「さて、夕飯の片付けも終わって、お風呂にも入って、後は寝るばかりなんですが、」
「…なんだ。」
「寝る場所がなくなってたことに、今気付きました。」
ここ数日、自身が思うよりも気にかかっていた事柄が解決したことで、穏やかな夜を過ごしていたところに、寝間着姿のトモエが現れた。
就寝が早いこの少女が、今までこんな時間に俺の部屋に訪れたことはない。何事かと思えば、…そんなことか。
「いやそんなことかで済まされると困るんですが。ジュラキュールさんが空けた…というか、斬った穴なんですから。」
「確かに、あの部屋の直線上にお前の部屋があったな。」
「そうです。シャンクスさん共々、あたしの部屋は吹き飛ばされてしまいました。」
「部屋なら腐るほど空いている。掃除はしてあるだろう。」
「勿論してありますしそのつもりですが、布団がないのでシーツを一枚分けて下さい。」
成る程、だからわざわざここまで来たのか。城に残された寝具はどれも劣化し流石に使えないと、以前トモエがそれらを雑巾に仕立て直していたことを思い出す。一応、それを考慮し、トモエの分の寝具も揃えてはあったが、
「明日探しに行ったら見つかりますかねえ。」
「見つかったとしても、泥まみれで破れているだろうな。」
「着替えもあったのに…勿体無い…!」
整理された棚を開けながら嘆く声は右から左へ流し、また近い内に買い出しに出なければな、と考える。嵐が去り、赤髪の船が発ってからにはなるが…いや、その前に、風穴の修繕からか。
「あの穴はどうしましょうか。大工さんに来てもらいます?って言っても、この島にはいませんよね…。」
「…いや、当てがある。数日の内には直せるだろう。」
「ほんとですか!よかったー。よろしくお願いします。ガンガン雨風入っちゃってますしね。もうああいうのは止めて下さいよ。」
「俺の住処で何をしようが俺の勝手だ。」
「結果的に困るのもジュラキュールさんですけどね。…よし、じゃあこれ借ります。お邪魔しました、おやすみなさい。」
そう言って、一枚のシーツを手に取り、扉に向かう後ろ姿を、ふと呼び止めた。
わざわさ聞く必要もない事なのだろうが、念の為。
「どの部屋を使う。」
「うーん…それを今考えてます。風の吹き込まない所にしたいとは思ってるんですが……、」
「何だ。」
「いや、…その、他の部屋って、殆ど誰かが使っているので…。」
「ああ…。」
忘れていたが、そうだった。こいつに自分の部屋を選ばせた時、「ここなら誰もいないですね。」と、安堵していたことを思い出す。俺にはさっぱり見えない、分からないことだが、トモエにしてみれば他人の部屋に押し入り、無理矢理に共寝を強要する気持ちなのだろう。
……共寝、か。
「トモエ。」
「はい?」
「使うなら、女の部屋にしろ。」
「…そこも悩んでるとこなんですよ。」
「何故。」
「いやー…女の人は女の人で、…ねえ?執念が強い方が多いと言うか…。」
所謂、無害ではない住人であるということか。時折ちょっかいを出されるらしく、城の奥から逃げ帰ってくるのは頻繁に見かけてはいたが…俺には、その危害の程がどれだけ深刻なのかは分かりかねる。だからこそ、トモエは今こうして考えているのだろうが。
…しかしそう考えると、些か気掛かりだ。トモエは寝付きが良く、眠りが深い。言ってしまえば呆れるほど無防備だ。そんな状態で、その執念深いという相手らと共に一晩を過ごすというのは如何なものか。
「……。」
「まあでも上手く頼んでみますから、心配しないで下さい。それでは、またあし」
「待て。」
「た…って、はい?」
「此処で寝ろ。」
最も最善な結論を俺が口にすると、トモエは三度瞬きをした後、表情も変えずに応えた。
「え、嫌です。」
「、……。」
「や、だって、あたしがここ使わせて貰ったらジュラキュールさんが別の部屋で寝なきゃじゃないですか。駄目ですよ、あくまであたしは雇われなんですから。」
「誰が部屋を明け渡すと言った。」
「え?じゃあもっと嫌ですよ。」
「……。」
即答か。こちらが気を遣ってやっているというのに、即答なのか。
そんな思いが顔に出たらしい。トモエは漸く自分の失言に気付いたのか、慌てて片手を振る。
「あ、違います違います!すみません、言い方が悪かったです。ジュラキュールさん、夜型でしょう?邪魔になるのは嫌って意味です。あたしも変に気を遣っちゃいそうですし。」
「ほう…ではお前は、城の住人達の方が気を遣わないと言うのだな。」
「…ああ、それ言われるとジュラキュールさんの方が気兼ねしないです。」
当然だ。存在の有無すら怪しい者達と比べられることすら心外だと言うのに、言われて気付いたと言わんばかりの顔をされれば、流石に癇に障る。
しかし提案を撤回する気は起きない。乗るなら今の内だと目を見れば、トモエは薄く笑って頭を下げた。
「ジュラキュールさんさえよければ、一晩お邪魔させて下さい。」
「構わん。」
「ありがとうございます。じゃあ、そこのソファ使ってもいいですか?」
「ベッドを使え。」
「え、嫌…じゃなくて駄目ですよ!ジュラキュールさん体大きいんですから、ソファじゃ無理ですって。まさか座ったまま寝る気ですか?船の時はそうしてましたけど…」
「誰がソファを使うと言った。」
「あれ、何かこのやり取りさっきもしたような…っていうことは、もしや?」
「二人くらいは寝れるだろう。」
「……すみませんやっぱりあたしどこか部屋を探して寝ますっ、うわ!?」
「大人しく寝ろ。」
幾度も繰り返す似たような会話には飽いた。そそくさと扉に引き返す背中を掴み、そのまま持ち上げてベッドに放る。軽い体は布団を跳ねるが、埃が舞わない辺り、トモエの仕事ぶりが窺えた。
「ジュラキュールさん乱暴!っていうか同じ布団は流石にちょっと!」
「何故。」
「いや何も問題ないみたいな顔しないで下さいね!あたし使用人!ジュラキュールさん雇い主!!」
「雇い主の俺がいいと言っている。」
「ちょっ…近い近い近い!ていうかこの体勢がまず色々問題ですって!!」
この体勢というのは、珍しく抵抗するトモエの腕をベッドに押さえつけている、この体勢のことか。確かに、単純に男女の睦事なら色のあるものだろうが、いい歳をした男と、まだあどけなさが残る少女では、端から見て問題はあるにはある。此処には俺達しかいないがな。
それにしても、不思議と愉快だ。いつも歳不相応に落ち着き払っているこの少女が、こんな風に動揺するのを見るのは初めてだからだろう。今までどんなに触れようが担ぎ上げようが密着しようが、頬を染めることもなかったことを考えると、過剰反応と思えるほどだ。流石に危機感を覚えたか。しかし、普段平静を保っている女こそ、それを崩した時が堪らない。本人は無意識だろうが、どうにも加虐心を擽る。
「ジュラキュールさん凄まじく悪い顔してますね!そんなに楽しい顔してますかあたしは!!」
「ああ、よく分かったな。」
「嘘でも否定してくれません!?ある意味、城の人達より怖いんですけど!」
「どういう意味だ。」
「…ジュラキュールさんって、ロリコンではないですよね?」
「いい度胸をしている。」
「あ、すみません…って、っ!?…っあはははっ!!ちょっ擽らな、擽らないで下さいいぃ!!!」
雨が緩み、波も一時凪ぎ、漸く静まった夜に響く、悲痛な笑い声。
狒狒には聞こえているだろう。赤髪の船には、届いただろうか。一頻り脇腹をくすぐり終え、げっそりとする少女を見下ろしながら、優越感にも満たない馬鹿馬鹿しい思考が頭を掠める。実にくだらなく、取り留めもない。
らしくもなく自嘲めいた気分を紛らわすように、暴れ乱れたトモエの髪を横に流すと、もはや笑い疲れて瞼の落ちた目が、緩慢な動きで俺を見た。
「あれ…あー…、」
「もう寝呆けたか。」
「いえ……でも一応、布団に潜ります…。ジュラキュールさんは、まだ寝ませんよね。」
「…そうだな。」
「お先に失礼します…あと、お邪魔します…。」
「ああ。」
「……ジュラキュールさん。」
「何だ。」
「ジュラキュールさんは、笑うと男前ですねえ…。」
今まで笑わなかった分を、トモエはこの半日で取り戻したと言って過言ではないだろう。それ程までに笑顔を見せた今日この日の最後の笑みは、とろける甘味によく似た柔らかさで充ちていた。
そしてそのまま、俺がまだ横に座っているにも関わらず眠ってしまうのだから、あの抗いは無駄以外の何ものでもない。
「…貴様に言われたくはない。」
俺の知り得ない、異様に小さな世界というものは、こうして形成されるのか。
:小舟の夢