巴さんのヤカンカンへの再就職は、どうやら無事、軌道に乗ったようだ。場所が場所なだけに、一抹の不安もあったが、お香さんの報告からも大した問題は聞こえてこない。順応力の高さは彼女の長所だ。

住まいも、八寒の件を理由に半ば強引に閻魔殿に移させたが、本人は納得しているようだし、座敷童さん達とはお互い良い遊び相手になっている。
私としては、少なくとも朝晩二回、彼女の姿を確認でき、食堂で会えば気軽に世間話もできる。先日は、店の新作の試食だというアップルパイの差し入れを頂き、舌も心も満たされた。

つまり概ね、仕事においても下心においても、己の希望通りの状況を作り上げられていたと言って過言ではないだろう。しかし、では、何故か。



「避けられてますかね。」

「誰がですか?」

「私がです。」

「誰にですか?」

「貴女にですけど。」

「ん!?」



徹夜明けで目覚めた昼頃、遅めの朝食でもとろうかと、覚醒しきらない頭で廊下を行くと、恐らく出勤前の巴さんに行き当たった。いつものようにおはようございます、とこちらを見上げる彼女を見て、朝一に会えたことを嬉しく思う反面、胸につかえていた疑問が遂に言葉になってしまった。



「あの、今普通に会ってますよね?」

「そうですね。」

「普通に話してますよね?」

「そうですけど。」

「…鬼灯さん、徹夜明けですか?」

「はい。」

「お疲れ様です。」

「ありがとうございます。」



戸惑いながらもこちらを労う彼女に、今の問いかけの意味を説明せねば、と思うが、何分説明し難い感覚であり、頭も回っていない。自然と無言になり、よく分からない手振りだけが彼女の足を留めていた。さて、どう言ったものか。このまま徹夜明けの譫言と取られるのは困る。



「そのつもりはなかったんですけど、失礼なことしてたらすみません。なかなか自分の振る舞いって気が付かないので、言って頂ければ直します。」



ああ、それにしても、彼女の勤勉さには頭が下がる。流石は生前、体育会系で通した人間だ。顔色を窺うわけでも、渋々でもなく、そうあるべきと心から思って、実際に行動に移す。それは単純なことのようで、なかなかどうしてできることじゃない。それを愚直と呼ぶか、素直と呼ぶかは、まあ、時と場合によるが。ならば、今はどちらか。そもそも、どちらかか?



「…いえ、避けられていないならいいんです。出勤前にすみませんでした。気を付けていってらっしゃい。」

「?はい、じゃあ、行ってきます。」



不思議そうにしながらも、食い下がることなく、素直に彼女は立ち去っていく。その姿を見送ってから、今日やることを心に決めて、食堂へと足を進めた。まずは腹ごなし。その後は、無論何一つ納得していない理由を探しに、周りから攻めることとしよう。







「巴さんですか?最近は一緒に朝練してま〜すよ。」

「それは知らなかったですね。」



手始めに、食堂にいた兎獄卒・芥子さんに最近巴さんと会ったかと尋ねると、意外な返事が返ってきた。顔見知りだとは思っていたが、随分と親しそうである。



「巴さんは生前、拳法を習っていたそうで。修練熱心な方です。」

「しかし、まさか芥子さんと手合わせは無理ですよね?」

「はい。なので、走り込みやトレーニングを一緒に。」

「ちなみに、それはいつ頃から?」

「一週間くらい前からですね〜。亡者もトレーニングしてもいいんですか?と聞かれたので、私も亡者みたいなものです、ということで…。まずかったですかね?」

「いえ、別に問題ないですよ。彼女が好んでやっているのなら、是非これからもよろしくお願いします。」

「…ちなみにお噂って本当なんですか?あの〜、鬼灯様が、巴さんのことお好きだっていう…。」

「ああ、はい、否定はしません。」

「そうなんですか!鬼灯様はああいう方がタイプなんですね…!意外というか納得というか…!」



手練の獄卒と言えど、流石は女性の芥子さん。興奮したように鼻先を動かしながら跳ねる様は、恋バナに食いつく乙女そのものである。

それは兎も角、一週間前…何かあっただろうか。勿論、唐突に思い立った発言かもしれないし、以前から考えていたのかもしれないが。



「ところでその噂、どこ情報ですか?」

「私の元上司です。」

「…後でシメておきます。」




芥子さんに、噂を大体的に広めることはなるべく控えて頂きたいとやんわり釘を刺してから、次に向かったのは 五官庁。こちらには元々、五官庁第一補佐官・樒さんに所用があり、巴さんの件とは無関係に立ち寄ったのだが、思いがけずまた、一つ情報を得る。



「そういえば、巴ちゃんの料理はどう?やっぱり若いと飲み込みが早いし、最近の亡者だから発想も柔軟でいいですねえ。」

「巴さんの料理、ですか。」

「あら?いつも閻魔殿に持って帰ってるから、てっきり鬼灯様にお土産にしてるのかと…。」



芥子さんの件といい、今日は初めて耳にすることが多い。閻魔殿に所在を移してからは、以前より行動を把握できていると思っていたけれど、どうやらそれはただの願望だったらしい。当然と言えば当然だが、傍に置いたことによる安心からくる驕りだろう。ここ暫く忙しかったとは言え、我ながら油断をした。



「残念ながら私は頂いたことはありませんが、最近は料理教室でもされているんですか。」

「いぃえ!寧ろ私が教えて貰ってたんですよぉ〜。巴ちゃんは外国のお菓子にも詳しいし、レシピ交換し合ってたんです。生前、お母様ともよく一緒に料理していたそうで、思い出して楽しい、だなんて言ってね〜お休みの日に時々。」

「ああ、成る程。」



確かに、巴さんの料理上手は母親譲りだった筈。それを考えれば、樒さんのお母さんぶりは親しみがあるのだろう。そのまま仕事にも生かせる、趣味と実益を兼ねた余暇の使い方をしている辺り、彼女の真面目さが窺える。

…それは、真面目なだけだろうか?



「とりあえず、次回は私にもお裾分けして頂けるよう口添えをお願いします。」

「はい、勿論。」

「ちなみになんですけど、巴さんが最近されてることって、他に何か聞いてませんか。」

「そうねぇ…あぁ!最近聞いたところだと、」




と、樒さんに情報を頂き、次に訪れたのは天国の一角。以前来た時は、人垣が出来ていたその一軒家の前は、引っ越し後、好奇の目が大分落ち着いたのか、今は穏やかな静けさが保たれている。



「突然の訪問、申し訳ありません。」

「よい、今日は何ぞ用か。」



本人は人の在る無しに関わらず、天女らしい気高さと品を以てこちらを出迎えた。かぐや姫さんである。



「私の管轄の裁判保留亡者の巴さんが、こちらへよくお茶をしに来ていると聞いたので。」

「いかにも。巴とは茶飲み仲間だ。」

「メッセンジャーをしていた頃、こちらにも配達に伺っていたのは聞いていましたが、お茶をする仲とは知りませんでした。」

「巴が職を変え、立ち寄らなくなったのでな、わらわが招いたのだ。以来、互い気儘に茶を楽しんでいる。何ぞ不都合があったか。」

「いいえ、寧ろありがたいです。」
「では、何故わざわざ此処に?」

「最近、巴さんの様子で何か変わった事がなかったか、話をお聞きしたくて。」



自分の質問に対して、平安美人そのものの切れ長の目が、更に細められる。かぐや姫さんは優雅に扇子を開くと、試すように質問を質問で返した。



「それは、上司としての問いか。」

「いえ、私の個人的な質問です。」

「巴本人に訊かぬのか。」

「訊いたのですが、判りませんでした。はぐらかされたのか、それすらも。」

「そうであろうな。」

「何かお心当たりがありますか。」

「さて…。」



かぐや姫さんは伏し目に小首を傾げてみせるが、扇子に隠れた口元は笑っていることだろう。言葉少なだが、私の意図と動機は既に伝わっているらしい。



「天女が思い上がる様に、裁きの鬼神も目が曇ることがあるのだな。」

「己を完全にコントロールできる者など、そうそういませんよ。神も人も。」

「だからこそ面白味があるもの。しかし鬼灯殿、生憎、私は大した答えは持っておらぬ。強いて言うなら、先日の茶会では、随分と物思いに耽っていたということくらいか。」

「…そうですか。」

「巴は、私が纏う空気が好ましいと言う。恐らくは、天女が持つ清廉な気の事を言っているのだろう。穢れ多きが故に、人は天女を求める。あの日の茶会は、珍しく巴の方からの誘いだった。何かは分からぬが、あれが物患いをしているのは確か。」

「それが何かとは、お聞きにならなかったんですね。」

「それを訊くのはわらわの役目ではなく、鬼灯殿が役目であり、特権と思うたが。」



私の特権。確かにそうかもしれない。彼女は数少ない特殊輪廻法に該当する亡者で、私には管理をする職権がある。この地獄で唯一、彼女の事を根掘り葉掘り尋ねても許される。

しかし実際のところそれは、私だけの特権であってほしいと、ただ願っているだけなのかもしれない。彼女が望めば、誰に心を許しても咎められないのだ。例えば、私の知らないところで交流を深めていた、芥子さんや、樒さん、かぐや姫さんに。

なのに、巴さんは何も言わない。何も言わず、語らずに、今聞いた限りでは、上手に気分転換をしているようだった。それは良いことだと思う。己のストレスとの付き合い方を把握している人は、このストレス社会の現代において優秀であるし、一緒に居て安心感がある。今お会いしたお三方が、皆、彼女を快く思っているように。

それでもまだ、腑に落ちないのは、何故なのか。









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