「ねえ、お母さんお願い。ご飯も散歩も自分でやるし、ちゃんと躾もするから。この子、うちで飼ってもいいでしょう?」

「駄目です、元居た場所に戻してきて下さい。」

「え〜。」

「というか私は組頭のお母さんじゃありませんし、それ犬でも猫でもなければ人間の女の子じゃないですか!!」

「そうだよ、可愛いでしょ?家に戻れなくなっちゃったんだって。」

「そんな得体の知れない奴を城内に入れちゃダメですよ!!言うまでもないでしょうけど、どこかのくのいちだったり間者だったりしたらどうするんですか!!」

「うん、だからこの子諸泉君にあげるね。」

「…はい!?」

「だから、彼女が不審な行動しないか諸泉君が見張ってね。それに諸泉君にはいつも私の世話で面倒かけてるし、専属女中にしてあげるから。よろしく。」

「えっ…ちょっ…!!?いやそれ以前に殿の了承もなく不審者を城内に留まらせるのは…!!」

「大丈夫大丈夫。何を隠そう、この子拾ってきたの殿なんだもん。」

「なっ…!!?」

「ちなみに殿とは冒頭と大体同じやり取りしてきての今現在だから。よろしくね。」

「………。」

「返事は?」
「分かりました…。」



最終的に頼みという名の命令を下すなら、冒頭のやり取りは一体何だったんだろう。自分が無駄に疲れただけだった、と思うと、やるせなさに襲われる。大体、俺が組頭の身の回りのお世話に手を焼いているのを分かってくれているのなら、それこそ組頭付きの女中にしてしまえばいいのに…。半ば投げやりになってそう思ったが、いくら呑気に見えようがこの方はタソガレドキの忍を束ねる組頭。些細であれ、その身に余計な心労を増やすわけにはいかない。

これは仕事だ、と何とか自分に言い聞かせて重たい頭を上げれば、組頭の背中に半分隠れるようにして立っていた件の女の子と目が合う。彼女は同情と申し訳なさが入り混じった視線を送ってくると、お世話になります、と深々お辞儀をした。世話をかけると分かっているなら、さっさと此処から出ていってほしい。







「──って思ってた筈なのにどうしてこうなった…!!」

「はい?」



唸るように自分自身に入れたツッコミに反応して、程良い力で耳の中を動いていた耳掻きが止まった。心なしか、頭を乗せる太ももも若干強ばっている。くそ、戻せ足。ただでさえ肉のない足なんだから、柔らかくないと心地良さ半減だろう…!



「…何でもないです。早く終わらせて下さい。」

「?はい。」



本当は急がなくたっていい寧ろもっとやれ。と思うこちらの気持ちなんて察することもなく、言われた通り従順に手を動かし始めたどこか鈍感な彼女の名前は、巴。組頭から託されたもとい押し付けられた女の子─現在は私の女中だ。

歳は14。癖毛の茶の髪と同じ色をした瞳が、どこか異国っぽさを思わせる少女で、大人しく礼儀正しい。しかし、着物の着方、釜の火の起こし方、諸々の生活の所作等、そういった当たり前の事柄が分からずに戸惑っていたのは呆れた。香なのか、常に金木犀香りを纏っていることもあって、まるで世間知らずの姫のようだと一瞬思ったが、もっと根本的なところがずれていて、その言葉に当てはまらない。本人も本人で、至って庶民出の一般人だと口にする。

くのいちにしては行動がおかしい。一般人にしては無知過ぎる。

結局素性がよく分からないまま、組頭に言われた手前責任を持って毎日日常生活を教え込んで早数日。飲み込みは悪くない巴は、すっかり私専属の女中として動き回っていた。そして彼女が仕事に慣れるにつれて、どこから生まれたのかよく分からないこの気持ちがどんどん膨らんでいくなんて、誰が予想できただろう。



「諸泉さんが夜にゆっくりされてるのって珍しいですね。普段いつ寝てるのかってくらい昼も夜もお仕事なのに。」

「…組頭が偶には休めと仰って下さったんです。」

「ああ、雑渡さんが。そういえば今日、雑渡さんから飴をもらいました。」

「……飴?」

「はい、これ。諸泉さんも食べますか?」



膝枕から頭を離さないまま見上げる私の目の前に、巴は小さな袋をぶら下げて中から一粒飴を取り出す。…組頭、一体いつ飴なんか買ってきてたんだ?不思議に思いながらもそれを受け取り、いつもの癖で鼻に近付けてから─



「!?ちょっ…何ですかこれ!!」

「わっ!?耳掻き中に急に起き上がると危ないですよ!」

「これ食べたんですか!?」

「い、いえ、まだ。諸泉さんに報告してから頂こうと…。」



っ…!いちいち私基準なのがまたたまらっ…じゃなくて!!何てものを渡しちゃってるんですか組頭!!これ恐らくあれじゃないですか!!名前にビが付いてヤが付いてクが付くやつじゃないですか!!!何渡してんだあの人!!もしも巴がさっさと食べていたら…………………違う!そこの想像は働かせなくていいんだ私!しっかりしろ!!

いや、どっちにしろ私に対する悪意しか感じられない。巴はあくまで私が面倒を見てる女中で!しかもまだ素性が判っていないから監視も兼ねているわけで!!

ハッ…!そうか、これは組頭が俺を試していたのか…?三禁を破って間者の可能性もある女に色惚けてしまうかしまわないか、試したのか…?

何せ男ってやつは、体を重ねた女が裏切るなんて全く思いもしない生き物だからな…。自分だって頭でそう解っていても、そんな馬鹿に成り下がったりは絶対にないとは言えない。

……まぐわることに限定しないのなら、既に色惚けてしまっている気がするけれど。



「も、諸泉さーん?大丈夫ですかー?」

「…この飴は没収します。」

「ええええ!?何でですか!?き、貴重な甘味が…。」

「…甘味が食べたいなら、明日甘味処にでも連れていって、あげます、から…。」

「えっ。」



再び頭を膝に戻した私がボソボソ言った言葉をしっかり拾ったらしく、聞き返す声は明るい。まあ、女の子だからな。甘いものには目がないんだろう。


「い、いいんですか?明日もお休みですか?」

「明日の夜までは非番です。」

「本当ですか!?え、でもあたしお給料無しなんでお金ありません!」

「お金は私が出します。」

「諸泉さん太っ腹…!あの、寝ぼけてないですよね?本当は明日用事があってドタキャンとかないですよね?」

「ない(筈…)です。」

「やった!ありがとうございます諸泉さん!そうと決まったら明日の為に早く寝ましょう!」


そう言ってからの巴の行動は早かった。何度か中断された耳掃除を手早く終わらせ、私がこの飴はどうすべきかを考えている間に、布団を敷き終える。当然二組。当然かなりの距離を置いて。



「……。」

「諸泉さん?布団敷きましたよ。」

「見れば分かります。」



そんなのは分かっているけれど…どうにも胸の内がモヤモヤしてならない。監視と呈しているのだから、巴が就寝するのは私の部屋。それは初日から続く習慣で、私は何度も彼女の寝顔を見ていた。…が、仕事で不規則な生活をしている私は、同じ時間に床に収まるのは初めてだったりする。いや、別にだからって何もないけど…。

同じ部屋で─男の部屋で寝ることを、巴は全く気にしない。監視をされている自覚はあると言っていただけはある。勿論、私だって監視対象もしくは女中に、変なことをするつもりはない。多分。

…ただ、例えば殿に言われた通りに、組頭が彼女の面倒を見ていたら。そうしたら同じ様に、巴は組頭と一緒に寝ていたのだろうか。組頭だけじゃない、私に話が回ってこなかったら、他の仲間の所に居たのだ。同じ様に世話を焼き、同じ様に眠って…。

そう考えると、理不尽な苛々が腹の底から湧き上がる。ともすれば暴れ出しそうなこれの正体を、本当は知っているけれど──私は、忍なのだ。




「忍者って大変ですね。」




まるで思考を読んだ様に、隣の布団に正座をしていた巴が言った。声につられて顔を上げるも、彼女が時折見せる見透かしたような柔らかい笑顔に、目を合わせていられずまた俯く。こいつは、鈍いのか鋭いのか。



「諸泉さんが何を考えてるかは分かりませんけど、いつも何かしらの感情を押し殺してるのは分かりますよ。それをできるところ、すごく尊敬します。でも、偶には心に当てる刃物、少し離してもいいとも思います。忍であろうとお殿様であろうと、根本は動物の一員である人間なんですから、強い感情と本能には従った方がいいですよ。あんまり我慢すると体に悪いです。そこに理性は大切ですけど、強い理性で包み込んでも溢れるなら、それはきっと、自分自身の幸せの為に必要なことだと思いますから。」

「……。」

「それでも多分、諸泉さんは真面目だから抑え込むんでしょうね。あたしが間者ではないっていう証拠はないですし、ずっと気を張らせてしまって、申し訳ないと思っています。でも、諸泉さんの所でお世話になって良かったなあとも思ってるんですよ。甲斐甲斐しくお世話焼いてくれましたし、意外とこちらからも焼けるお世話がいっぱいあったので。本当は最初、雑渡さんの方が手伝いが必要そうなので、雑渡さんの女中に変えて下さいって言うつもりだったんですけど、」

「なっ…!?」

「今は全然思いません。雑渡さんのお世話をする諸泉さんをお世話すればいいんですもんね。」

「…何か複雑なんですが。」

「ああ、話は反れましたけど、結局何が言いたいかと言うと、あたしは怪しい人間ですが今まで見ていてもらって分かるように、寝てる時は何もできませんのでっていうか最無防備なので、今くらいは忍者じゃなくて、諸泉さんとしてゆっくり寝て下さい。」



今日もお疲れ様でした、お休みなさい。

と、殆ど言い逃げにしか思えないくらいサラリと、巴は言うだけ言って灯りを消し、いそいそと布団に潜る。

それをぽかんと眺めることしかできなかった私は、頭の中で言葉を反芻する。…やっぱりこいつは、鈍いのか鋭いのか分からない。全く見当違いの話をしているようだったのに、的を得ている気もしなくもない。


…まあ、少なくとも、私の胸の靄は晴れたのだから、効果はてきめんか…。






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