駿河なる宇津の山べのうつつにも 夢にも人に会はぬなりけり
「犬、千種。久し振りに火遊びでもしましょうか。」
「あっ!骸さんっ!!」
「骸様…火遊び、ですか?」
「ええ、偶にはスリルのあることをしないと腕がなまりますからね。とは言え、相変わらず僕はクロームの体を媒体にしなければいけません。二人とも、しっかり守って下さいよ。」
「…はい。」
「髑髏を守るのはメンドーだけど、骸さんの為なら了解だびょん!」
「では、一旦黒曜からは離れますよ。暫くは戻りませんから、そのつもりで。」
「あっあっ!じゃあ行く前に巴さんに会って行くってのはどうれすか!?暫く会えないなら充電して…」
「いいえ、巴さんにも暫くは会いません。僕と喧嘩をしましたから。」
「へっ!!?」
「……(だから急に火遊びなんか言い出したのか…)。」
「ちょちょちょ、困るびょん!!最近巴さん来てなかったれすし…あっ!もしかして骸さんと喧嘩してたから来なかっ、ぎゃんっ!!?」
「さあ行きますよ。」
「……はい、骸様。」
住の江の岸による波よるさへや 夢のかよひ路人目よくらむ
「クフフフ、愉しいですね。やはり無茶はするものです。」
「けっこーヤバそうれすけどね!今度また俺らまで捕まったらどうしましょ?」
「その時はその時ですね。まあ捕まるくらいならいいところでしょう。何せ我々は脱獄常習犯ですから、まずは殺されないことを考える方が先ですね。」
「それもそーれすね!千種の足も片っぽ使いもんになんないれすし、逃げきれっかなー。」
「…骸様。」
「心配することはないですよ千種。千切れていなければ最悪僕が操ってあげましょう。犬、お前もさっき受けた毒が回ってきているでしょう。倒れるなら寸前に自己申告しなさい。」
「げげっ!やっぱあれ毒らったんれすか!?どうりでさっきから頭クラクラするびょん!」
「さあ正念場です。死の覚悟などとっくの昔に決めている筈ですが、いいですね。」
「勿論です骸様。最期まで貴方と。」
「うひょー!頑張るびょん!!」
夢にだにあふ事かたくなりゆくは 我やいを寝ぬ人や忘るる
「骸様…ごめんなさい…私の体、も、う…。」
「絶体絶命というやつですか、困りましたね。千種。」
「……。」
「犬。」
「……。」
「おやおや…一人、ですか。」
……一人。
「巴、さん。」
今の貴方は、現にも夢にも現れてはくれない。
紙一重な僕らの関係。人目を避けて会わないというのなら解るけれど、せめて夢の中くらい。
夢の中でさえ現れてもくれないのは、僕が貴女のことを考えてばかりで眠れないからですか。それとも、貴女が本当に忘れてしまったからでしょうか。
もう貴女は、僕を忘れてしまったのでしょうか。
「忘れられる筈がないでしょう。こんな個性的な髪型の人。」
嗚呼。
「日本ではその昔、想い人が自分の夢に出てくればくるほど、その相手に想われているとしたらしいですよ。」
「平安の頃の話ですね。ほんとよく知ってますよね日本のこと。」
「伊達に中学生はしていません。それは兎も角、その考え方は一理あります。巴さん、貴女が僕に対して心を閉じれば閉じるほど、僕は貴女に会えなくなった。」
「ムキになってこんなことしてないで、クロームさんの体借りてたなら直接会いに来ればよかったでしょう。」
「これは前から計画していたことですから。タイミングがよかったんですよ。」
「残念ながら計画通りにはいかなかったみたいですけどね。」
「そうでもないですよ。目的は果たしましたから、後は僕がこのまま逃げ切れれば成功と言えるでしょう。」
「城島君達を置いてですか。」
「彼らは僕の手足です。どこで死のうが切り捨てられようが、覚悟はできているんですよ。」
「また喧嘩をぶり返しそうなことを言いましたね。」
「クフフフ、また貴女は怒りますか。」
「六道さん、あたしが何で怒ったか覚えてますか。」
「ええ勿論。僕がこう言ったのが気に入らないのでしょう。死ぬことは怖くはないと。」
「そうですね、撤回して下さい。」
「人の価値観を尊重する巴さんらしくない発言です。何度も言いますが、これはただの事実ですよ。貴女は命を大切にしろとでも言いたかったのでしょう。よくある道徳的な言葉を。」
「そうやって解った気になって決めつけるのが六道さんの悪いところです。生きていきやすくはあるんでしょうが。」
「…何が言いたいんです?」
「六道さん、貴方は撤回せざる得ないと思いますよ。今、独りになって思ったでしょう。」
「ほう、何を?」
「淋しいと。」
「…クフフ。」
「死ぬと言うことは、忘れられることです。」
貴方みたいな自己主張の激しい人が忘れられて消えるなんて、堪えられないでしょう。
「論点がズレていたということですね。」
「六道さんが勘違いしていただけです。」
「そうですね、では大人しく撤回しましょう。」
「撤回してもらったところで報告です。父さん達に連絡したので、その内助けが来ると思いますよ。」
「そうですか。素直に助かります。ではもう少し無理をして全員移動しましょうか。」
「……。」
「何ですか?」
「いえ、六道さんがあんまりにも素直だと気持ち悪いなと。まだ何か企んでます?」
「クフフフ、失礼な。企んでいるとすれば、全て済んでから貴女に暫く構ってもらえなかった分構ってもらおうと思ってるくらいですよ。」
「まあ城島君達一人でも死なせたら二度と会いませんけどね。」
「それは頑張らなければいけませんね。巴さんに無視されるのはもう十分懲りました。」
「左様で。」
「忘れないで下さい巴さん、僕のことを。また、夢で会いましょう。」
「はあ。」
恐らくは、彼女が大切な友人の一員とする犬達を危険な目に合わせたのが気に入らないのだろう。仲直りをした割には冷たい相槌を打って、彼女は僕を掴んだ手を放す。
この曖昧模糊な空間で、体での触れ合いは意味を成さない。事実、肉体は遠く離れているのだから。あるものは精神の繋がり。クロームとはまた違う感覚で繋がる、彼女の特異な血に感謝したい。それは時に厄介でもあるけれど。
それでも、僕は貴女に会える。夢で繋がる。
体であれば男と女、繋がることは容易であるけれど、これは自分達にしかできない。
その昔、古人達が恋愛の物差しとしたがった夢の逢瀬。体と密接に絡み合う脳が見せる映像は、肉欲とは全く別物とは言い難いけれども、その曖昧さ故に慎ましやかで、素朴で、美しい。
とは言え、実際の恋愛というものに夢物語のような美しさや強さを求めても所詮綺麗事。憧れを追い、霞を掴む人間の愚かさは、今も昔も変わらない。
そう考えると優越感に笑えてくる。今それぞれに逃げ出す僕達は、瀕死の顔に笑みを浮かべる不気味な姿だろう。こんな血腥い場所で、誰がどう思ったところで構いやしない。
羨ましいでしょう、この世に集る夢追い虫。
僕と彼女は繋がるのだ。意識を開き合い、逢いたいと願い、求め合うことで。想われていれば夢に出てくる、その迷信を真実に変える。
「…また、死ぬことは怖くないと言ったら、貴女は怒りますかね。」
でも今は心からそう思う。
巴さん、貴女は僕を忘れない。
「余計なこと考えてないで早く帰って来て下さい。」
デレは帰ってからのお楽しみというわけですね。分かりました。
【詠う勿忘草】