「……異常無し。」



晴れて見晴らしの良い夜の海を、灯台の灯の元でぐるりと見渡す。双眼鏡から目を離し、肉眼でもう一度目を通してから、防寒用のマントを羽織り直して傍のポットに手を伸ばす。聞き慣れた夜の小波のBGMが、今日はやたらと静かに感じた。…まあ、さっきまであれだけ賑やかだったんだから当たり前かあ…。

ベンさんが言った通り、シャンクスさん達はほんの少し前─ヤソップさんの十八番話が五つほど終わったところで、船へと戻られた。まだまだ話足りないと酔いを回しながら駄々をこねるヤソップさんを引きずりつつ、夜明けに発つ前には必ずこの灯台の前を通ると約束してくれたシャンクスさんと握手をし、ベンさんに頭を撫でられ、ヤソップさんは引きずられたまま器用に頬摺りをし、ラッキーさんと思い切りハグをする。ラッキーさんの素晴らしい弾力の肉体はご健在で、最後の最後に大変癒されました。



「…シャンクスさん達、何処に停泊されてるんだろ。」



この場所から見えないってことは、あの岩陰か、それとも島の端か。あの人達が迂闊な場所に停まる筈はないから尋ねもしなかったけど、多分大丈夫だろう。

ポットから注いだ熱い緑茶を胃に流し込みながらそう結論を出して、ああまた考えることがなくなってしまった、と溜め息が零れた。

正直、夜の見張り番のことをすっかり忘れていたのだ。駐在さんが気を遣って一晩空けてくれたのはいいんだけれども、それはつまり、駐在さんが帰って来られるまでの見張り番を全部一人でしなくちゃいけないと言うわけで。いや、眠気とか体力は大丈夫なんだけども…。




「……うーん…。」




余計な事を、考えてしまう。


シャンクスさん達がいる間は、話を聞いたり食事の準備でばたばた騒いだり、考える暇を作らずに済んだ。夜は眠ってしまえば問題無し。そう思っていたのに。

気が落ちると自然と視線も落ちるもので、壁の縁にもたれかかるように下を見た。夜色の海や地面が、月の光で綺麗な陰影を作っている。いつ見ても自然の夜景は見事なものだなあ。ああ…あそこの赤い色も綺麗…



「……ん!?」



え、赤!?赤ってなに!?あんな崖の淵に、あんなでっかい赤い花とか咲いてたっけ!?

見間違いかと慌てて姿勢を正して下を凝視すれば、雲から完全に出た月の光が、よりはっきり赤色をを映し出していた。赤色の下で、黒くはためくマントも。



「シャンクスさん!!」



赤色の正体が赤髪と気付いた瞬間、ポットを引っ付かんで外に出た。崖の傍であたしを待っていたように半身をこちらな向けていた姿、ほんの数時間に別れた、シャンクスさんに間違い無い。



「ああ、見張り番お疲れさん。」

「いやいやどうしたんですか!?忘れ物ですか!?」

「ちょっと気が変わってな。まあ座れよ、ほら。」



彼は無造作に岩の地面に腰かけると、隣をたすたすと手で叩いて促す。呆気に取られながらも、シャンクスさんの指した逆側─つまり彼の腕の無い方に座ったのだから、なかなかどうして頭はしっかり回っているようで安心した。



「何でそっちなんだよ。」

「いや、念の為と言うか…もしもの時に、剣を抜く邪魔になったら悪いので。それより本当にどうしたんですか?」

「お前も変わらねえなあ。」

「はあ…?あ、とりあえずお茶でもどうぞ。」

「寂しいか?」

「…は、」

「寂しいか。」



まるで、今現在吹き抜ける海風が如く、サラリと流れてきたその言葉に返す言葉が見つからない。否、言葉は見つかっている。だけど口から出てこない。

─出てこさせるものか。




「大丈夫です。」




風を吸い込めば、潮の空気に反応して、胸の海楼石が小さく震えた。その響きに一点集中するように、五感をわざと鈍らせる。

あたしが成長して一番ほっとしたのは、見聞色の力をコントロールできるようになったことだ。使いたくない時に、きちんと心の耳も目も閉じられる。今は絶対、使わない。




「……巴。」

「シャンクスさん、女っていうのは、男の人が想像できないくらい強い生き物なんですよ。」

「……。」

「男の浪漫が女には理解できないのと同じ事です。」

「…そう言われちまうと、何も返せねえなあ…。」

「何も返さなくて大丈夫です。充分貰ってますから。」



そうだ、もう充分、貰ってる。子どもの時に、あんなに沢山。

そしてそろそろ、子どもの時代は終わりだ。大人に教わったり、導いてもらう時は、もう終わり。



「寂しくなんて、ないですよ。若輩者のあたしには、そんな暇はありません。海はいつでも騒がしいですから。」



波の音に心を任せて、変わることなく在り続ける海を思う。沢山の恵みをもたらし、災厄をもたらし、沢山の力を秘めて、それ故に人の欲を煽って、沢山の命を育んで、時に奪う。
この海に、ルフィは魅せられ、そして挑んだ。



「ルフィが海賊王になりたいように、あたしもなりたいものがあります。兄と同じく、大それた夢が。」



だから、努力はいくらしたって足りません。
そう言って笑えば、シャンクスさんも笑う。諦めたように、呆れたように、──ホッとしたように。



「女は強いな。」

「男の人が無茶ばっかりするからです。」

「はは、そうだなあ。」

「あたしは大丈夫ですから、夜が明ける前にちゃんと一眠りして下さい。睡眠不足は全てにおいての敵ですよ。」

「お前が言うと説得力が倍だ。じゃあちょっと寝るかー。」

「えっ、ここでですか。船戻らないんですか?」

「巴もどうせ朝まで見張り番だろ?あいつらが来たら起こしてくれ。」

「ええ…自由…。」

「海賊は自由なもんだ。」

「そうでした。」



そうでしたね、よく知ってました。今更言うことでもなかったなあと、隣で無防備に草の上に寝転がるシャンクスさんのシャツのボタンを留める。お腹冷えますよ。



「…ありがとう、シャンクスさん。」



そして恐らくは、シャンクスさんに何かしらの注進をしてくれたであろう、ベンさんも。












夜明け。予定通りにベンさん達の乗った小船がやって来て、今度こそ懐かしい面々に別れを告げた。
朝焼けの手前の、ほの暗い闇に消えていく船体を見送れば、灯台にいつもの時間が戻ってくる。海の波は穏やかに、見慣れた朝日が目をつんざく。

ああ、あたしの大切な人はみんな、この海が隔てるんだ。ルフィも、おじいちゃんも、エースさんも、シャンクスさん達も。

でも同時に、海に守られているって知っている。だから望んだ。海賊王より、もっと大それた夢を。




「ルフィ、あたしは、海になりたいよ。」





あの日からずっと、胸の海楼石が呼んでいる。






【東の海より愛を込めて】



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