「そりゃアンタ、リリスのせいだろう。」



意外な事に、疑問の回答はあっさりと提示された。

天国からの帰り、上空から聞き馴染みのあるエンジン音が聞こえたと思うが否や、目の前に降りてきたのは、仕事帰りの火車さんだった。地獄に戻るなら乗ってくかい?とのお言葉に甘えて、サイドカーにお邪魔するついでに、本日四回目の質問を火車さんにもしてみた結果が、上である。



「レディ・リリス?」

「ニャンだい、何も言ってにゃいのかい?巴は。」

「リリスさんには、一週間前に閻魔庁で私と一緒にお会いしてますが。」

「じゃあ、その後の話さ。いつもの面子で飲み会があってね。」

「ああ、世界悪女の会ですか。」

「そうさ。だっきがそこで、アイツの店の試食会を始めてね。巴もちょっと顔を出したんだよ。いやあ、巴の作るパイは旨いね。あの油の味が堪らないよ。油の板を重ねるだけだってのに、あんなに旨いとはねえ。」

「すみません、お気持ちは解りますが、話を先に。」

「ああ、悪い悪い。まあそれで、リリスが巴に言ったわけさ。鬼灯様にも持っていかにゃいのか、とね。」

「ああ、それであの日わざわざ…」

「それと、鬼 灯様に愛されて羨ましいとも言っていたよ。」

「………ああ、成る程。」



これでようやく合点がいった。リリスさん。そうか、リリスさんか…。人を惑わすのは悪魔の本分 。それがどんなに些細なことでも、彼女達は息をするように人を、魂を惑わせる。否、こんなものは惑わす内にも入らないだろう。ただのからかいだ。そして恐らくは、からかった本当の相手は、私なのだろう。



「まあ、言われた方は冗談でも気まずいでしょうね。」

「なんだ、冗談にゃのかい?」

「私としては本気ですけど、こういうのは本人が言わない内は冗談みたいなものかと。」

「一理あるね。さっさと言ってやんな。喜ぶだろうよ。」

「喜びますかね。」

「そりゃ喜ぶだろうよ。少なくとも、無意識で避ける程度には動揺してるんだから、悪からず思ってるんだろうし、相手は地獄が誇る鬼神様だ。まあ、巴は肩書きなんざ気ニャあしないだろうがねえ。」



丁度これから、巴がパイ生地の余りを持ってくるんだ。折角だから一緒に行くよ。と言われてしまえば、断るのもおかしい気がするので、成り行きに任せることにした。
どちらにせよ、この話題に触れてしまえば、私が彼女をどう思っているかは避けられない話の肝だろうし、上手く誤魔化す自信もなければ、元より誤魔化すつもりもない。良い機会なのか。

けれど、喜ぶ顔は想像できない。そもそも、自惚れるほどに自信があるのならば、とっくに口にしている。現状は、自信もなければ予測もつかない。リリスさんにからかわれた時、彼女がどんな顔をしたのかも。

客観視できないこと、愚鈍になることを、惚れた弱味と言えば可愛いものだが、もやりと霧がかるこの胸の内は、恋の一文字で済ませていいものだろうか。

…まあ、とやかく考えても、結局は相手あっての話である。本人に訊いてみなければ分からないこと、本人に訊けば全てがはっきりすること。まるで、判決を待つ亡者のような心持ちが新鮮であり、興味深い。

己の中にある、あるがしかし自覚のない、取り立てられない気持ちを、一つ一つ輪郭をなぞるように呼び起こす彼女が、やはり私は好きなのだなあと、猛烈なバイク音をBGMにするには些か不似合いな感傷に浸りながら、兎に角どういう言葉が返っても、せめて素直な本心で向かい合おう、などと、我ながら健気なことを思ったのである。



「あ、火車さーん。お先にお邪魔してます…って、あれ?鬼灯さん。」

「お疲れ様です。」

「帰り道で会ってね。一緒に乗ってきたんだ。都合が悪かったかい?」

「いえいえ、もし良かったら、鬼灯さんもパイ生地の端いりますか?この間のアップルパイのあの生地なんですけど。」

「…いえ、火車さんの取り分が減ると悪いので。」

「……随分と素面だね。」

「はい?」



やはり朝と変わらず、目に見える変化や動揺がない巴さんを見ていると、単なる早とちりではないかと不安になる。直接現場を見ている筈の火車さんですら、訝しげに髭を撫でる程に。本人はキョトンとしているが。



「さて、後は若い者同士に任せて、婆ァはパイ生地でも摘まみながら寝るかね。おこぼれに預かるよ、巴。」

「なんですかそのお見合いみたいな台詞。また持ってきますね。」

「ありがとうございました、火車さん。」

「ああ、上手くいくといいね。」



そんな捨て台詞を紡ぎ、ニヤリと含み笑いを浮かべた火車さんは、あっという間に巨大キャットタワーの遥か天辺までかけ上がって行ってしまった。後に残された我々はそれを見送って、どちらともなくお互いを見る。



「巴さんは、これからご予定は?」

「仕事が終わったので、このまま閻魔殿に帰る予定でした。鬼灯さんは、これから何処かに?」

「いえ、私もこれから戻るところでした。ご一緒しても?」

「はい、勿論。今日はお休みだったんですか?随分遅くに寝起きだったみたいですけど。」

「ああ、はい。あの後、あちこち用事を足していました。ついでに聞いたんですが、巴さん、最近は色んな方と会ってるみたいですね。」

「色んな方?」

「芥子さんとトレーニングしたり、」

「あーそうですね。最近、ご一緒させてもらってます。芥子さんは小柄なのに凄いですよねえ。」

「樒さんと料理会をされたり、」

「そうなんですよ。母と料理をしたのを思い出します。お店の参考にもさせてもらってるんですよ。」

「かぐや姫さんとは、お茶仲間だと。」

「じゃあ天国まで行かれてたんですね。かぐや姫さんは仕事関係以外で遊んでくれる、貴重な方なんですよ。良い人…じゃなくて、良い天女さんです。」

「で、最後に火車さんに会って、ここまで乗せてもらいました。この間の頂いたパイは、世界悪女の会のお墨付きなんですね。」

「そうなんですよ…!いつものことなんですが、オーナー前降り全くなくて…!変な汗かきました。」

「それに、リリスさんにからかわれたと聞きましたが。貴女が私に愛されて羨ましいと。」

「あ、火車さんに聞きましたか?あの時は、脈絡なくてびっくりしましたねえ。でも、流石は男性を誘惑する悪魔です。見る目ありますよね。いつか旦那さんも見てみたいです。」



奥様が来るってことは、旦那さんも日本に来られたりしてるんですか?と、歩きながら会話を繋ぐ彼女は、やはり素面で、虚しくなるほどの平常運転で、そうしてようやく、本当にようやく、的を得た。今日の疑問の本当の答えを。ほの暗く陰った胸の不安を。

ああ、彼女は、忘れたことにしたいのだ。なかったことにしたいのだ。
言葉の真偽を確める以前に、それを突然投げかけられ、恐らくは何かしらを思ったであろう自身から、目を反らしている。だから、平常でいられる。彼女が避けていたのは私ではなく、他でもない、彼女自身だった。

しかし、たとえ間接的にでも、私の気持ちが無視されたことに変わりはない。心に触れられないことを失恋と呼ぶなら、私は今まさに、失恋をしたと言えるのではないのだろうか。

己自身と向き合おうとしない亡者に対する、一獄卒としての叱責の反射と、ありきたりな恋心の衝動が、同時に現れ戸惑った。だが、どちらにせよ、そもそもやるべき事は同じだったと思い当たれば、躊躇いなど尻込みに過ぎず、産むが易しと口を開く。



「リリスさんの言ったことは、嘘でも冗談でもありません。私は貴女を愛しています。一個人として、私なりに真面目に、貴女に惚れているつもりです。」



誤解を招かぬよう、解釈の逃げ場を作らぬようと、選んだ言葉は至極シンプルで、あまりの呆気なさに、果たしてこれで伝わったのだろうかと、己を客観視しかけて、後悔する。

言ってから気付いた。己の手順の選択ミスと、手際の悪さ、そして、酷い独り善がりぶりに。



「   、」



首を傾げ、こちらを見上げていた巴さんが、一瞬の沈黙の後、何かを言いかけて、消えた。

消えたと言うのは、物理的に素早く立ち去ったという意味の比喩ではなく、体温すら感じる真横、至近距離のこの隣から、文字通り霞の如く、消えてしまったのである。あたかも、幽霊の様に。

ああ、そういえば、彼女は死後暫く、現世で幽霊をやっていたんだった。
そして、彼女の半魂は双子の兄としていまだ現世に在り、つまりこの地獄においても、定義としては幽霊みたいなかもしれない、と言ったのは、私ではなかったのか。確かに、普通なら有り得ない現象ではあるし、それに加え恋は盲目。予測できずとも仕方がない事態ではあった。
しかし、私は、この地獄で唯一、彼女を管理できる者。誰よりも、彼女を知っていなければならない者。

だと言うのに。




「私は彼女の何を見てきた。」




特権などと、どの口が。





【鬼の霍乱】








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