「食い逃げだあー!!!」

「食い逃げかあ…。」




うーん、こんな海軍の演習基地にされてる町にも食い逃げってあるものだなあ。

と、賑やかな街中に響いた声にそんなことを考えていると、今日の講習を終えて一緒に夕飯を食べていた新米海兵の同期達に頭を叩かれた。痛い。



「おいトモエ!呑気に飯続けてないで行くぞ!」

「え、いや食い逃げなら警察さんの仕事じゃ…」

「まだ講習期間中なんだから気抜くなって言われてんだろ!これも演習の一つかもしれないじゃないか!」

「あー、成る程…。」



猪口才な…もとい、何が起きるか分からない日常に対応した訓練が山程あったしなあ。ある意味、この一カ月で調教されきった体だから、同期達のこの素早い反応にも納得するけど…でも何かこれは訓練と違うような気がするんだよなあ。ただの勘だけど。

しかしまあ、みんな食事を切り上げたところで一人ゆっくり食べているわけにもいかないので、お店の人には先にお金を支払って、また後で来ますと言付けてから店を出る。ていうか皆さん、払ってから飛び出しましょうよ皆さん。いや代わりに払いましたけど、これじゃあどっちが食い逃げか…。


やれやれと通りを右左と見渡せば、海に続く道の方が騒がしい。さっきの食い逃げの叫びはすぐそこで聞こえた筈なのに、どうやら食い逃げ犯は随分逃げ足が速いようだ。いや、あたしがのんびりし過ぎたのか。もう同期達の姿も見えない。



「…雑用・トモエ、完全に出遅れました…。」



まあまあ、どうせあんまり気乗りはしなかったし、多分訓練ではないから大丈夫大丈夫。…うん、あの、本物の食い逃げの方が質は悪いけれど…。こういう時は念の為、手薄になってる反対方向の道に行ってみ…




「ルフィ!?」

「………。」




あれ、今幻聴が聞こえた気がする。

毎日聞いているようで、本当はすごく久し振りに聞いた名前の響き。少なくともこの研修が始まって一カ月間は聞いていない。

聞いたとしても、それを紡ぐのはおじいちゃんの声だ。あとは、十年以上の月日が尚更渋く低く仕上げたシャンクスさん達の声。あーそういえば、この間いきなりシャンクスさん達に会った時はびっくりしたなあ。海軍に入る前だったからゆっくり話せてよかったけど、開口一番、ルフィは元気かと聞かれて、現状をはっきり伝えられなかったのが今でも申し訳なくて…って今はその話じゃなくて!今考えてたのは声の話!ルフィの名前を呼ぶ人が誰かという話で!

つまり、今の聞こえた声はそのどちらでもなかったんだ。あたしが『偉大なる航路』にいる限り、その名前を耳にするとすれば、おじいちゃんかシャンクスさん達、その二択しかない。が、今聞こえた幻聴は、まるで呼ばれた名前の本人のような若い声。若い男の人の、声。

異様に長く感じたこの一瞬でそこまで考えてから、ああやっぱり幻聴か、と結論を出して、止まりかけた足を前に出す。

─と、何故か足はそのまま地面につくこと叶わずに、寧ろ大きく宙に浮いて、最終的には引き戻されるように後ろによろけた。え?



「ルフィ!!ルフィだろお前!何してんだよ、こんなところで!いつグランドラインに入ったんだ!?」



あれ、幻聴じゃなかった。

どころか、あの、腕まで掴まれてるんですが。え、誰にって、だから、おじいちゃんでもなく、シャンクスさん達─シャンクスさんの船の人達でもなく、知らない若い男の人。


いや、知らなくはない筈だ。あたしはこの顔を知っている。腕を掴まれたまま見上げれば、オレンジ色のテンガローハットの下に覗く、緩い癖のある黒髪と両頬のそばかす。一目でこれだけ特徴があれば、一度見たら忘れない。それはたとえ、紙の上であっても。

まさかまさかと思いながらも、答えを引き出すかのようにあたしを掴む腕が目に入る。それは力強い入れ墨で、いきなりのことに打ち消し続けていた一人の名前をはっきり主張していた。




「…エース。」




ルフィとやり取りした、数少ない手紙の中で大半を締めた文字の一つ。おじいちゃんがルフィと同じくらい口にした名前。海軍に来て一番最初に見た手配書の名前。

間違いない。間違える筈がない。この人は、ルフィの、



「何だ、突然過ぎてまともに声も出せねえのか?兎に角、今は逃げるぞ!追われてんだ!ったく、この島が海軍の演習地になってたなんて知らなかったぜ。」

「え、あ…」



……あれ!?これはまさか…まさかのまさかで完全にルフィと間違ってる感じですかもしかして!?いや確かにあたし達は双子だし、昔は見分けもつかないくらいだったけど…一応もう16なんだから女と男の差は結構あるんじゃ…!?

とつっこむ隙は見つけられず、躊躇いなくがっちり掴まれたままの手に抗う術もない。とりあえず転ばないように引かれるがまま走りはするけれども、えっと…ちょっと待って考えよう。今『追われてる』って言いましたよね?誰が?この人が?どうして?…食い逃げで?



「…何でこんな海兵がわらわらいる町で食い逃げしてるんですか…!!」

「したくてしたんじゃねーよ。食ってる最中に海軍が邪魔してきたから…つーか何で敬語なんだ気持ち悪ぃな。」

「…あの、エースさん、落ち着いて聞いて下さいね。《あたし》はルフィじゃないんです。」

「…エース《さん》…!?止めろよマジで気持ち悪ぃだろ!!悪いもんでも食ったのか!?吐け馬鹿!!」

「ぐえっ…ちょっと止めて下さっ…!あの!後半の言葉までちゃんと頭に入れて下さいってば!あたしはルフィじゃないんです!!」

「…てめっ…!!いつから誰の許可でオカマになりやがったんだ!!んな奴を弟にしたつもりはねえぞ!!つーかジジイに殺されるぞ!!」

「そうじゃなくてっ…!!」



何でルフィがオカマになるという発想ができて、人違いという考えに及ばないんですか!!そんなに似てますかあたしは!!

そんなこんなとあらぬ疑いをかけられている間にも、あたし達は町の細道を縫い、どんどん人気のない場所へと向かって走っていく。

─でも駄目だ。この人がどこから来たのかは分からないけれど、この島は今、町を抜かした森から近海の海まで全て海軍の演習地。このまま進めば確かに人気はないけれど、監視電伝虫が這うエリアに入ってしまう。その前に、何としてでもこの人の誤解を解いて無事に海に出れる道に導かなくては。



「くそっ…なんだ、妙に体がダルいな…!おいルフィ!ちゃんと走れ!」

「もう一回言いますよエースさん!あたしはルフィじゃありません!ルフィの双子の妹です!おじいちゃんから、トモエ…《モエ》って名前聞いたことないですか!?」



それがあたしです!と叫んで、何とか無理矢理その場に足を止めれば、振り返る彼の目の色が変わる。ぽかんとこちらを見つめる顔。まじまじと見られるのはいい気分じゃないけども、もう日が暮れて人気もないこの辺りは暗くてはっきり見えないんだろう。よくよく見て貰おうじゃないですか。



「………トモエ…?」

「…念の為確認しますけど、《火拳のエース》さんで間違いないですよね。白ひげ海賊団の…」

「…ああそうだ。」

「コルボ山でルフィと一緒にいてくれたエースさんですよね。」

「…そうだ。」

「…おじいちゃんから話はずっと聞いてました。長い間、ルフィと一緒にいて下さっ」



て、ありがとうございます。

と言おうとした瞬間、息が止まって言葉も止まった。や、止まりもしますよね。あ、別に首を締められたとかそういうわけではないんですけどね。その、いきなりガッと胸掴まれたらね。ねー…



「…!?お前本当にルフィじゃな…っいでえ!!?なっ殴んなよ!!つーか…何で俺をまともに殴れて…!」

「女なら誰でも殴りますよ!!いきなり胸掴まれたら!!」

「うっ…や、それは確かにそうだ。すみませんでした。」

「い、いえ…!もう今のは忘れますからそちらも忘れて下さい…!兎に角、あたしがルフィじゃないことは分かって貰えましたか。」

「…ああ。」



若干距離をとった薄暗闇の中、コクリと頷く姿を見て、ようやくあたしは胸をなで下ろした。いや…もう胸の話は止めよう。うん。

さて、思いがけず礼儀正しく謝られたのには戸惑ったけど、分かって頂けたなら話は早い。逃げてもらうにしろ進行方向を変えなくちゃ。



「エースさん、このまま行くと海軍の監視下に引っかかります。遠回りになるかもしれませんけど、西の枯れ林を抜けて下さい。あそこは乾燥地帯だから電伝虫もあんまりいないので…あ、林燃やさないで下さいね。町の人に迷惑がかかりますから。さ、行って下さい。」

「…お前、本当にルフィの妹なのか?」

「あれだけ思い切り間違えておいて、まだ言いますか…。」

「ルフィの妹にしては頭が回りすぎだ。それにお前のその格好…海兵だろ。」

「おじいちゃんも海兵ですよ。研修中の雑用海兵です。ルフィとはお互いないものを奇麗に分け合った双子なので。」



見かけはそっくり、中身はまるで逆。これはフーシャ村に一緒にいた時もずっと言われていたことだから、疑う気持ちも分かるけど、あれだけ豪快に間違ったんだから、ここは素直に信じてほしいところだ。今は時間がない。さっきまで遠くに聞こえていた騒がしい声が、段々と近付いてきているのは彼にも分かっているはず。



「もしあたしが騙してたとしても、天下の白ひげ海賊団の隊長の一人がこんなところで捕まるはずないでしょう。信じられないなら好きに逃げて下さい。あたしは行きます。」

「おい待てよ!!」

「エースさん。」

「、!」



再び掴まえられそうになった手を、今度はかわしてそのまま手のひらを相手に向ける。《近寄るな》もしくは《触るな》のサイン。
気付いたエースさんは眉を顰めたまま止まる。エースさんからしたら、怒涛の展開過ぎて説明が不十分なんだろうなあ。勿論、あたしにも予想だにしない展開だったんだけど。

そんな申し訳ない気持ちと、冷静に周りの気配を察知する頭が混ぜこぜになって、情けなくも苦笑いしか浮かべられない。


でも本当に、これだけは伝えなくちゃ。



「長い間、ルフィと一緒に居てくれてありがとうございました。これからも、ルフィをよろしくお願いします。」

「……お前、」

「おい!こっちは探したか!?」

「、っ!くそっ…」

「すみません!逃がしました!東に向かいます!」

「おう!!」



近付く声がこれ以上こちらに向かってくる前に大声で返事を返して、走り出す。背中を向けた後ろでは、一瞬躊躇う空気を感じた後、気配はみるみる遠ざかっていった。

それを確認してから街道に飛び出せば、ぶつかる勢いで二、三人の海兵と鉢合う。あ、軍曹さん。



「今の返事はトモエか!さっきの食い逃げ犯、白ひげのクルーだと言う話が出ているんだが…姿を見たか!?」

「はい、見たには見ましたが、白ひげのマークは確認できませんでした。」

「そうか…町の人間の見間違いであればいいんだが…。念の為だ、お前は俺達と来い。」

「はい。」



…まあ、嘘は言ってないよね。殆ど腕の入れ墨と顔しか見てなかったし。白ひげのマークを探すどころか考えもしなかったよ…。


その後、何とか枯れ林の方に行かせないようにしながら軍曹さん達と走り回って、深夜。
結局食い逃げ犯もといエースさんは無事見つからずに済んで、監視の警戒だけは続けたまま、捜索は朝まで打ち切りになった。第一、本当にエースさんだったのかというのも定かではなく、正直なところ新米の海兵ばかりのこの状況で白ひげのクルーなんて相手にできないから、是非見間違いであってくれ、と言うところだろう。








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