*閻魔大王
「でもさあ、鬼灯君らしくないよね。」
「主語を入れて下さい。」
「いや、巴ちゃんのことだよ。」
と、普段は淡白なところが目立つ自分の腹心が、最近いやにご執心な女の子の名前を出すと、鬼灯君はお椀の向こうからちらりとだけこちらを見る。相変わらず、何を考えているのかは分からない顔だ。
「彼女がどうかしましたか。」
「彼女っていうか、鬼灯君がね。だって、地獄や天国で暮らすことになった亡者ならわかるけどさあ、まさか判決も出てない、これから裁かなきゃいけない子に恋」
「ほっぺに食べかすが付いています、よっ!!」
「ギャアァ!!髭!髭まで持ってかないで!!」
凄い音で抜けちゃったじゃないか!!うう…痛い…。だから照れ隠しが痛すぎるって言ってるのに…。
同じ過ちを犯さないように…いや、ワシは悪くないないだろ…同じ攻撃を喰らわないように、お昼の丼をかき込むようにして顔を守る。言葉を遮った割に、澄まし顔をしている彼は、素直なんだか素直じゃないんだか。
「言いたいことは分かってます。ですが、自分の好みのドストライクの女性が目の前に現れて、何もしないでいられる男はいません。」
「へえ、ドストライクなんだ。確かにいい子だよね。優しいし、頑張り屋さんだし。」
「案の定、動物も爬虫類も虫も好きな方でした。」
「ああ、前に好み女の子の条件にあげてたねえ、それ。」
「そして明るく、」
「うん、年相応の明るさで言えば落ち着いてる方だけど、雰囲気が明るいよね。」
「更に矯正し甲斐もありそうです。」
「えっ!!?急に嗜好が剥き出しになったよ!?」
ていうか矯正って…だから鬼灯君ドSって言われるんだよ。実際ドSだと思うけど。
そう呟けば、鬼灯君は心外だと言わんばかりの溜め息を吐いてからお茶を啜る。上司に溜め息吐かないでよ…。
「ていうか、巴ちゃんのどこが矯正し甲斐があるの?至って普通の女の子だと思うけどなあ。」
「生前の兄への固執は魂の関係もありますからそこは省いたとしても、頭で理解しても心でがっつり歯止めをかけるところが素直でなくて良いですね。周囲との関わりは柔軟に考えて寛容に受け入れる割に、自分に対して厳しく頑固な故に精神状態が不安定で、誰に何を言われようと無意識下で常に自分を痛めつけているところもそそられます。」
「やっぱり危ないよその嗜好!!ていうか詳しく分析し過ぎ!!」
「裁く者の性格を分析・把握するのも私達の仕事でしょう。」
いや!なんか巴ちゃんに対してのそれは、裁く立場の度を超えてると思うよ!?
そりゃ、恋してる相手と普通の亡者じゃ、差が出るのも当然かもしれないけど…。ちょっと職権乱用気味じゃない?巴ちゃんは鬼灯君のこと、さして知らないだろうに…。
「だから知ってもらうんです。その為に有給まで頂いたんですから。」
「ああ、うん、そうだね…って、有給とったの今日だよね?あれ、今お昼だけど、まだ会ってないの?」
「仕事が残ってしまったそうで、片付けて午後から来られるそうです。邪魔しないで下さいね。」
「うん、ワシはしないけどさあ…。」
しないけど。
何年先か、何十年先かは分からないけど、巴ちゃんが待つ魂の半分・双子の兄が死んで此処に来たら、彼女は逝かなきゃならないからさ。
珍しく鬼灯君が本気になったらしいこの恋が、成就したとしてもしなかったとしても、誰かが邪魔をしてもしなくても、輪廻っていう抗いようがない古来からのシステムが、必ずハッピーエンドを阻むんだろうなあ。
桃太郎君達みたいに、天国や地獄に就職できればいいんだけれど、裁判に関わらず、分かれた二つの魂っていうのは、体の器を亡くしてしまうとお互い一つに戻ろうと働き合う。一つになるというのは、今までの個人というものがなくなるということ。輪廻に入るということ。
だから、彼女は此処にずっと留まることはできない。絶対。
それは官吏の彼が一番良く分かっている筈だから、だからこそ鬼灯君らしくないと、そう思ったんだけど。
「…心配しなくても、個人の感情を仕事に持ち込むつもりはないので。」
「へ?え、いや、君に限ってそんなことするとは思ってないよ。」
「私はするかと思いましたけどね。いっそ特殊輪廻法の規定を改定してしまうとか…」
「ちょっとちょっと!!?」
「しないと言っているでしょう。何度も言わせるな。」
「グフゥっ!!」
遂に殴ったよ金棒で!!ていうか食堂にまで金棒持ってこないでよ!主にワシの落ち着いたランチタイムの為に!
「OLみたいな言葉を使わないで下さい。腹立たしい。」
「いいでしょそれくらい別に!」
「罪を責めて反省させるのが鬼です。」
「罪って!!そこまで不快だったの!?」
「違います。」
「へ?」
「さっきの話ですよ。」
「…巴ちゃん?」
「己を己で責め続けても、得るものなんて多寡がしれているんですよ。そんな事ばかり巧くなるなんて、獄卒泣かせもいいところです。」
「……。」
「どんなものにも、関係にも、終わりはいつか必ずやってきます。ただ、それまでにやれることをやりたいだけなんですよ。そういうのは意識していないだけで、人も鬼も動物も同じでしょう。」
「…そうだね。」
「…好きになった人に、少しでも来世を幸せに生きて欲しいと思うことを、私は罪とは言わせません。」
「…うん。」
そうだね。君がワシを殴ることは罪と言うかもしれないけど、君が彼女に向ける気持ちを、罪だなんて言わないよ。閻魔大王である、ワシが言わない。
ヒリヒリズキズキする頭をさすりながらも、目の前でむっつりとする彼を見れば、自然と笑みが零れる。彼が何を考えてるかなんて、いつまで経っても分からないけど、今ちょっと照れているのは分かる。伊達に云千年付き合ってないからね。
うん、やっぱり、鬼灯君はいい子だ。
そんな彼に、こんな風に想われる巴ちゃんも、いい子。
「大王も、行き過ぎた情で判決を出さないで下さいよ。」
「もう…そんなことワシに話した癖によく言うよ。」
「仕事は仕事、プライベートはプライベートです。」
「じゃあ、今日はプライベートのデート、頑張ってきてね。」
「ええ。私も聖人ではないので、単純にオスとしての欲も大いにありますから、頑張ってきます。」
「ちょっと!?そういうのはいい話の前に言っておいてくれない!?」
「それにしても遅いですね。何処かで変な輩に捕まってないといいんですが…。」
「(鬼灯君も下手したら変な輩に入ると思う…)巴ちゃんだったら絡まれても自力で逃げてこれると思うけどねえ。あ…もしかして…」
「何か心当たりでも?」
「いや、鬼灯君と二人は気まずいから、仕事を理由にドタキャンしようかな〜みたいな流れだったりして…なーんて思っちゃってさ。あはは。」
「何を根拠にそんな想像を巡らせているんですかこのジジイ。耄碌ジジイ。彼女に限って有り得ません。」
「大事なことじゃないから繰り返し罵倒しないでよ!!大体根拠ならあるよ!」
「何です。」
「巴ちゃん、未だに鬼灯君のこと『補佐官さん』としか呼ばないじゃない。っていうことは、巴ちゃんからすると鬼灯君はまだただの仕事の関係者ってだけ、」
でしょ?という問いかけと、バキィ、という破壊音が重なって、反射的に口を閉じる。
本当は開いた口が塞がらない状況だったけれど、今彼の前で間抜け面を晒して口を広げていたら、彼の手の中でバッキバキにささくれ立って折られた箸を、躊躇いなく口の中に投入されそうだったから。
「…………気にしてるんです。言わないで下さい。」
そんな些細なことを、こんなに動揺する程気にするなんて、鬼灯君も可愛いとこあるんじゃない。
なんて、この禍々しいオーラを前に思えるほどワシ上司馬鹿じゃないからね。うん。
【地獄の底の春巡り】