今思えば我が儘を言ったのかもしれない。


そう思ったのは2月の14日午後四時を回る針を睨んだ時─つまり、今だ。

いつもなら夕方のロードワークに出ている時間だが、今日に限っては家の中でできるトレーニングに切り替えた。それどころか、朝日の上がる前の早朝ランニングに出てから、俺は今日一度も外に出ていない。その理由は一つ。アイツに言ったからだ。『いつでも待っている』と。


今も甘い香りが残る家の中は、今日が間違いなくチョコの日…もとい、バレンタインデーであることを知らしめている。

そう、今日はバレンタインデー。女子達が好きな者にチョコを贈る日。が、今は男が贈る場合もあるし、京子や三浦が作っていたような友チョコというのが大半だが、それでもしかし、やっぱり今日は女子が好きな者にチョコを贈る日なのだ。

去年、京子と一緒に貰ったアイツの菓子は美味かった。友チョコとして分け隔たり無く配られた、アイツの十八番のプリン味の菓子。

同じ物ではないかもしれないが今年もきっと、美味い菓子を貰えるんだろうと思い、ついこの間その話題を口にした。

案の定アイツは褒められたことに気恥ずかしそうに笑ってから、『今年も京子ちゃんと一緒に差し上げますね』と言ったのだ。



『一緒に』、と言ったのだ。




…別に主張するようなことではないが、今の俺とアイツは、一応その、好き合っていて、相思相愛で…い、所謂、恋人同士、なん、だ。去年とは違う。

その概念が芽生えたせいか、いつもなら手放しで喜べるその一言が喜べなかった。何かが引っかかった。それは始めチクリと痛み、徐々に膨れて不快感になった。

だから、俺は思わず、




『差が欲しい。』




そう口走った。


アイツは始め、言った意味が分からずキョトンとしていたが、どういうことなのかを説明をすれば、苦く笑ってから真剣な顔つきで悩み初めてしまった。

つまりは、恋人らしく、特別だという証拠が欲しかったのだ、俺は。

アイツは気だてが良くて、話上手で、誰とでも平等に仲良い。俺も去年の今日はその『平等に仲が良い』に入っていた。でも今は違う。はっきり思う。少なくとも、俺はもうその枠じゃ我慢がならない。差が、欲しい。


…多分恐らく、こう思うことを独占欲と言うのだろう。

お互いがお互いを好きだと知ってから、ずっとそれで満足してきた筈だったのに、何故今俺はこんなにも頑なだ。疑っているわけでも、不安なわけでもなかった。なのに、アイツが困っていたのに、やっぱりいいんだ何でもないと、助け船も出さなかった。


そんな自分の行動を、間違っていたのではと心配になってきたのは、午後三時になってもアイツが現れなかったという事実を、一時間以上かけて噛み砕いてからだ。







「…………。」





他の友人達に配るとしても、他人の家に遅くなってから邪魔するような奴ではないから、遅くても四時には来ると思っていたんだが…………来ない…。全く来る気配がないぞ。何故だ。何故なんだ。

確かにアイツにそんな話をした時は悩んだ顔はしていたが、「じゃあ14日に届けに行きますね。」と言い、俺が「貰うのだから俺が行こう。」と言うと、「他の人にも配りに行くのでいいですよ。」と言われたから、俺はこうして家で待っているのだ。ちなみに京子は三浦と共に沢田の家にチョコを作りに行っている。もしもその二人と話し込んでいたとしても、遅過ぎる。急くような電話はしたくないし、こちらから出れば入れ違いになるかもしれん。はっ…だがもしや道中で何かあったのでは…!?いやいやアイツに限ってそんなことは…。

と、そこまで考えて、隅に押しやっていた考えが顔を出す。事故や何やらに比べれば遥かにマシだが、その次に考えたくないパターン。




「………。」




………もしや、巴は、怒ったのだろう、か。

思えばいつもいつも俺に合わせて、文句も言わずに笑う巴とは、ケンカらしいケンカもしたことがない。それは偏に巴の寛容さがあるからで…なのに、それに重ねて俺はワガママを言った。チョコをくれないと、言ったわけでもなかったのに。

……駄目だ。やはり行こう。謝ろう。無理を言って悪かったと、平謝りして許してもらおう。

プライドなんて言っていられるか。アイツに嫌われるよりはいい。甘えて悪かったと、差なんてどうでもいいから、俺は、ただ、





「ご、御免くださ〜い…。」

「!!!」






心を決めて上着をひっつかんだその時、玄関から控え目な声が響いた。

元より動き出す寸前だった体は勢い良く飛び出し、次の瞬間には玄関に。

が、そこに在ると思った巴の姿は無く、一瞬呆気にとられるも、よくよく見れば僅かに開いた玄関の扉の隙間、見慣れた顔が半分だけ覗いていた。



「っ…巴!?」

「お、遅くなってすみませんでした!ちょ、ちょっと色々あっ」

「!?怪我でもしたのか!?」

「いやいやいや!そういう色々あったじゃなくてですね!えーと、ほら、あの差って話なんですけど、あれで」

「っ…!!あれは俺が悪かったっ!!!」

「へっ!?いや、え!?いや寧ろあたしが謝らなきゃいけないんですけど!あの、結局大した差はなくてですね、えーっと…あ!じゃあやっぱり差とかなくてもいいですか!?それならはい!これ!チョコです!良かったら!」



と、相変わらず巴は扉から顔だけを出したまま、中には入ろうとはせずに更に隙間からチョコらしい紙袋を差し出す。

どうやら怒ってはいないようだが…その妙な挙動不審さは何なんだ?そして何故頑なに入ろうとしないのだろう…。寒いだろうに。何より、今の言いようだと、差は用意してきたようなのだが、その差がなくてよいというならこのチョコ…ということは、これは差がないチョコということなのか…?



「いや、差を用意してくれたのならば喜んでもらうぞ。」

「いやっ!貰ってもらうものじゃ…!下手すれば差にも入らないし…あの、あたしとしてはこれだけもらって頂ければ完璧なんです!味は保証しますよ!」

「お前が良くても俺が欲しいんだ。それよりまず中に入れば…」

「いえいえいえ!すぐ帰るので!夕時に失礼しました!ほんと失礼しました!」



そうまくし立てて逃げようとした巴が扉を閉めようとした瞬間、俺は殆ど反射的にそれを阻んで扉の隙間に足を突っ込む。生憎、力の差だけなら歴然だ。そのまま勢いで扉を開けば、油断していたのかずるり、と芋づる式に玄関になだれ込んでくる巴の体。


……………。





「………。」

「………。」

「……あの、先に説明させて下さいえっとですね、差って話をした後に色々考えまして、単にお菓子の物を変えるだとかラッピングを変えるだとかだと微妙かなあと思って悩んだ挙げ句ビアンキさんに相談したんですね。それでビアンキさん曰わくそういう差はこういう風に出すのが一番だと言われまして、お昼からみんなに配ってから一度家に戻って、着替え、て、それ、で、遅くなったと言う訳なん、です、が。」

「……可愛いな。」




思わず呟いた俺の言葉に、巴は俯いて「そうですか」と、消え入るような声で言った。

普段ならトレーニング中しか上げない筈の髪が頭の天辺で団子に結われ、露わになった首が赤い。

そのまま視線を下げていくと、白いコートの下に襟首が丸く広く開いた尻の辺りまである桃色のふわふわしたセーターがあって、その下から覗くようにちらりと見えるのは、女らしく広がった短いスカート。

ちょっと短すぎやしないかと言いたくなるが、その下に見える細い足は、きちんと格子柄の入った暗い色のタイツを履いていて、膝まであるロングブーツで終わりとなる。

今は俯いていて見えないが、一瞬見えたその顔には、確かに化粧もされていた筈だ。


平日は勿論、休日でも、京子達と遊びに出る時でも、いつも動きやすさ重視でスカートすら滅多にはかない巴の、恐らくは全力で可愛らしく仕上げた姿。






この『差』は、予想していなかった。









「…あのう、ほんと、お目汚しで…。」

「何を言う!俺は満足だ!」

「ほ、ほんとですか?」

「ああ!可愛いぞ!とても可愛い!いつも可愛いがな!」

「あ、ありがとうございます…でもそんなに可愛いを連呼されなくても…」

「可愛いから可愛いと言って当たり前だろう!」

「いやっ…いやいやいやいやほんともう慣れてないのであんまり言われても…!!」

「照れてるのか、可愛いな!」

「っ〜…了、平、さん…!!」




もう勘弁して下さい、と益々俯いてしまった巴の頭に手を置いてぽんぽんと軽く叩くように撫でて、色々悪かった、と付け加えれば、ようやく僅かに目が合った。

恐らく、可愛いと言い続けて追い詰めたこと以外に対して謝ったのだと、感づいたのだろう。相変わらず察しのいい奴だ。



「俺はワガママを言って、お前を困らせたな。」

「…差のことですか?だったら全然!というか本当ならあたしがそういうの気にするべきだったのに、了平さんも今まであんまり気にされてないみたいだったんで、甘えてたんですよね。い、一応言われる前に考えなくもなかったんですけど…何かこう、気恥ずかしかったので…一緒でいいなら一緒でいいかな〜…なんて…。」

「あんまり遅かったもんだからな、お前に嫌われたかと思ったんだ。」

「遅くなったのは本当にすみませ…!」

「いいんだ。寧ろこれからまた俺がワガママ言うようなことがあったら容赦なく脅してくれ。嫌いになるぞと。」

「…脅しませんし、嫌いにもなりませんよ。」

「だがな、」

「実を言うと、あたしちょっと嬉しかったんですよ。」

「…なに?」

「差を求めてくれるってことは、ちょっとはあたしのこと、執着してくれてるのかなあ、って。」







お前は気付いているのだろうか。

いつの間にか完全に顔を上げて、まだ赤みの残る頬を緩めて、いつも以上に可愛らしく仕上げた顔で、破壊的なまでの笑顔を見せていることを。


こんなに可愛い奴が同じ想いで横にいて、いつも笑ってくれると言うのに、ああ、





俺は本当に、馬鹿者だなあ。








「やはり、この差は貰うものだな!」

「はい?」

「お前を貰おう。」







今度こそ、大切にする。






【差】





人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -