「おはよう、山本君。」
「おー。おはよ。」
マフラーに顎までうずめた巴が、こっちを見て小さく笑った。それだけで一日の始まりは上々だ。
日曜の静かな住宅地、お互いの家と家の中間地点辺りの待ち合わせ場所に、俺達はほぼ同時に着いた。珍しく練習の休みが被った今日はこれから、巴の買い物に付き合って町に行く。多分、デートってやつだと思う。
「晴れたけど、寒いな。」
「そうだね。ポッケから手出せないよ。山本君は冬場手荒れない?」
「荒れる荒れる。皿洗いしてるから、あかぎれできそうになるんだよな。」
「スポーツとかやってると、あかぎれとか死活問題だよねえ。了平さんはいっつもテーピングしてるけど、あれ血行悪くならないのかな。」
「いや〜あの人に血行悪いとか有り得ない言葉だろ。」
「言われてみれば確かに。」
と、隣で小さく吹き出す巴につられて笑い返すと、空気が和んであったかくなる。
あー、俺も随分成長したよな。付き合いだした頃とかは、巴が他の男の話するだけで何かもやっとしてたもんな。今こうやって、さほど気にしなくなったのは、密かに拗ねる俺にさりげなく気付いて、度々ちゃんと好きだって気持ちを表してくれた巴のおかげだ。ほんとガキですみません。あと感謝してます。
…っていう、恋人に対しての日頃の感謝の気持ちを伝えるのがイタリアのバレンタインだぜ、という話を聞いたのは、確かディーノさんからだった。町に着いて、バレンタインのピンク色一色の店を眺めて、そんなことを思い出す。
あーそれじゃ、バレンタインにチョコ送るのは本当は俺の方じゃないか?いや、巴にならプリンか。今は逆チョコとかあるしなー。…やってるやついんのかな。バレンタインに女子からチョコを貰うのは、何だかんだ毎年恒例だけど、逆チョコって巴がくれなかった時にツナと獄寺と一緒に贈った時くらい…
「山本君?行っても大丈夫?」
「え、あ、わり。」
「ううん。バレンタイン時期のショーウィンドウって目引くよね。可愛い。」
「そだなー。」
これ本当に男が貰うのか?ってくらい、包装もチョコ自体もすんげー可愛いもんな。これは女子向けっていうか、友チョコ向けっていうか…巴もこういうの貰ったら嬉しいもんだろうか。…いや、俺が買う勇気はないけど。
「そういや、巴の買い物って何なんだ?知らないでついてきたけど。」
「うん?バレンタインの準備の買い出しだよ。ラッピングとか。」
「あーそうなのな。」
「そうそう、もう間近だからね。今日逃すと町出れないから。」
「成る程なー……あー…?」
「え、なになに?」
「いや…一応確認だけど、巴、俺にチョコくれる、よな?」
「うん。え、駄目だった?」
「いやいや絶対貰うけど。貰うけど…そういうのって、渡す本人と買いに行くもんか?」
「ああ、それはあたしもちょっと考えたけど、あげるの山本君だけじゃないし、いいかなって。」
…前言撤回。まだ俺は成長途中らしい。今のはすっげーもやっとした。
いや、別に自分が貰うものを一緒に見に行くのが嫌なわけじゃないけど。毎年、俺以外にもやってんのは、知ってるけど。
「う〜ん、サプライズに配慮がなくてどうかなって思ったんだけど、練習休みが被る日そんなにないしさ。あっても殆どツナ達とみんなで集まるし…二人で出かけられる日って、滅多にないから。ごめん、あたしが嬉しい方を優先しました。」
「………巴ってほんとズルいよなー…。」
「えっ、そんなに嫌だった!?ごめん!!」
「んーそっちじゃなくて。」
「え、え?」
人をヤキモキさせといて、途端に引っ張りあげるっていう、釣りみたいなテクニックを無意識にやってのけちまうからなー。くそーいつものことだけどやられた。嬉しい。
なんて、勝手に百面相している俺の心なんか露知らず、巴はすっかり慌てて足まで止める。こりゃちゃんと安心させないと、予定変えてゲーセン行こうとか言いかねないな。それは困る。巴のバレンタインプレゼントをすっげー楽しみにしてるのは俺なんだし。
「止まってないで行こうぜ、巴。ちょっと予想外だっただけで、別に気にしてねーから。」
「いやでも…あ!じゃあ買ってる間別行動」
「足動かさないとこけるぞー。」
「ちょっ…!や、山本君!」
「んー?」
どさくさに紛れて、なかなかバレンタインコーナーに行こうとしない巴の手を取って歩き出せば、後ろを振り返らなくても分かる、握った手のひらから伝わる焦り。
それを素知らぬふりして、スルーして、エスカレーターに乗ったところでようやく、細い指が俺の手を緩く握り返した。
「……本当に気にしてない?」
「全然。俺も嬉しかったし、お互い様だよな。」
「うん、今度からもうちょっと気をつける。」
発言にはほんのちょっと気遣ってほしいけど、あとは特に気にしなくていいんだけどなー。結局手まで繋いで、役得してんのは俺だもんな。
「あ、でもカゴ持ちたいし商品見たいから、ついたら手は放してね。」
「……。」
でもこういうとこはやっぱ手厳しいんだよなー…。
「…つーかさ、すげえ買ってねえ?」
「え?そうかな。毎年大体こんなだけど。」
「いやいやだって、それざっと計算しても軽く3000円くらいじゃ…。」
「でも他の女の子に聞いてみたら、バレンタインの準備って大体平均2000円くらいだって言ってたよ。あたしあげる人かなり多いし、安く上がってる方だと思うんだけどなあ。」
「…女子すげーな。」
「山本君も貰ったの大事に食べなきゃだめだよー。」
乙女がお金も手間暇もかけてくれる好意の塊なんだから。
と、すっかりいつもの調子に戻って、俺の手の代わりにカゴをしっかり掴む巴は、話しながらもラッピング選びに余念がない。
今つっこんだ通り、既にカゴの中には小袋やら箱やらが大量に入っているんだけど、どうやら後二、三個は余裕で追加されそうだ。
作る物がもう決まってるらしい巴がさくさくチョイスしている横で、特に口を出すこともない俺は、フラフラと周りを眺めるに徹する。お、ハートのプリンの型なんかあるのか。巴は気付いてないみたいだけど、お誂え向きだなー。
つーか、もしかしてとは思ったけど、やっぱうちの学校の女子も結構いるな。先輩後輩含め、見たことある顔がちらほらと…さっきめちゃくちゃガン見してた奴もいたけど、あれは何でだ?
……ああ、でも知ってる学校の奴らがデートしてたら、そりゃガン見するよなあ。俺達って別に付き合いを隠してるわけじゃないけど、巴が周り気にして校内でベタベタしたりはしないし、端から見れば前と変わらず友達同士に見えるか。でも流石に、休みに二人きりで出かけてたら、ちゃんとそういう風に見えるもんな。
…ってことを、もしかして巴気付いてなかったり、する、か?…あるある全然有り得る。いつもなら、二言目には乙女さんがどーのこーのって言って距離をおく巴が、まるで二人きりの時みたいに真横にいるんだ。しかもこの選別の集中力。絶対気付いてない。
やばい、気付いた途端にテンション上がってきた。そりゃ、付き合ってるのは二人の問題なんだから、他人は関係ないっちゃないんだけど、何かこう…堂々と巴を自分のものだって言えてるみたいで、俄然気分は右上がりだ。いや、寧ろ感動してきた。
「山本君、あたしお会計して来るけど、今レジすごい並んでるからここで待」
「いやいや俺も行くわついてく。」
「え、山本君も何か買うの?」
「何も買わないけどさ。まーまーいいからいいから。」
「??」
訝しげな顔をしている巴に意図がバレないように、笑って押し切って一緒に並ぶ。
巴の言う通り、レジ前は長蛇の列だったけど、まあ大して気にすることじゃないよな。並んで他愛ない話してるだけで幸せとか、恋ってほんとエコだ。
なんて一人でのろけていると、ふと視界の端に見慣れた顔を見つけた気がして、無意識に横を見る。すると、
「あ…山本先輩!?」
「お?あ、マネージャー。」
真横を通った小さな影とばっちり目が合ったかと思うと、それはやっぱり見慣れた奴…っていうか部活の一年マネージャーだった。部活の奴に部活以外で会うのって珍しいなー…じゃなくて。
マズい、学校の奴と鉢合わせたら、折角横にいる巴がまた何か言い出すんじゃ…!
微かな希望をかけて、横をチラと盗み見るけれども、そこには俺の影からマネージャーを見ている巴の姿…駄目だ。これは帰りは手繋ぐどころか、他人のフリで帰るコースかもしれない…。
うあーこうなったら、せめて逃げられない列に並んでる間に、思いっきり開き直るかー。
「あー…と、あ、何かカゴいっぱいだな。って、ああ、そういやマネージャーみんなでバレンタインにチョコ配るっつってたっけ。」
「あっ!み、見ちゃダメですよ!中身は内緒だから先輩に怒られます!」
「わりーわりー。」
「や、山本先輩一人で買い物ですか?なんか休みの日はいつもクラスの人と遊んでるって聞いたんですけど…。」
「あーいや、一人じゃなくて、ほら、巴と。」
「あ、こんにちは。」
「えっ…。」
どうやら俺の真横で見えてなかったらしい巴が、ひょいと顔出して小さく会釈をした途端、巴より低い視線の両目が不思議そうに俺達を見る。その動きは正に、『えっえっ、もしかして彼氏彼女ですか』みたいな感じで。
あれ、一年のマネージャーって俺ら付き合ってんの知らなかったっけか。
「え、あの、え?二年の、さ、沢田さん?あの、」
「あ、ツナじゃない方の沢田です。」
「そ、それは分かります!」
「うん、俺の彼女の、な。な?」
「はい。」
「っ…す、みません!!お邪魔しました!!」
「え?あ、おーい?」
う、お?予想外に気ィ遣われてしまった。いやだからって走ってかなくても…。
「山本君、前々。レジ空いたよ。」
「ああ、うん。」
ああ、うん……それはいいんだけど、んん?え?巴?今、普通に、対応、した?否定もなく、怒りも、せず?
あまりに呆気なさ過ぎて二度見しても、巴はすんなりレジを通って、会計を済ませて、横を並んでレジ前から退散する。
……何か、嬉しいの越えて段々不安になってきた。変なとこ鈍感な巴でも、今のあからさまな反応見て、何にも思わないわけない。
そう思った俺の勘は、間違ってなかった。
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