父さん、母さん、お元気ですか。巴は先日、あの世で転職しました。



「…現世で義務教育も終わってなかったのに、転職かあ…。」

「なんじゃ巴ちゃん、浮かん顔して。」

「あ、檎さん。お疲れ様です。」



無意識に零れた独り言を拾われて顔を上げれば、厨房の入り口からひょっこり覗くゆるゆるなお顔。
紹介します、転職先の店長の檎さんです。見た目ゆるゆるな人間のお兄さんですが、狐の男性です。所謂化け狐、らしいです。野干という種類の、地獄生まれ地獄育ちの狐だとか。



「接客業はスマイルよ。ほれ、わしの顔を見習って、にっこりー。」

「あたしキッチン担当ですし、檎さんの顔はにっこりと言うかヘラヘラですよね。」

「言うなあ、巴ちゃん。」



初日のフレッシュさが恋しいわい、なんて言ってくれますが檎さん、これも貴方の人徳の成すところ。つまり檎さんはちゃらんぽらんですね、と失礼なことを思っているわけですが、例えはっきり言っても開き直って怒りもしないからなあ。ある意味、器が広い。

で、そんな檎さんが店長をしているこのお店こそが、あたしの転職先、狐喫茶・ヤカンカン。簡単に言うと狐カフェです。性的な罪を犯した亡者が堕ちる衆合地獄、そのエリアの名物・花街にあるにしては、なんだかやけにファンシーな、女性に人気のモフモフカフェです。

どうやら最初は周りのいかがわしいお店に違わず、ホストクラブだったらしく、従業員は主にイケメン化け狐の皆さん。女性の狐さんも当然のように美人。それがどうして狐カフェになったのかと言うと、なんと鬼灯さんのテコ入れとのこと。鬼灯さんは本当に凄い人…じゃなくて凄い鬼だなあ。あれ、なんかこの言い方誤解を呼ぶ…いや、まあ、合ってるか…。

兎に角そういう経緯があって、あたしは二つ目の職場として派遣されたわけです。キッチン要員として。お店の売りは勿論、狐との触れ合いなんだけれど、どうやら最近カフェ色が強くなってきたことによって、他店との差別化も含めて、カフェメニューのリニューアルを考えていたらしい。それで、最近まで現世にいた甘いもの好きの人間…つまりあたしを雇ってもらえた、というわけです。甘いもの好きって言うか、プリン好きなだけなんだけど、大丈夫なのかなあ…。

なんて心配は、割としなくて良かった。地獄と現世、食材も食事も大分違うのは、暫く過ごして分かってはいたけれど、やっぱり現世の料理は目新しいらしく、アイディアはそれなりにご好評を頂いているようだ。良かった良かった。前の職場と大分内容が違うから、慣れるまで大変だったけど…。



「で、どうしましたか?」

「ん、休憩入ってくれ。」

「あれ、今日は時間早いですね。」

「今丁度、獄卒の蛇姐さんが来られて、巴ちゃん呼んどるよ。ついでにな。」

「あ、お香さんですか?今行きます。」

「補佐官の兄さんも、良い人材はくれたが、まともに使わんとどう料理されるか分からんからなぁ。きっかり一時間休憩取ってなー。」

「補佐官さんの目がなくてもちゃんと使って下さい。」

「オーナーがオーナーじゃい。あ、明日の午後、新作の試食会じゃから。よろしく。」

「はい…毎回緊張するなあ…。」

「ぬはは、今んとこは上出来よ。」



檎さん基準で上出来って、実質半出来なんじゃ…いや、完全にオーナーの尻に敷かれて頭かじりかけられてる檎さんの評価だからこそ、信用できるか…。

まあそれは置いておいて。今は兎に角、来客をいつまでも待たせるわけにはいかない。ツッコミもそこそこに、エプロンを外してお店に出れば、真っ先に目に入るは青い髪。ああ、相変わらず、うっとりするほど綺麗な髪の色だなあ。



「お香さん、こんにちは。」

「お疲れ様、巴ちゃん。お仕事中にごめんなさいね。」

「いえいえ、今、休憩なので。お香さんもお忙しいのに、いつもすみません。」

「私も休憩ついでだから気にしないで。一緒にお昼にしましょ。ここでいただく?」

「あ、この間お給料頂いたので、他のお店のご飯も食べてみたいです。」

「それなら、最近できた女性に人気の菜食のお店があるの。そこなんてどうかしら?」

「いいですねえ、行ってみたいです。」



お香さんは、衆合地獄の主任補佐、という役職の女獄卒さんで、大きく言えば鬼灯さんの部下さんだ。
彼女は、あたしがヤカンカンへの再就職を斡旋してもらってから、前回の職場の二の舞にならないように、という鬼灯さん指示で、こうして時々覗きに来て下さっている。思いっきり職務外なのにすみません…。そこまでしなくても、流石に今度何かあったら言いますよ!と言ってはみたけれど、そこに関しての信用は、八寒の件でがた落ちなあたしである。間髪入れず却下された。お香さん自身もとても良い人…良い鬼で、それくらい負担でもなんでもないわ、と、快く受けて下さったから、また…。

そんな、美人で気立てが良く、仕事が出来て優しい、そして帯締めに蛇を巻かせる程の蛇好きと言う、唐瓜さんがぞっこんなのも納得のパーフェクト淑女さん。それがお香さんである。



「え?お香さんと鬼灯さんって、幼なじみなんですか?」

「そうよ。まだ地獄が黄泉の国の頃、教え処で一緒でね。」

「黄泉の国…。」

「神代…そうね、日本神話の頃って言えば解るかしら?」

「正直想像つかないです。鬼って、長生きなんですねえ…。」



こうして、時々お香さんとランチをご一緒しながら、他の鬼の人や、鬼灯さんの話をしてもらうのが、最近の楽しみだ。前の仕事より他の鬼さん達と話す機会は減ってしまったから、こうしてお喋りができる相手がいるのはありがたい。そして、パーフェクト淑女が選んでくれるお店はいつも間違いがなく、今日も今日とてご飯が美味しいし、新作の参考になるなあ。鬼灯さんはこれを見越してお香さんを選んでくれたのかもしれない。

それにしても、そうか…鬼って殆ど神様と同じような存在なんだなあ。お香さん達からしたら、あたしなんて赤ん坊未満…スケールが膨大過ぎて感覚が…。今更か。



「最近は、鬼灯様とお話ししてる?」

「あー…最近は挨拶くらいしか。閻魔殿に居候させてもらってから改めて思いましたけど、鬼灯さんは多忙ですね。」



そうそう、実は八寒の一件以来、あたしの居候場所は閻魔殿内に移っている。以前の場所が住み込みだったから、また住み込みの職場になるかと思っていたし、実際ヤカンカンも住み込みできると言えばできる所なんだけれど、そこもやはり信用を失った身。鬼灯さんに住み込みは断固反対されてしまった。まあ、ここが花街真っ只中というのもあるんだろうけど…。

そういうわけで、以前より鬼灯さんや閻魔様、座敷童の一子さん二子さん、葉鶏頭さん達と会う機会が格段に増えた。そしてより一層、皆さんのお仕事の様子を目にする機会が増え、地獄の忙しさを目の当たりにしている。
特に鬼灯さんの忙しさは段違いで、あたしの生活時間内で仕事をしていない姿はほぼ見ない。流石に会ったら挨拶はするけど、話し込むのが躊躇われるくらいだ。



「そんなわけで、最近はめっきり。」

「アラ…そうなの。」

「…もしかして鬼灯さん、仕事の件で何か言ってましたか…?」

「ああ、いえいえ、違うのよ。その、そうね、一応あの人が巴ちゃんの上司のようなものだし、お忙しそうでも、偶には声をかけてあげてね。」

「…?はい。」



なんだろう。若干、話を濁された気がする。表情を見るに、知らない内に何か仕出かしたってわけじゃなさそうだけど、こう…甘酸っぱいものを見るようなその何とも言えない視線は一体…。これ突っ込んでいいところだろうか。やぶ蛇にならないだろうか。お香さんだけに。

そんな風に戸惑っている自分に気付いてか否か、不意にお香さんは優しく微笑んだ。それはそれは上品で、艶っぽく、ため息が出るほど、綺麗な笑みで。



「きっと、喜ぶと思うわ。見た目じゃ分からないかもしれないけど、巴ちゃんのこと、よく気にかけてらっしゃるのよ。」



あたしは、そのお香さんの笑顔をお届けした方が、ずっと喜ぶと思うんだけどなあ。

美男美女の幼なじみ関係に、ちょっとしたロマンスを期待してしまうのは、やっぱりあたしが子どもだからだろうか。唐瓜さんが泣きそうだから、冗談でも口にはできないけれど。






さて、お香さんとのランチタイムを終えて、午後の仕事も無事終了。花街が本領を発揮するその前にそそくさと抜け出して、真っ直ぐ閻魔殿へと帰路につく。

今日は帰ってからどうしようかな。まあ、座敷童コンビのお二人が暇を持て余していたら、問答無用で夕飯まで遊びの時間になるけど、今日お香さんに言われたこともあるし、もし鬼灯さんに話しかけられそうだったら、ちょっと話しかけてみようかな。
いやでも、いざ話をするとなると、何を話そう。一子さん二子さんの最近の様子…は、いつもと変わらず元気だし、お香さんが選ぶ素敵な女子ランチラインナップ…は、鬼灯さん男性だし…そもそも、仕事に関係のない世間話で時間を取らせるのはなあ…。無難に仕事の報告にしておこう。明日はオーナーの試食会もあるし、新しい試作品の話とか。うん、それだ、それでいこう。

と、心構えをして行ったはいいものの、



「ああ、巴さん。お疲れ様です、お帰りなさい。」

「アラ?初めて見るお顔ね。ご機嫌よう。」

「あっ、はい。失礼しました。」



鬼灯さんの仕事部屋を開けた途端、ブロンド美女が彼の膝に横座りで寛いでいるとは思いも寄らず、ハキハキと挨拶して扉を閉めた。

え、え〜…?ちょっとこれは、思いも寄らな過ぎるんじゃないか…?完全に入っちゃいけない時に入ってしまった。え、でもちゃんとノックして、どうぞって言われた筈…



「すみません勘違いしないで下さい。」

「うわあぁ!?すみませんあたしのことはお構いな」

「いやだから勘違いしないで下さいと言ってます。すみません、巴さんだとは思いませんでした。閻魔殿内の鬼達は皆、彼女のことは周知なので。」

「あっ、彼女さんでしたか。」

「…勘違いしないで下さいって言ってますよね。」

「すみませんすみませんすみません。」



とりあえずパニクってる時に圧かけてくるのは止めてもらっていいですかね!?割と普段から余計な口滑らせるタイプなのに、より怒らせそうなこと言いそうなんですが!!







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