エドワードさんから送り出されて、一番初めにお世話になったのはイゾウさんだ。
何故かと言えば、その人も着物っぽかったからである。
「…着物も足袋も上等だな。お前、どっかのお嬢か?」
「あ、いえ、これ借り物なんです。」
小先生の奥さんは間違い無くお嬢様だもんなあ。それにしても、イゾウ、と呼ばれた方が言う通り、今あたしが履いている足袋は着物と同じく非常に上等なものだ。流石にこれでここを歩く勇気はない。
俺達海賊だ発言を聞いた後、何だか逆に肝が据わったので改めてその場で辺りを見渡せば、そこは広大だったが確かに船の上だった。
エドワードさんが座っていたのは船の甲板に当たるところだったようで、当然降ろされたこの場所は甲板。空は開け、みんな土足で歩いている。うん、まずこれ素足になろう。
と、失礼してかがみ込もうとするより早く、ここに来て何度目かの浮遊感が襲う。しかし今度のはエレベーターではなく、俵の気分になったのでエドワードさんではない。
何とイゾウさんがあたしを抱え上げていました。…ちょっと待って下さいな!!
「ちょ、え!?何ですか!?」
「足袋汚したくねえんだろ。運んでやるから大人しくしろ。まずは着替えだな。」
「今のままだとお人形さんみたいで可愛いんだけどなあ。」
「流石に船の上であれは動きにくいさ。さあ、俺達は隊の奴等に進路のことを伝えに行こう。」
また後でな、と手を振る他の人達に、抱き上げられたまま会釈はするけども…見知らぬ男の人に抱き上げられるとか!!厚意だって理解しても苦しい!状況が苦しい!そして重くないですか!?
「あのっ…!足袋脱いで歩くので大丈夫ですよ…!」
「船の上で裸足で歩く方が危ねえよ。」
「でもですね…!この状態かなり恥ずかしいんですが…!!」
「…やっぱりお前、ワノ国の人間なのか?」
「ワノクニ…?いえ、あたしは日本人ですけども…。」
「ニホン人…?ン…?」
よく分からない、という感じを言葉尻に含ませたイゾウさんは、理解したのかしてないのか、それ以上突っ込んではこなかった。そして船内に入っても降ろしてくれない…。
賑やかな船内を抱えられたまま進むという羞恥プレイを経て、辿り着いたのは一つの部屋。中に入るとこれまたびっくり、そこは和室だった。
「よし、まあ座れ。ワノ国の人間じゃないなら、別に着物じゃなくてもいいんだろ?どっちがいい?」
そう言って、座布団にあたしを降ろしたイゾウさんは、有り難いことにお茶まで煎れてくれた。緑茶だ。美味しい…って何か夢と思えないくらい感覚がリアルな気がしてきたんですが…。
不安になって目の前に同じように座るイゾウさんを見つめる。声と体格と若干はだけた胸元で男の人と判断できるけど、古風に化粧をされた綺麗なお顔が非常に中性的だ。そして、時代劇に出てくる女の人のような結い上げの髪。ていうか化粧も髪も全体的に歌舞伎の女形だった。が、よく見るとはだけた衿からカッターシャツのようなそれが覗いている着こなしはあまりにコスプレっぽい。やっぱりファンタジーだよこれ…。現実でも夢でも、腹を括るしかないらしい。
「和服でも洋服でも、動きやすければ何でも大丈夫です。貸して頂けますか?」
「おう。本当は服借りるならナース達の方がいいんだろうが…まあ間に合わせだ。とりあえず俺の服貸してやるよ。ちょっと待ってろ。」
そう言ってイゾウさんは、桐箪笥からあれでもないこれでもないと服を引っ張り出し始めた。思いがけず真剣なその後ろ姿に、さっきの奥さんの姿が被って、慌てて貸して頂けるなら何でもいいですよ、と付け加える。が、聞いていない。仕方がないからもう身を任せることにした。人生諦めが肝心な時って多いよね、うん。
でも、折角だから他に色々と聞いておきたいことがある。
「あの、イゾウさん。」
「あ?」
「エドワードさんは、この船の船長さんなんですか?」
「ああそうだ。…というか、さっきも思ったんだが、お前、白ひげ海賊団を知らねえのか?」
「え?はい。本物の海賊にお会いしたのも初めてです。」
「…やっぱりお前、どっかの箱入り娘なんじゃねえのか?」
「いや全然庶民ですって。」
「…白ひげって言って、知らない奴はこの世にはいねえ。オヤジはこの大海賊時代で世界中が認める、海賊の中の大海賊だ。」
「…凄い人なんですね、エドワードさん。」
何かあの雰囲気だから分かる気がする。あたしの前では優しかったけど、怒ったら恐いどころじゃなさそうだもんなあ。
兎に角、これで一つ分かった。ここはあたしの知ってる『世界』ではないらしい。さっきも思ったけど、あたしの知る世界で海賊っていうのは表立っては殆どいない。白ひげ、という名前も聞いたことがない。
『大海賊時代』、これがこの場所の時代なんだろう。…何であたしそんなとこに来てるのかなあ…。
「そう不安がる必要はねえよ。この海で、これ以上の大船はないぜ?」
「あ…はい。」
「見た目のおっかねえ奴等ばっかりだけど、打ち解けちまえばみんないい奴だ。あと、女もいるから安心しろ。」
「…ありがとうございます。」
確かに大船だ。大きさも、船長の懐の大きさも、船長の決断を信じる船員の人達の心の広さも。
こんな見知らぬ小娘に、こんなに良くしてくれるんだ。もうそれだけで殆ど不安はない。比例して申し訳なさがモリモリ膨らんできてるけど…。
「ん、これだな。ホラ。」
「あ、すみません。」
考えている内に、手渡されたのは朱色をベースに、衿が黒く縁取られた着物だった。着物と言っても、これは男物の着流しで、裾を絞れるズボンのようなものも渡される。…借りといてなんだけど、ちょっと大きくないだろうか。
「部屋の前にいるから、着替えたら呼べよ。」
「はあ…。」
明らかに大きいサイズだけども、構わずイゾウさんは部屋を出て行く。…うん、まあ、間に合わせだし、着れないことはないか。
「って思ったんですが、やっぱり裾引きずります。」
「当たり前だろうが…後ろ向け、後ろ。」
「すみません…。」
ズボンは腰の紐を縮められたから履けたものの、どう頑張っても上は温泉浴衣大人用状態になってしまい、諦めてイゾウさんに助けを求めれば呆れ顔で屈まれる。
そのまま裾を両側から広げるように後ろから持ち上げて、ぐっと帯に挟み込むと一変、非常に動きやすい状態になった。あれだ、お寺の小僧さんが掃除する時、みたいな。あーこう着ろってことだったのか。
「やっぱりワノ国の人間じゃないのか。」
「すみません…お手数おかけします。」
「…いや、やっぱ箱入りか?」
「何度も言いますが箱入りではないです。…すみません、素性の知れない人間が自分達の船に乗ってるとか、落ち着かないですよね。」
そうだ、エドワードさんが最初にスパイかと聞くくらいなんだから、ここが物騒だというのは間違いない。どんなに心が広くても、エドワードさんが信じてくれても、きっと部下の方には多少なりとも気苦労はさせてしまうだろう。さっきの青い炎の人もそんな感じだったし…。
エドワードさんは好きにしていいって言ってくれたけど、これからどうすればいいのかなあ…。雑用を手伝えればいいなと思っていたけど、余計な事をして余計な気苦労をかけることだけはしないよう気をつけないと…。
「…お前、」
「ええと、迷惑にならない程度に何かお仕事手伝えたらありがたいです。小娘ですけど、できる範囲でなら何でも頑張りますから!」
「聞け馬鹿。」
「うわ!?」
ぎゃああ!!!髪を!!髪を触られた!!!いや相手からすれば頭を掴んだだけなんだろうけど!!!余計なことはしないと誓った手前振り解きにくい!!!
外で固まり内で絶叫しているその間に、イゾウさんはあたしの頭の角度を自分の高さに合わせると、じいっと瞳を睨み付けてきた。何をしたいのか分かりませんが兎に角頭から手を離して下さいぃ!!!
「お前、他の奴等にはワノ国の人間だって言っておけ。」
「へ、……え?」
「そうすりゃ素性がどうのって言われるこたァなくなるだろ。先の海戦で紛れ込んじまったワノ国の少女、これで大体の奴は納得する。」
「い、いや、でも、」
「本当は何処から来たのか知らねえが、控え目で謝ってばっかで律儀で感情が表に出ねえところはワノ国の女そのものだ、充分通用するだろ。…その性質が偏に良いものだとは、俺は思わねえがな。」
「す、すみ、あっ。」
「……。」
「すみません…。」
「、っ…たく!!!俺はお前を厄介者だとは思ってねえから謝るなっつってんだ!余計な気も使うんじゃねえ!!分かったな!?」
「はっはい!!!」
「よし!!」
ならさっさと行くぞ、もう昼飯の時間だ。と、イゾウさんは一瞬般若の様になった顔をコロッと引っ込めて、掴んで乱れたあたしの髪を手櫛で整えると、腕を掴み部屋を出る。
その際、引かれるがままだったあたしの足に、こればっかりは合わせられない大きなサイズの草履を履かせてくれた。ずりずりと歩くあたしの足元を気にしつつも、ずんずん進む背中は広い。
「…イゾウさん。」
「何だ。」
「あたし、ちゃんと嘘は吐かないで皆さんに受け入れてもらえるように頑張ります。」
「…無駄に気張るのも止めろ。俺達は海賊だ。海賊ってのはなあ、もっと気楽なモンなんだよ。」
「あたしは海賊じゃありませんよ。それに、赤の他人に対して本気で怒ってくれる人を前にして、格好悪いとこは見せられませんから。」
「そう思うなら、無駄に自分を卑下するのは止めるんだな。他の奴は知らねえが、俺は不快だ。」
「善処します。でもすみません、なにせ無意識なので、またやってしまっていたら、怒って教えてくれませんか。」
「…俺はお前の世話役じゃねえんだよ。」
「なのにもう随分とお世話焼いてくれたイゾウさんだから言うんです。着物のよしみで、よろしくお願いします。」
「…思ったより図太い神経してんじゃねえか。」
「図太いついでに言っちゃうと、名前で呼んでもらえると嬉しいんですが…。」
突然ぴたりと足を止め、振り返ってあたしの顔を見たイゾウさんは「叱られたってのにニヤついてんじゃねえ。」とちょっと睨む。
いやだって、このご時世、他人の為を思って叱ったり怒ったりしてくれる人にはなかなか巡り会えないんですよ。こんなファンタジーな世界だというのに、あたしの対人運は変わらず絶好調だなあ。
つっこまれたにも関わらずそんな感じでニヤニヤしていると、訝しげな顔から呆れ顔に変わったイゾウさんは、これみよがしに溜め息を吐いて、つられたように笑う。
「ゆっくりしていけよ、トモエ。」
その後、イゾウさんは昼食の席でおかずをとってくれたり、デザートを分けてくれたり、色んな人から話しかけられる中、隣から決して離れないでいてくれたりと、やはり盛大に世話を焼いて下さった。
そして船員の皆さんと大分打ち解けてきた今でも、何かと世話を焼いて下さるイゾウさん。
有り難いと日々感謝をする傍ら、内心お母さんと呼んでいることは、また般若になりそうだから内緒にしておくことにしよう。