巴はお屋敷に住まわせてもらい、元気で真面目に働きました。どんな仕事でも喜んで手早く片付けたので、すっかり王様のお気に入りになりました。でも、巴ばかり可愛がられるので、それを妬んだ他の召使い達は、中でも最も嫉妬深かったビアンキを筆頭に、巴を憎むようになりました。
ある日、ビアンキ達は相談をして、王様に言いつけに行きました。
「巴は、たった一日でお屋敷中を何から何まで綺麗に掃除してみせると自慢しています。」
王様はそれを聞くと、早速巴を呼んで、みんなの言っていることは本当か、と尋ねました。巴は、驚いて言いました。
「そんなこと、言った覚えはありません。」
「自慢したことはやらなきゃなんねーぞ。じゃなきゃ、殺す。」
無茶振りは王様の得意とするところでした。今までも巴は何度となく死ぬ気で王様の無茶振りに応えてきましたが、今度は輪をかけて難題です。巴は衣装部屋に行って、暫く途方に暮れました。
するとその時、衣装部屋のタンスの扉が開いて、中から若者…ぎりぎり若者と呼べなくもない、軟派そうな男・シャマルが出てきました。
「巴ーっ!キスしてくれーっ!!」
巴は驚いて、父親仕込みの護身術を何発か喰らわせてしまいましたが、男はダメージをものともせず、巴のそばにきて言いました。
「さて巴、どうして泣いてたんだ?お兄さんに話してごらん。」
「泣いてませんしお兄さんと言うには微妙な年代に見えますが何ですか貴方は。」
「まあまあ、いいから話してみろって。」
「はあ…貴方には関係の無い話ですけど、諸々あって、たった一日でお屋敷中をすっかり綺麗にしなければならないんです。普通に考えて、できるわけないんですけど…。」
「そんなことか。もしキスしてくれたら、俺が全部してやるぜ?」
と、若者は言いましたが、真面目な巴は即答しました。
「好きでもない人にキスするくらいなら、死んだ方がマシです。それに、自分の仕事は自分でします。」
「つれないねえ。落とし甲斐があるってもんだ。」
「だから本当に何なんですか貴方は…。」
巴はこの不思議な男を無視して仕事を始めようとしましたが、それでも男は、金の棒を振って、あっと言う間に屋敷中を綺麗にしてしまいました。
次の朝、王様は屋敷中が綺麗になっているのを見て、巴を大層褒めると、前よりもっと可愛がるようになりました。
ビアンキ達は面白くありません。またみんなで相談をして、王様に言いつけました。
「巴は、今度はお屋敷中の洗濯物を一晩で洗って、干して、乾かして、アイロンまでかけると自慢しています。」
王様は、また巴を呼んで言いました。
「自慢したことはやらなきゃなんねーぞ。じゃなきゃ、殺す。」
巴はまた衣装部屋に行って、途方に暮れました。すると、今度もタンスが開いて、中からあの男が出てきました。
「貴方はタンスの精なんですか?ただの変態ですか?後者ならビアンキさんに言いつけなきゃなんですが…。」
「おいおい、物騒なこと言うなって。前も助けてやっただろ?」
「不本意ですが助かりました。ありがとうございます。でも、それとこれとは話が別ですから。」
「ま、言いつけられたところで、俺は動かされようがないんだけどな。」
「?」
「それは兎も角、今度は洗濯だって?アイツの無茶振りも遠慮がねえなあ。」
「やれるだけやってみますよ。毎度話を聞いて下さってどうも。」
「待て待て巴、お前がキスしてくれるなら、俺が全部してやるぜ?」
「好きでもない人にキスするくらいなら、死んだ方がマシです。それに、自分の仕事は自分でやります。」
って、前も言いましたよね。と、巴は仕事を始めようとしましたが、それでも男は今度もまた、金の棒を振って、あっと言う間に洗濯物をきれいにしてしまいました。
王様は益々巴を大事にするようになりました。ビアンキ達は、いよいよ面白くありません。今度こそ、できそうもないことをさせてやろうと相談して、王様に言いつけました。
「王様、巴は、妖精ムクーロのクッションを取ってくることができると自慢しています。」
山の上に住んでいる妖精ムクーロは、どういうわけか、いつも小さなクッションを足で抑えていて、放すことがないと言われていました。
王様は、もう一度巴を呼んで言いました。
「自慢したことはやらなきゃなんねーぞ。じゃなきゃ、殺す。」
巴はまた、衣装部屋に行って途方に暮れました。そして、密かに覚悟を決めました。妖精ムクーロの恐ろしさは、巴も噂に聞いていたのです。
するとやっぱりタンスが開いて、中からあの男が出てきました。
「まあそういうわけで、ダメ元で行ってきます。」
「…お前には人に頼るっていう発想がねえなあ。」
「元々、ここでは拾われっ子ですから。住まわせてくれている王様の期待にはできるだけ応えたいですし、周りに迷惑はかけられません。だから、不本意ですが、貴方が二度も助けてくれて嬉しかったですよ。」
「……。」
「もし、無事に戻って来られたら、今度こそなんでこんな所にいるのか聞かせて下さいね。」
「巴、」
「キスならしません。」
「違ぇよ。それに、今度は俺がやってやるわけにはいかねえんだ。どうしても、お前が行かなきゃならねえ。…んな危険なことさせたくねえけどな。」
そこで男は、初めて真剣な顔で巴を見つめました。これには、今まで陽気で軽い、軟派な姿しか見たことがなかった巴も困惑して、同じ様に見つめ返すしかできませんでした。
そして男は、いつものように『キスしてくれ』と言う代わりに、至って真面目にこう言いました。
「キスしてくれなくても、俺はお前が好きだから、どうしたらいいか教えてやる。きっと、無事に帰って来てくれ。」
男はそう言って、妖精ムクーロのところに何を持っていけばいいのか、それをどんな風に使えばいいのか、教えてくれました。それからまた、タンスの中に戻ってしまいました。
「……やっぱり、タンスの精なんですか?」
答えの返らないタンスに呟いてから、巴は教えられた通り、傷薬と、パンと、ほうきと、靴を縫う糸と、それに、アーモンドを王様にもらって出かけました。
巴はどんどん、どんどん歩いて行って、やっと山の上の妖精ムクーロの家につきました。
庭の入り口の鉄の格子戸の前には、門兵をしている屈強な男・ランチアがいました。幾度となくやってきた敵を追い払ったのでしょう、体は傷だらけのボロボロで、巴は持ってきていた傷薬を全て使ってランチアを傷を癒やしました。ランチアは義理堅い男だったので、巴の話を聞くと、中に入れてやりました。
少し先には、番犬代わりの男・犬がいました。しかし見るからに空腹そうだったので、巴がパンを与えてやると、吠えたりせず、寧ろなかなか離れないくらいに懐いて、通してくれました。
また少し先には、掃除道具もなくパン焼きかまどを掃除している女・クロームがいました。巴が不憫に思ってほうきをあげると、女は気まずそうに、でも控え目に喜んで、通してくれました。
もう少し先には、自分の髪の毛を抜いて靴を縫っている靴直し・千種がいました。直毛の黒髪が勿体無い!と巴が無理矢理糸をあげると、靴直しは黙って通してくれました。
こうして、やっと家の前に辿り着くと、巴は持ってきたアーモンドを、屋根の上に放り投げ、それからすぐに家の中に入りました。うまい具合に、ムクーロは眠っていました。そこで巴はムクーロの足の下にあったクッションをさっと抜き取ると、急いで逃げ出しました。
その時、ムクーロが目を覚ましました。でも、屋根の上でアーモンドが転がる音を聞くと、
「雹が降ってるみたいですね。」
と、寝返りを打ちました。けれども、すぐに足の下にクッションがないことに気が付くと、飛び起きて窓に駆け寄りました。すると、巴が逃げていくのが見えました。
「クフフ、いい度胸です。千種、あの娘を捕まえなさい。」
「……できません。」
「おや、今何と言いましたか?」
「…百年もの間、靴を縫う糸がなかったのに、あの娘は糸をくれました。」
「おやおや、気紛れな情に絆されるのがどんなに悲惨な結果になるか、後でじっくり教えてあげましょう。クローム、あの娘をかまどに放り込みなさい。」
「できません…。私、百年の間、道具もなく掃除をしていたけど、あの人はほうきをくれたもの…。」
「お前もですか、可愛い僕のクローム。悪い子ですね。では犬、あの娘に噛みつきなさい。」
「それはできないれす!百年間なんも食べ物もらえなかったれすけど、巴さんはパンをくれたびょん!」
「主人以外から食べ物を貰うなんて出来の悪い番犬ですね。躾のし直しです。ランチア先輩、あの娘を閉じこめて下さい。」
「いいや、百年もの間、俺自身も放っていた傷を、アイツは癒してくれた。あの娘は逃がす。そしてお前には追わせない。」
「クフフフフフ。皆、どうあっても罰を受けたいようですね?」
「ひーっ!!ひっさびさに超怖い笑顔だびょん!!!」
「……。」
「ちょ、これってあたし逃げちゃっても大丈夫なんですか…!?皆さんが大変なことになるんじゃ…!」
「いいの…行って。」
「俺達は大丈夫だ。何だかんだで長い付き合いだからな。」
「は、はい…!皆さんありがとうございました!どうか無事で…!!」
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