「いやあ、よかったねえ、鬼灯君。」

「はあ。」

「よかったねえ、ほんと、よかったよかった。」

「…どうも。」

「はあ〜よかった〜。」

「……。」



飲み始めてから、一体何度同じ単語を繰り返しているのか。しかし目の前の巨漢の上司は、全く飽きることなく、殆ど譫言のように、代わり映えのしない言葉を紡ぐ。

別にこれは、煽りでもからかいでも、嫌がらせでもないのだ。解っているからこそ、常のように酔っぱらいの傍迷惑な絡みと、すっぱり話を切り上げるのは躊躇われる。そもそも、今回のことで、個人的に色々と面倒をかけた自覚があるので、こうして大人しく飲みに付き合っている。内容が内容なので、飲み屋ではなく大王の部屋で、だが。



「よかった〜巴ちゃんもよかったね〜今日、連れてくればよかったのに〜。」

「彼女の立場を考えて下さい。恐縮するに決まっているでしょう。」

「そっかー。気にしなくていいのにねえ。」



気にするに決まっている。彼女が現世に戻り、そして地獄へ帰ってきたあの日から、早数日が経ったが、未だに彼女は反省モードが抜けない。いつにも増して、兎に角真面目に仕事に向かい合う毎日だ。そんな中、地獄のトップに呼び出されては、どれほど恐縮するか、想像に難くない。



「巴ちゃんとは仲良くやってる?」

「別段、変わったことはないですよ。いつも大王が見ている通りです。」

「見てる通りって、巴ちゃんが出勤する時のおはようございますと、戻ってきた時のおかえりなさいの挨拶?」

「そうです。」

「ええ〜?それだけ?」

「関係なんて、ある日突然変わるものでもないでしょう。」

「まあそうだけどさあ。物足りなくないかなあ。」

「意識さえ変わってもらえれば、今はそれで充分です。」

「いや、鬼灯君がじゃなくて、巴ちゃんがだよ。」



…ああ、成る程。その発想はなかった。元より彼女は、他人に対して求める欲求が控え目で、その点で不足を感じる姿は想像ができない。
唯一、物足りなさを訴えそうな相手として有り得そうなのは、やはり彼女の兄だけだ。



「鬼灯君はほんと負けず嫌いだよね。」

「競っているつもりはないです。」

「うん、根に持ってるんだよね。」

「否定はしません。」

「そういうの含めてさ、もっと言ってあげた方がいいよ。君はただでさえ分かりづらいんだから、不安にさせるよ。」

「ご忠告どうも。」

「も〜可愛いげがないなあ〜。」



反応の薄さなど今更だというのに、不服そうに肩をバシバシ叩いてくる辺り、義理で付き合える酔いの限度が来たようだ。となれば、とっととお開きである。



「そろそろお暇します。」

「えー!まだ全然のろけ話聞いてないよ!」

「そんなものはありません。」

「そんなわけないでしょ〜幸せのお裾分けしてよ〜。」

「さっさと寝て下さい。明日の仕事にほんの少しでも支障をきたしたら承知しません。」

「ハイハイ…でも本当、よかったなぁ。」



まだ言い足りないか。いい加減こちらが相槌を打つのも億劫になってきているのに、大王はやはり終わりまで、心底、沁々、繰り返す。まるで私が結婚でもするかのようだ。

地獄の代表者が、そんな風に、手放しで祝える関係ではないだろう。今は所詮、ただの酔っ払いではあるが。



「咎められるよりマシですが、あまり大袈裟に喜ばれても困ります。」

「大袈裟じゃないよ〜。」

「彼女に受け入れてもらったとは言え、終わりの見えている関係です。」

「知ってるよ〜君が最初に言ってたじゃない。」

「それに、終わらせるのは貴方であり、私達です。」

「そうだねえ。」



少しはテンションが下がるかと思いきや、意外にも愉快そうに笑ったまま、大王は猪口に残った酒を飲み干した。



「大丈夫だよ。鬼灯君と、鬼灯君が選んだ子だからね。最後はワシらがちゃんと裁くから、君達も余計な事は気にしないで、ちゃんと幸せにならないと駄目だよ。」



珍しく、年輩らしい余裕を見せるものだ。酔った時だけでなく、常々こうなら、仕事も多少気が楽なのだが。

しかし恐らくは、珍しいのは私の方なのだろう。あの日、巴さんを迎えに行き、漸く色好い返事をもらえたあの時、人並みの喜びと、幸福を感じたのは確かだ。だが、地上に逃避してしまう程、彼女を追い詰めたのは他でもない私自身で、そこまでしなければ、彼女を理解できなかった己の失態が帳消しになったわけではない。

これからも、同じことはいくらでも起こりうる。早々に関係が変わらないように、彼女を理解するにも、それを繰り返して行くしかない。そのことを辛いとは思わないが、巴さんはどうだろうか。少なくとも、また同じことをしでかしては、彼女の地獄での立場を悪くする。浮かれてばかりはいられない。

そうやって静かに煮詰まる自分を、大王は察しているのだろう。いつもそうだ。大王が頼りなければ、私は頼りにならざるを得ず、逆もまた然り。
となれば、今回の注進は素直に受け取っておくのが吉ということか。




「そういうわけで、物足りなくないですか。」

「どういうわけかは分かりませんが、とりあえず主語下さい。」

「貴女と私は晴れて恋仲になったわけですが、今のところ別段何かが変わったわけでもないので、それについて不満はありませんか。」

「…詳しく言わせてすみませんでした。」

「いえ、否定されなくてよかったです。と思う程度には、本当に何も変わっていないので。」

「そんなこともないと思いますけど。」



翌日、いつもの様に彼女が仕事から戻り、執務室に声をかけに来てくれたところで、昨晩の忠告を手っ取り早く本人に直接尋ねてみた。キョトン顔からの、やや呆れたような笑顔を見る限り、正直な返事のように思える。



「あたしは満足してます。もし物足りないと思ったら、ちゃんと言いますよ。」

「貴女が言いますかねえ。」

「流石に言いますよ。自分に幸せになってもらいたいと思ってる相手に、そこを黙っていたら、そう思ってもらう資格すらないです。」

「…巴さんって本当に、不安定なのか胆が据わってるのか分からない人ですよね。」



まあ、そういうところに興味を引かれ、興味を向かわせたくなったのが自分なのだが。
それを知ってか知らずか、彼女は返答に困ったようで、曖昧に笑って首を傾げる。そのままやはりいつもの様に、執務中の自分を気遣い、早めの退散を計って会釈をした。



「……。」



成る程、物足りないのは自分の方だったようだ。

そして彼女に学ぶのならば、それは言葉にするべきことだ。



「巴さん。」

「はい?」

「やっぱり私が物足りないので、一日一回くらい触っていいですか。」


振り返った巴さんの顔が、一瞬ひきつり、固まったのを見逃さなかった。が、彼女は直ぐに硬直を解くと、真っ直ぐこちらに歩み出て、躊躇いなく右手を差し出す。



「じゃあ、握手でも。」

「握手ですか。」

「不満ですか。」

「正直不満です。」

「座敷童さんにサボってる判定出されない程度がいいと思いますけど。」

「意外に冷静ですね。」

「あたし、以前から鬼灯さんと閻魔大王の関係が羨ましいなあと思ってたんですよ。」

「…はい?」

「補い合える相手がいるのが羨ましいです。付き合いが長いってレベルじゃない閻魔大王みたいにはなれませんけど、あたしはあたしなりに、そうさせてもらいます。」

「随分と頼もしい。」



ということは、今の私が頼りないということだろうか。先に惚れた身として、あまり良いとは言えない状態ではないのか。

しかし彼女は誇らしそうにこちらを見つめる。それに促され、目の前の小さな手を握れば、円らな瞳はゆったりと伏せられ、色付く口元には穏やかな笑みが浮かんだ。




「折角なので、いる間は補い要員カウントして下さい。あたしは鬼灯さんが大切ですし、普通に嬉しいので。」




どうやら私は、とても恵まれた鬼らしい。不安や不足を補ってくれる相手がいる環境が、贅沢で満ち足りたものだと、当然に解っているつもりだったが、彼女はそれに温もりと実感を与えた。

私は、巴さんとの関係を、好きなだけ心配したり、不安に思ってもいいようだ。彼女が幸せになる為に、いくらでも悩み、助けになりたいと願うように、彼女もまた、同じように思っていてくれた。

それはなんて、幸福なことだろう。




「握手もいいものですね。」

「そうでしょう。」




繋がった手が離れる瞬間の、ひんやりとした名残惜しさ。此れは離別の其れに似るのか。いずれ知る。

それまでは、また直ぐにやってくるであろう物足りなさを、逐一どう満たしてもらうか、その先々を楽しみ、味わうこととしよう。







【あれに見えるは人なる幽鬼】



リクエスト「管理人の好きなジャンルで」

お言葉に甘えて、好きな別ジャンルでやや長めに書かせて頂きました。お付き合い有難うございました。




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