*センチメンタルシャマル





朝帰りでフラフラと帰路についた早朝、ぼやけた頭に一瞬、巴の姿を見た。本当に一瞬のこと。向こうは一切、気付きもせずに。
多分、いつもの朝練だろうなと思いつつ、じわじわと上がってきた気温に、瞼の裏に微かに焼き付いた姿が消える。ああ、勿体無い。


ある日は、ビアンキの様子を見に沢田家に寄ってみた時、相変わらず素直じゃないしかめっ面のあいつの背後を、フラリと行く頼りなさげな背中を見た。曲がりなりにも来客である自分に気付かなかった辺り、寝起きか?
すっかり暑さに参ったと言わんばかりの後ろ姿は、それでも確かな足取りでバスルームに入って行ってしまう。首もとで少し汗ばんだ毛先が、やたらと無防備に見えたが、それ以上に妖艶な、目の前の女の奔放な流れる髪に、すぐに視線を奪われた。


昼間の熱がいつまで経っても冷めない夕時は、来る夜が愛おしい。気温が高くても低くても、相反する病の均衡を保つこの体には厄介だ。まあ、こちとら腐っても医者。その辺に抜かりはないんだが、いつだったか、寒暖差の大きい時期に、巴がそれに感づき、尋ねられたことを思い出す。無論、心配させるような説明はしなかったが、それでも巴は信用ならないと言わんばかりの半眼を向けて、「病人には変わりないんでしょうから、お大事にどうぞ。」と、優しい釘を打った。
…何だかなあ。汗の伝う蒸し暑さの中、無性に人肌が恋しい。









「いや〜折角の年に一度の夏祭だっていうのに、熱中症でダウンなんて勿体ねえなあ。巴の浴衣姿、楽しみにしてたのによお。ま、お医者さんが来てやったからには安心しろ。落ち着いたらちゃんと一緒にデー」

「…随分、」

「ん?」

「ご機嫌ですね、シャマルさん。」

「そうか〜?」

「………。」

「折角二人きりなんだから、時化た顔するなよ〜。」

「実際湿気てるんですよ…体が。」

「上手いこと言うぜ〜。」

「はあ…。」

「まだ気持ち悪いか?吐き気は?」

「…それは大丈夫ですけどね。」

「手は痺れてないか。」

「まだ少し…いや、さすらなくていいです。揉まなくてもいいです。」

「いやいや、人の手は何よりの治療なんだぞ。」

「はあ。」

「よしよし、今日は素直だな。」

「見たかったので。」

「へ?」

「花火、見たかったので。残念でした。」

「…ああ、そうだな。」



自分で言ったくせに、よっぽど解っていなかった。そりゃそうだ。この位の歳の子どもには、この手の非日常的な祭りは一大イベントで、たとえ巴がどんなに大人びていようが、感じる気持ちはきっと変わらない。
それを逃したとなれば、そりゃあ、気落ちして素直にもなるだろう。

久しぶりにまじまじと見て、話をしたと、そこはかとなくはしゃいでいた自分が、やけに白状で、虚しい奴に思えてくる。それでもってそれ以上に、ジェネレーションギャップにヘコむ。



「ツラい。」

「何がですか。」

「歳には勝てないのがな。」

「気だけは若いシャマルさんが珍しい。」

「ぐあー傷付くねぇ。」

「何がどうなって歳のことを考えてたんですか。」

「…いや。俺とお前じゃ、見てるものが違うんだな、と。」

「そりゃあ、あたしはシャマルさんほど浴衣美人は見つめてませんよ。」

「そこか。」

「そこ以外は同じでしょう。」

「そうでもねえよ。」

「見てくれればいいじゃないですか。一度は通ってきた道なんですから。」



無茶言うな。と言いかけて、苦笑混じりに下唇を噛む。ああ、そうだな、お前の方がよく解ってる。

目が合わないのは、擦れ違うのは、見ているものが違うから。分かっていたのに、目線を合わせようとしなかったのは、自分だ。通り過ぎた時間は、視点は、二度とは戻れない。その考え方自体は、間違った事じゃない。

そんな正しい言い訳に背を預けて、懐かしいものを見るように、巴を見た。鬱陶しいほどの目映さと、悲しいほどの蒸し暑さの中で。



「…何してるんですか。」



巴が横たわるベッドの隣、程良く冷たい床に仰向けに寝転がれば、怪訝そうな声が降ってくる。これはこれで新鮮なシチュエーションだ。



「添い寝の方がよかったか?」

「よい要素が何一つないです。」

「つれねえなあ。言われた通り、ちゃんと同じ目線にしてみたってのに。」

「ああ、そういうこ」



とですか。とでも続く筈だったのだろうか。巴の言葉を遮る光が、パッと一瞬、薄暗い天井を照らせば、俺に向いていた意識は奪われる。畜生。




「あ、花火。」




やっぱり、同じものなんか見れねえよ。

歩み続けた分だけ曇ったこの目は、今、同じものを確かに見たが、そんな風に感嘆の声をあげるほど、特別なものを見たようには、俺には思えなかった。それなのに巴は、天井が光る度に無邪気に呟くもんだから、置いてけぼり感が半端ねえ。こうなると分かっていたから、目を反らしてきたわけだが。

あの頃の俺なら、同じ気持ちを共有できただろうか。…自信がねえなあ。

そっと首を傾けて、微かな光に照らされる横顔を盗み見る。これでいい。病的なまでの女好きは、女の姿をキャンパスに、巡る季節を楽しむものだ。




「獄寺君達は、今年も無事に花火見れましたかね。」





それでも、隼人達を羨む自分が捨てられねえんだから、まったく、俺ってやつは。






お前のお陰で夏が嫌いになりそうだったよ


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