「EU地獄から私用で遊びに来られた、悪魔のリリスさんです。サタンの腹心・ベルゼブブさんの奥方なので、閻魔殿にも挨拶にいらして下さっていました。リリスさん、こちら亡者の巴さんです。」
「ハロー、巴ちゃん。よろしくね。鬼灯様、彼女とはどんなご関係?」
「裁判保留の亡者と、その管理者です。」
「裁判保留?ああ、随分珍しい魂だものね。」
「あ、判りますか。」
「ええ。それに、ちょっとこっちの縁もあるのかしら。」
EU?ヨーロッパ?つまり彼女はヨーロッパの女悪魔さん…?ていうか、普通に悪魔って紹介するんだ…。いや、確かに鬼と悪魔って同義かもしれないけど。
そんなことより、これはまたとんでもない美女…。サラッサラでそれでいて柔らかそうな金髪ショートカットに、パチパチの長い睫、妖艶な瞳、ふっくらとした唇、強めの化粧が似合う真っ白な肌、そして文句の付けようがない無い抜群のスタイル…。性格の良さが滲み出る系美人のお香さんとはまた違った方向の美だ…。オーナーこと妲己様にも負けるとも劣らぬ美女じゃないだろうか、この人…じゃなくて、この悪魔。確かに、悪魔的なまでの美女…。色々自分の話をされていた気がするけど、このキラキラさの前ではどうでもよくなるなあ。
「それで、ご用件は。」
「あ、ああいえ、最近お仕事の報告してなかったので、必要かなーと思って、はい。全く急ぎじゃないので、また時間ある時に来ます。」
「そうでしたか、後で伺いに行きます。」
「いや、ほんと雑談程度の報告しかないのでそこまでしてもらう話じゃ、」
「折角なので伺いに行きます。」
「せ、折角?」
それは一体どういう意味の折角…いやいや兎に角、どうやらリリスさんは偉い立場の人のようだし、こんな事で待たせるのは悪い…と、ちらりと彼女を盗み見ると、鬼灯さんに寄り添い、愛らしい上目遣いを見せていたその瞳が、ゆったりこちらを見て細められた。
「鬼灯様、私これから白澤様とデートのお約束してるの。そろそろ行くわ。」
「はい。できれば次回は来られる前にご連絡頂ければ有り難いです。」
「はぁい。巴ちゃんも、またね。お二人の時間を邪魔してゴメンナサイ。」
「えっ?あ、いや寧ろこちらが邪魔をして…!」
「いいのよ。折角のお話、楽しんでね。」
バイバイ、と、指先までお綺麗な手を振り振り、リリスさんは行ってしまった。え、これ完全にお邪魔してしまったやつ……ていうか…おや?立ち去ってからじわじわとツッコミどころに気付いてきたぞ…?鬼灯さんの膝に乗ってベルゼブブさんという方の奥さんで白澤さんとデート…?
「巴さん。」
「はっ、はい。」
「もう一回言いますけど、誤解しないで下さいね。あの方は、〈誘惑〉の悪魔です。全世界の男に対して、平等にあの調子ですから。」
「全世界…。」
「立場も立場ですし、悪魔としての本分を尊重して好きにして頂いているだけで、私からは手も足も出してません。」
「ああ、じゃあ白澤さんとデートっていうのも、普通にお出かけって意味…」
「あれは手を出してます。」
「え!?でも人妻さんですよね!?白澤さん、人妻には手は出さないんじゃ…。」
「リリスさんは旦那公認なので。」
「おおぅ…。」
見も知らぬベルゼブブさん、懐が広過ぎやしないか。いや、悪魔界の夫婦関係が人間が思う夫婦関係の常識に当てはまるわけがないし、そう変な話ではないのかもしれない。あまり突っ込まないでおこう。
「それにしても、白澤さんはお元気ですね…オーナーのお店にもしょっちゅう通ってるみたいなのに。」
「久々に会話する内容が、よりにもよってアホ神獣についてですか。」
「あー…すみません、今日は何だか色々口が滑る日みたいなので、やっぱり出直します。」
「…そういう意味で言ったわけでは。」
「今度、食堂で会った時にでも話聞いて下さい。お疲れ様です。」
まずよく考えたら、忙しい人にアポ無しは駄目だよね。外交関係?のリリスさんにすら言っていたし。働く事に慣れてきたつもりだったけど、まだまだ仕事の配慮が足りないや。
そんな反省の意を込めて、素早くその場から立ち去る。何となく物言いたげな気配を後ろ頭に感じたけれど、ここは敢えてスマートに、振り返らずに廊下を曲がった。正直、さっきのインパクトのある画が頭から消えきらなくて、気まずい気持ちもあるからなんだけど…。あれだ、告白シーンに偶然遭遇してしまった時の心情に似ている。状況は大分違うけどね!そんな可愛らしいものではなかったけどね!!
悪魔ってすごい。いや、大人の世界ってすごい。大人にならないまま死んでしまったあたしには、分からないまま終わる世界だなあ。それが良いことだったのか悪いことだったのかは、衆合地獄の業務内容を聞いていると、よく分からなくなるけれど。
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あの後、一子さん二子さんから遊びのお誘いもなく、早めに布団に潜り込んだ次の日。今日はドキドキのオーナー新作試食会である。うーん、毎度ながら緊張する。でも、今回は鉄板のフルーツものだし、大丈夫大丈夫…。
と、自分に言い聞かせていた暗示も虚しく、緊張を更に上塗りされて固まった。何故ってそりゃあ、オーナーだけでも色んな意味で緊張するのに、そこには更に緊張する人達がいたのだ。前振りなしでこの場に投げ込まれて、平静を保てる人なんて、きっと鬼灯さんか白澤さんくらいだ。や、白澤さんはテンション上がりそうだから、平静ではないか…。
「ハーイ、巴ちゃん。昨日ぶり。」
「あらリリス、この子知ってたの?」
「昨日、鬼灯様にご挨拶しに行った時に、閻魔殿で会ったのよ。」
「あ〜、最近、閻魔殿に居候し始めたんだっけ?」
「なんだい、暫く見かけないと思ったら、妲己の下で働いてたとはね。」
上から、女悪魔・リリスさん、オーナーこと九尾狐の大妖怪・妲己様、お迎え課主任であり魅惑の元夜叉・荼吉尼さん、そして同じくお迎え課の頼れる姐さんこと猫妖怪代表・火車さん。
が、一同に会する中に、亡者の小娘のあたしが一人。……いやいや待って待って。確かに檎さんから今日は狐御前じゃなくて、何故かお洒落な飲み屋さんを指定されて、わけが分からず来たけれど、何ですかこの面子!!
「…オーナー、質問いいですか。」
「なに?」
「今日は試食会で間違いないですか?」
「そうよ、今日、丁度女子会の日だったから、ついでに感想もらおうと思って。」
「この女子会は何集まりですか?」
「入り口に書いてあったでしょ。世界悪女の会よ。」
「ほ、ほお…。」
自らを悪女と名乗る女子の集い…物凄く納得…リリスさんは分からないけど、少なくとも四人中三人が人食べてるしな…。そんな舌が肥えた?人達に試食して頂かなきゃいけないのか。先に言って下さい…。一応、荼吉尼さんと火車さんは前の仕事で面識あるけど、心の準備無しは普通にビビる…そして圧が…美と迫力と目力の圧が…とてつもない…!!
「白澤さんに代わってもらいたい…!」
「白澤様ならもう直ぐいらっしゃるわよ。」
「えっ…女子会なのにいいんですか?」
「いいのよ〜どうしても支払いしてあげたいって仰るんだもの〜。」
「ああ、お財布要員…。」
「白澤様は甘いのお嫌いでしょ?来られる前に試食しちゃいましょ。」
「あ、はい。ええと、今回はスタンダードに、季節ものでアップルパイを。組み合わせで悩んだので、ラムレーズンとさつまいもの二種類作ってみました。」
ナチュラルにリリスさんに急かされて、状況に気圧されつつも試食会が始まった。鉄板二枚分で作ったパイを丸ごと持ってきたので、その場で切り分ける。今回はパイだと言ったら、珍しく全部持ってこいと言われたのは、火車さんもいらっしゃったからか、成る程。
「相変わらず見た目が地味ねえ。」
「すみません、その辺りはまだご指導頂けると助かります。」
「でもラムレーズン、林檎と良く合うわ。お酒と一緒でも全然いけちゃう。」
「そーね。でもレーズンって好き嫌い分かれない?」
「バターが効いてて美味いね。」
「さつまいもの方はどうですか?」
「おいもと林檎も美味しい!でもちょっと重めかしら?」
「そうねえ、これならサイズ小さめで充分だわ。素朴だけど、口馴染みの良さはいいわね。」
「女子はお芋好きだしね〜。私もこっちの方が口に合うかも。こっちでいーんじゃない。」
「バターが効いてて美味いね。」
火車さん、流石猫。中身よりパイ生地の方がお気に召したようだ。今度パイ生地の余りが出たら持っていこう。とりあえず、この感じだとさつまいもの方でいいだろうか。
「そっちでいいわ。金額設定と期間は檎と決めなさい。」
「はい、ありがとうございました。じゃあ、あたしはこれで…」
「残りは鬼灯様に持っていくの?」
思いの外、普通にとても参考になる感想を頂き、評価も上々。ああよかったと、手早くメモを取って、余ったパイをしまい、さあ後は邪魔にならないようにそそくさと退室……の筈が、自分に向けられた問いかけに、足を止めざるを得なかった。
この面子の中で、最も愛嬌のあるこの声色は、リリスさん。何故かあまり良くない予感に、大袈裟に肩が揺れたのは、やはりこの方が悪魔だからなのか。
「鬼灯さんですか?いえ、これは、お店に持って帰ろうかと。」
「鬼灯様は白澤様と違って、甘い物は平気よね?プロデュースもお好きだし、男の人の意見も聞いておいてもいいんじゃない?」
「あー…そう、ですね。じゃあ、もし今からでもアポが取れたら…。」
「大丈夫よ、貴女からのお誘いなら、鬼灯様が断るわけないわ。」
ああ、やっぱり嫌な予感がする。繰り返される鬼灯さんの名前に、何故、の一言が紡げない。
リリスさんは、不思議な人物だ。悪魔なのに、こんな風にまるで無邪気な笑顔を見せる。常に毒を纏って美を引き立たせている妲己様とは、似ているようで少し違う。
見も知らぬベルゼブブさんの気持ちが、ちょっと解った気がした。リリスさんは、悪意一つないように見えて、でも、相手の後ろ暗いところを肯定しながら鷲掴みにして、その上で、無邪気に笑うんだ。許してね、と乞う様に、抜群の美しさと品の良い科で、惑わせながら。
「貴女は幸せ者ね、鬼灯様に愛されるなんて。」
悪魔の言葉に耳を傾けてはいけない。映画か何かで聞いたのか、そんな言葉が頭をよぎったけれど、ああ、できればもうちょっと早く、よぎってくれたなら。
【花は惑乱】