「沢田家に世話になってる者だ。…アンタが『小先生』だな?」
「おー。何か外人の居候がいるってチラッと聞いた気がするけど、随分おっきい人もいたんだなあ。」
「巴が世話になった。送ってくれるつもりだったんだろう。コイツの母親に言われて迎えに来た。代わろう。」
「ああ成る程、わざわざ悪かったなあ。それじゃ宜しく頼むわ。じゃあな、巴。」
「え、あ、はい。ご、ご馳走様でした。」
「おう、また行こうな。じゃあまた練習でなー。」
はーい、お気をつけてー……って、見送るのは、よくて。
固まっていたあたしの周りで話はサラッと進み、あっという間に小先生の後ろ姿は宵闇に消える。残された道の上、掴まれたままだった肩から手が離れた瞬間、あたしはようやく我に返った。
「………あ、の…わざわざ迎えに出させてしまって、すみ」
「いい。」
こ、言葉遮られた…。あの聞き上手のランチアさんが言葉遮るとか、や、やっぱり怒ってらっしゃる…!?そりゃそうですよね!こっち来たばっかりなのに、勝手に予定外に外食しに行った奴迎えに出させられるとか…!母さん!いくらランチアさんが親切で面倒見がよくても配慮してそこは!!
「…帰る前に言っておくが、」
「は、はい!」
「お前の母に頼まれたというのは嘘だ。だから帰ってから責めたりはするなよ。」
「…え…。」
え、嘘って…え?じゃあもしかしてリボーンに…
と言いかけたらば、「違う。」とまた遮られて今度は黙る。考える。
………じゃあ、今来てくれたのは、ランチアさんが自主的に、って、思ってしまうんです、が。…いやいやいや自惚れるのは恥ずかしいですよあたし。ほら、ランチアさんのことだから夜道を心配して…でも母さんから小先生のことが伝わってるなら、小先生が送ってくれるだろうってこともちゃんと伝わっている筈…あ、でも結構先読み上手なランチアさんのことだから、あたしが遠慮して一人で帰って来ることを予想して…。
「おい。」
「………。」
「…巴。」
「…えっ、あ、はい!呼びましたか!?」
「……怒ってるのか。」
「へ?」
「怒ってるか。」
「な、え?お、怒ってないですよ!な、何でそんないきなり。寧ろランチアさんが怒っ、」
「………。」
「す、すみません…。」
「何でそこで謝る。」
「ら、ランチアさんこそ、なんであたしが怒ってると思ったんですか。」
「真っ直ぐ帰って来なかっただろう。」
「それは小先生に捕まっちゃったからで、」
「何で断らなかった。」
「…一応指導者の方ですし、強引な人で断り難、」
「イーピンに聞いた。」
「…はい?」
「お前の初恋の相手なんだろう、『小先生』は。」
だからか。
と、言われた瞬間、冷めた筈の頭が音もなく沸騰する。妙に棘だらけだった会話が止まる。自分の中の音だけが大きくなる。
ランチアさん、あたしは最近何かしてしまいましたか。何で会った時からあんなに冷たかったんですか。なのに何で迎えに来たんですか。ゆっくり帰って来いって言ったのはランチアさんじゃないですか。もう最初の言葉で充分堪えてるのに、何で逆撫でするようなことを言うんですか。しかも、一番、言われたくないようなこと、まで、
「ランチアさん。」
「…なんだ。」
「その喧嘩買いました。」
謙虚にいたかった。我が儘を言いたくなかった。こうやって迎えに来てくれたことだけで、満足したかった。
だけどランチアさん、貴方はあたしを怒らせました。もう嫌われようが構わない。この喧嘩、絶対に退かない。
「…喧嘩を売った覚えは、」
「売りました。だから買います。初恋の人が小先生というのも否定しません。すごく好きでした。」
「…そう、か。」
「今も憧れの立派な人です。でも恋心は全部過去形です。恋した時にはもう小先生には奥さんがいました。それでも長い間、あたしはそこから動けませんでしたよ。それが今になってやっと、動いたのは、」
「……。」
「ランチアさんを好きになって、好きだと言ってもらえたから、です、よ。なのに、ランチアさんは疑うし、疑う以前に、突き放したのに、その通りに離れれば、怒るし、」
「……。」
「さり気なく言ったつもりでも、ちゃんと分かってますから。甘くみないで下さい。ランチアさんのことだから、今の日常を大事にしろって意味で、あの時一緒に帰ってくれなかったんでしょう。でも、それはつまり、」
「巴。」
「それはつまり、ランチアさんはあたしの日常にはならないつもりでしょう。六道さんのこととか、昔のことを考えて、何かあった時はいつでもあたしから離れられるようにって、思ってるでしょう。自分が、あたしを、傷つけないように。」
「…巴。」
「その気持ちはよく分かります。あたしのことを大事に思ってくれてるのも有り難いです。距離を取りたいなら甘んじて受け入れましょう。ただ、」
「……。」
「自分から望んで距離を取ったのに、その通りに離れるあたしを疑わないで下さい。こちとら久し振りに会ったから少しでも一緒に居たいのに突き放されたって、伝えた気持ちを疑われたって、こうやって嫌われる覚悟で誤解を解こうとするくらいには、真面目に好きなんですから。」
「…巴、もう分かった。」
「分かってるのは知ってます。触らないで下さい。ランチアさんに覚悟がないなら、あたしから距離を取りましょう。それが望みで、ランチアさんが心安らかに過ごせるなら、それはもう喜んで。一人で好きでいることなんてあたしの十八番です。」
「それだけは止めてくれ。今拒否されただけで随分堪えた。」
「じゃあ、どうしろ、って、っ…」
「…本当にお前は…」
「………会いたかっ、たのは、…あたし、だけ、ですか。」
言いたくなかった、こんなこと。こんな子どもっぽいこと。我が儘なこと。
好きと言ってもらったからって、相手にも同じものを、同じ程度を強要するなんて間違ってる。理不尽だと思う。でも、解っていながらずっとその気持ちがくすぶって、ようやく鎮火したかと思えば本人に煽られたんだからもうしょうがない。ああもうやだみんなランチアさんのせいみたいにしてるあたしほんともう馬鹿じゃないかもっと言い方があったんじゃないかランチアさんの方がずっと辛いのにその過去を変えてあげられるわけでもないのになにを偉そうに疑われたくないなら自棄になって小先生とご飯なんかしなきゃよかったじゃないかああもう、もう。
ランチアさんだってそう思うでしょう。物凄く勝手な馬鹿だと思うでしょう。思わないはずがないでしょう。
だからこんな子どもを、そんな風に優しくあやさないでくれませんか。
「悪かった。お前の言う通りだ。全部俺が悪い。泣くな。」
「っ、む、りな、注、文を、っ…」
「じゃあいい。このまま運んでやるから泣いていろ。お前に触っていられるなら俺も本望だ。家じゃそうもいかないからな。」
「…べ、つに、ランボ、君、達と同じ、でしょ、う…。」
「馬鹿を言うな。好きな女をチビ達と同じ様に気安く触れるか。ただでさえお前だからな…触るのも覚悟がいる。」
「…どうい、う意味、で、」
「お前達が言う外人の俺達はな、よく日本人は鏡のようだと思う。こっちが不真面目に向かえば、それなりの対応が返るが、誠心誠意で向かえば、そっくりそのままの誠心誠意を返す。日本人が信頼を受けやすい所以だ。」
「…一概、に、そうと、は、」
「お前には言える。そしてお前は一族の特殊な血もある。それがなくとも、真っ直ぐ人と向き合おうとする。中途半端な覚悟で触ればこの通りだ。」
「……。」
「知らなかっただけとは言え、お前達は元々カタギの人間だ。カタギの暮らしを大事にしてほしい。お前達から受けた恩は返しても、俺は骸のこともある。アイツはまだお前達を狙っているだろうし、距離は必要だと思った。お前の言った通りだ。」
「…は、い。」
「それがいざお前がすんなり離れていけば、どうしようもなく焦ったし、イーピンから話を聞いたらもう待ってもいられなくなった。…まるでガキだな。矛盾もいいとこだ。」
「全く、です。」
「俺は弱い。お前を傷付ける。幸せにする自信もない。だがな、」
「は、い。」
「…許されるなら、お前の日常になりたい。」
あたしの体を軽々と、それこそランボ君達と同じ様に持ち上げるほど逞しいランチアさんなのに、何故だろう。
今あたしを支える腕は縋るように儚げにも思えて、抱き上げられるままに背中にしがみついていた手を放して、そっと頭を抱いた。
夜の空気に晒された髪が冷たい。ランチアさんも昔は、ファミリーとか誰かに、頭を撫でられたりしたんだろうか。この面倒見の良さはきっと、自分もよく面倒を見てもらったからこそできることだから、きっと。
それを、自分の意志ではなくても自分の手で壊して、後悔して、自分を責めて、この人はずっと一人でいるつもりだった。また昔のように誰かの日常になりたいなんて望むことは、すごく勇気のいる決断だった筈だ。それをこんな風に一方的に追い詰めて、口にさせるあたしはやっぱり馬鹿で、酷い奴で、
ああ、でも、
「会いたかった。…多分、お前以上にな。」
強がって悪かった、なんて、自嘲めいた苦笑いで謝るこの人に、これから先もしも嫌われたって疎ましがられたって、あたしは、
「…おかえりなさい、ランチアさん。」
しつこくしつこく、好きなままでいるんだろう。
【喧嘩上等】
(…ああ、あと、話は変わるが、)
(はい?)
(運動するなら下に何かはけ。)
(…まさか見ましたか。)
(…いや、見てはいない。)
(ちなみにあれはボクサーパンツじゃなくて短パンですよ。)
(あの短さじゃどっちでも同じだろう。)
(やっぱり見たんじゃないですか!!もう降ろして下さい歩きます!!)
(断る。あと、もう『小先生』と二人で飯を食いに行くのは止めてくれ。)
(…ランチアさんがあたしを自棄にさせなければ行くわけがないので安心して下さい。)
(…努力する。)