう体が揺れた。そういえばこの人はロギア系だったっけ。効果はてきめんなんだろう。
「…腕に海楼石でも仕込んでるのか。」
「仕込んでると言うと意図的ですし、腕ではないので否定します。」
「じゃあ、」
「ワノ国に行ってから、事故で海楼石がめり込んじゃったんですよ。…心臓に。」
掴んだ片手をはなして、そっと左胸の下部に触れる。とくん、とくんと、当たり前のように鼓動するこの心臓の半分は、海楼石で出来ていた。
その昔、まだワノ国で修行に明け暮れていた頃、大嵐があった。荒れ果てた海にうっかり落ちたあたしの末路がこれ。
どうにかこうにか助けてもらいはしたけれど、あまりの波の勢いで流された消波ブロックが体にぶつかり、胸に穴が空いた。痛みと言うより衝撃の強さで気を失ったあたしは、致命傷を負ったことも知らず、死去──と思いきや。
『………い、し…?』
目を覚まし、違和感を覚えて左胸に手を伸ばせば、そこには硬い感触。骨かと思ったが、それにしては表面が広く、おかしい。いや、人体の骨なんか触ったことなかったけども。
あたしの蘇生に目を白黒させていたお医者様や先生の言うことには、引き上げたあたしの心臓は確かに半分抉りとられていて、その穴に収まるように、海楼石が引っかかっていたそうだ。それを抜こうといくら力を入れても抜けず、どちらにせよ助かる見込みが無い。そんなこんなで途方に暮れていたその時、あたしが目を覚ましたのだという。
お陰様で、あたしは奇跡的に九死に一生を得たわけだが、結局海楼石は取れないまま傷は塞がり、何故か体は問題無く成長していった。自分自身では見れないけれど、欠けてしまった心臓の役割を、海楼石が補っているのだろうと、半ば冗談のようにお医者様も先生も言っている。海楼石にそんな万能な効果があるなんて、今も昔も発見されていないけど、あの石は海と寄り添い生きてきた不思議な石。海の神様の思し召しだと思いたい。
しかし、海の神様は、意外な付属品まで付与して下さったようで。
「例えば、海楼石を腕に仕込んだり、めり込んじゃったりしたなら、部分的な意味で、海楼石入りの武器と変わりないんだと思うんですけど…心臓っていうのは、全身に血液を送る器官なので。」
「…血まで、海楼石の影響を受けちまってるのか。」
「そういうことです。あたしは存在そのものが、海楼石入りの手錠みたいなものなんですよ。」
だから、あたしはそれ以降、海の生き物にやたらと好かれるし、悪魔の実の能力者があたしに触れれば海に浸かるが如く力が奪われる。なかなかどうして、能力者の多い海賊には迷惑な力で、海兵にお誂え向きな力だ。勿論、能力者のお知り合いもいるので傍迷惑な時もあるけれど、基本的には触られなければ影響はないし、見た目的にもほぼ肉に包まれたお陰で、簡単には分からない。そもそも、嘘みたいに非常識な話だし。
あたしがさっき、エースさんを拒絶したのはそういうことだ。うっかりあたしを掴んだまま、いつものつもりになって銃弾でも撃ち込まれた日には大惨事この上ない。双子の兄の兄貴分だというのに、その妹が原因でお縄頂戴なんて恩を仇で返しまくってしまう。
「まあ、そういうわけです。で、そろそろ行かないと怪しまれますよ。」
「…そうだな。」
「会えてよかったです。くれぐれもお気をつけて。」
「……。」
「…エースさん?」
えっと…あの、手が掴まれたままなんですが、まだ何か…?
そんな疑問は失礼かなと思い、口にはせずに視線で訴えると、エースさんは更にあたしの方から放した片手まで掴む。え。え?
「何で海兵になったんだ。」
困惑の内に、エースさんはまた一つ質問を投げかけた。…さっき、聞きたいことはあと一つって言ってなかっただろうか。いや、そんな細かいことはいいのだけれど。
「おじいちゃんが海兵だからですよ。あれだけ熱心に海兵にしたがってたのに、子どもも孫も一人もならず終いじゃ可哀想じゃないですか。」
「それだけか。」
「まあ、それ以外にもありますが。」
「ルフィはフーシャ村に居た時から海賊になりたがってたんだろ。それを知ってて、何で海兵になろうと思ったんだ。」
ああ、それを聞きたかったのかこの人は。そうだよなあ、双子であることは信じてくれたけど、片や海賊王を目指し、片や海兵として就職なんて、実際海で向かい合うかは別としても、何でわざわざ敵対するのか?ってなるもんなあ。
それに、この人は本当に、あたしについての話を聞いていないのだろう。昔からあたし達双子を知っている人なら─マキノさんや村長さんだったら、説明せずとも理解してくれる。
いつか必ず、あたしを海賊王のクルーにする為に迎えに行くと何度も繰り返すルフィと、わんわん泣きながら別れたあの日を知っている人なら。
「敵側だからこそ、できることがあります。」
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