「あたしとエースさんは違います。できることも、できないことも。エースさんの選んだ道は誰にも文句はつけられません。たとえ、エースさん自身にだって。」
押さえたままの手の下で、微かに開いていた口が歪む。隙間から見えた歯はぎりりと固く噛み締められていて、堪えるように浅く息をするのが聞こえた。
震える睫の感覚を直接感じてしまえば、もう火傷の痛みなんてどうでもいい。ああ、何だろうかこの人は。こんなに筋肉美溢れる逞しいお兄さんだというのに、まるでうちのチビっ子達やらツナ達みたいに、どうにも放っておけないよ。
─そうか、そういうことか。
だからあたしは、この人に嫌われたくないんだなあ…。
「……もう、いい。離せ。」
エースさんがそう言ってあたしの腕を掴んで下ろしたのは、どれだけ経ってからのことだろう。
乾いたあたしの手のひらが示すように、あたし達はあれから互いに、何かアクションを起こすわけでもなく、ただ黙って、言葉も発しないで、そのままの姿勢で立ち尽くしていただけだった。
だと言うのに、何だか今までエースさんと居た中で、一番有意義な時間だったような気がする。そう思うのが、どうかあたしだけはありませんように。
「…さっさと手当てしに行くぞ。」
「はい。」
今度は拒否せずに、引く手に素直に応じれば、エドワードさんのマークを刻む彼の背中は穏やかだ。端から見れば怒鳴り合った後、何か呟いて静止して、何事もなかったように歩き出すという異様な流れだったろうなあ。…あ、というか。
「結局、なんで会いに来てくれたんですか?」
うっかり流されるところだったけど、それは結局どういう理由からだったんだろう。
イゾウさん達に仲良くしろと言われて渋々来た線が濃いとは言え、今感じたエースさんのあたしに対する心持ちが間違いじゃなかったら、たとえ仲間に言われたところで一人で来たりはしなかった筈。でも、今エースさんは来てくれて、気持ちを吐きかけたのは予想外にしろ、わざわざ話を振ってくれたりしてくれて…
…………。
「エースさん。」
「……。」
「今度は肩から火が…。」
「!!」
悪魔の実って、便利なようで面倒くさいですね。内容は分からないけど、感情だだ漏れなのは分かりましたすみません。
びくりと肩を震わせると同時にサッと火を引っ込めたエースさんは、少し腕を掴む力を強める。振り返らない背中の向こうから、返事は控え目にやってきた。
「…突き放しても突き放しても関わって来ようとするところが、弟に似てると思ったからだ。」
え、じゃあ。
「エースさん、あたしのこと嫌いじゃないって意味で受け取っていいんですよね!?」
「…何でそうなるんだよ。都合のいい頭だな。」
「いやいや、あれだけ弟さん大事にされてるんですからそうとしかとれないです。寧ろ否定されたとしてもそう思うことにします。あたしの心の安定の為に。」
「勝手にしろ。」
お、おぉ…!さり気なく仄めかしてみたけど、否定の言葉がなかった…!!これは嫌い発言撤回ってことで!よろしくお願いします!!
嬉しくてにやにやするあたしに対して、エースさんはチラッとだけこちらを振り返ると、呆れたような諦めたような溜め息を吐く。今までと違って嫌そうな雰囲気がなかったからあたしには屁でもないですよ!
「それはそうと、お前夜に一人で部屋から出るのは止めろ。」
「は?」
「は?じゃねえよ!!!いくらオヤジの言葉があったって、ここは男ばっかの海賊船なんだぞ!!分かってんのか!」
「え、はい。海賊船なのはよく分かってるつもりなんですが…。頼りになる人達がこんなにいらっしゃるので、敵襲とかは心配してないですよ?あたしも自分の身を守る程度の護身術はありますし。」
「…全然分かってねえ…!」
「?それに、いつも一人じゃないです。今日は来られなかったですけど、夜に外に出てると来て下さる人がいるので。」
「…どいつだ。」
「モビーさんです。」
「モビー?」
「はい、モビー・ディックさん。」
夜に外に出るなという今更なツッコミに、何故この大きな頼れる家でそんな心配を…と不思議に思いながら理由を述べると、モビーさんの名前を出した途端エースさんが訝しげな顔をこちらに向けた。
あれ、エースさんの知らない人たったかな。確かにこの船、人数が多すぎて全員把握するの大変だし、エースさんはまだ新入りの方だって言ってたから、知らなくても不思議な話じゃない。でも一応念の為、漠然とその特徴を伝えてみる。
「背が高くて、全体的に真っ白で、船乗りさんっぽいレインコートを着ていて、いつも片手に木槌を持ってる方なんですけど…エースさん知りません?」
と言えば今度こそ、エースさんが微動だにしなくなった。ちょ…何で黙るんですか?何でそんな有り得ないものを見るみたいに目をかっ開いて止まるんですか!?ん…?いやでもこの反応、どこかで…。
「……この船の名前を知ってるか。」
「え?し、知らないですが…。」
「モビー・ディック号だ。」
なんとまあ。
「……。」
「……。」
「…ゆ、」
「ゆ?」
「幽霊の人じゃなくて、よかったです…。」
「……そうかよ。」
そんなこんなで、それ以来引きこもりは止めて、エースさんとは仲良くなることができた。今や彼は立派なイゾウさん二号。イゾウさんがお母さんなら、エースさんはお兄ちゃんといったところか。世話焼きなところはイゾウさんと変わらないけれど、それと同じくらいこっちからも放っておけない。
「エースさん!」
「ぐー。」
「ちょ…また食事中に寝る…!!せめてお皿を避けて突っ伏して下さい!美味しいご飯が勿体無い!」
「じゃあお前も甲板で昼寝するの止めろ!!ジョズも迷惑してんだろ!!」
「エースさん寝起き良すぎです!!そしてジョズさんの件は仰る通りすぎて何も言えません!!」
「巴、俺は気にしていない。」
「ジョズさん…!」
「甘えんじゃねェ!!迷惑には違いねェんだよ!!」
「エース、巴、仲良くしろ。」
「あ、仲良しは仲良しなんですよ。」
「!!」
こんな感じで、最近ではお昼ご飯中、あたしが突っ伏しかけるエースさんの額を抑える光景が船員さん達の中で日常茶飯事になりつつあるらしい。こればっかりは不本意だ…お昼に誘ってくれるようになったのは嬉しいけれど、その度に重い頭を必死で抑えるか盛大に弾かれたご飯を浴びるあたしの身になって下さいって…!!
「でも、エースは手間がかかるから、そのお陰で巴は寂しくなくなってる。」
「あ〜…はい、まあ、それは本当に…。」
「よかった。僕は嬉しい。」
そしてモビーさんとの逢瀬も何事もなかったかのように続いてるけれど、結局貴方は妖精さんなんですか?当たり前のように頭を優しく撫でられてしまっては、今更訊くに訊けない、ええまったく。エースさんのことはモビーさんに相談していたけど、果たしてモビーさんのことは誰に相談すればいいのやら。