「…お願いがあります。」
「何でござろう?」
佐助が金子を支払おうとしたその時、浮かない顔で大福の包みを差し出した巴殿は、じっとこちらを見つめて言った。
「まず、お代金は半分で構いません。」
「それはいけませぬ!こちらが無理を言って包んで頂いたのだ。佐助。」
「随分引き止めてしまいましたから、いいんです。受け取れません。何なら従者さんのお給料に上乗せしてあげて下さい。」
「え、やった。」
「佐助!!」
「浮いたお金をどうするかはご自由ですけど、半分でいいです。」
「しかし…。」
「お願いします。」
こちらが無理を言ったのだ。巴殿が懇願されるように言われる必要なんてないのに…渋々半分の金子を手渡して、大福を受け取る。包み越しでも判る柔らかさに、たった一つしか食べられなかったことが悔やまれた。かくなる上は…佐助の調べが終わり次第また此処に走って…
「それと、もう一つ。」
密かに計画を練っていた頭の中に、妙にはっきりとした言葉が届いてハッと我に返る。声の方に目をやれば、射抜くような巴殿の視線があった。
いつもの俺ならば、女子とこんな近距離で見つめ合うなどと破廉恥だと目を反らしたことだろう。だというのに、この時は何故かそんなことは一欠片も思いもせず、その色の薄い瞳を覗いたまま、彼女が視線を佐助に移すまで、一切離せずにいた。
鋭くも深く、目から心の臓まで入り込んで来るような視線は、何故か──何故だか、酷く心地良さを─
「食べられるようなら、できる限り涼しい所に保管をして、絶対に今日中に食べて下さい。できれば昼までには。お願いします。」
「…うん、分かってるよ。」
「真田さんも、お願いしますね。」
「あ、あい分かった。」
慌てて返事を返せば、巴殿は人当たりの良さそうな笑みに顔を戻して、ありがとうございました、と我々を見送った。
─何とも言えないあの視線の余韻に、どうにも気持ちが浮つく。嫌な視線ではなかった、いや寧ろ不思議な心地良さを感じる視線であった。…が、何故だ。あの感覚を、俺は知っている気がする。一体何時、何処で見た覚えがあるのだろう。女子と見つめ合うことなど、そうあるわけ、が……!!!
「破廉恥なっ!!!」
「ちょっと旦那…何考えてんの。」
「なっ何も考えておらぬ!!」
「あれだけはっきり叫んどいて何言ってんだよ…。どうせ女子と見つめ合うなんて〜とか考えてたんでしょ。」
「っ…!!!」
ぐ、ううぅ…!!!佐助のように破廉恥な奴には分からぬ…!!い、いいや、あれは不可抗力だったのだ…!決して広いとは言えぬ店内で、話をしようとすれば距離も近付こう…!それにあくまで巴殿は、職人として真剣に注意を促して下さったのであって…!!
「ったく、そんなんじゃ気付いてないだろうけどね。」
「…?何をだ?」
「さっきあの子、食べられるなら今日中にって言っただろ。」
「確かにそう仰っていたが…それがどうした。」
「俺様達が大福を食べない事を前提に話してたんだよ。あの子は。」
「…!!まさか俺達の話を聞かれてしまったのか!?」
「そんなヘマしたつもりはないし、呼ぶまであの子は廚から出て来なかったけど…。考えるより調べた方が早い。じゃあ俺様先行くから。くれぐれもまたあそこに走らないでよ。見張ってるからね。」
「ぐっ…!!」
また、釘を、刺されてしまった…!!見張りをつけると言ったのだ、間も無く代わりの者が来るのだろう。やはりもう思う存分彼女の大福を食べることは叶わないのだろうか…。しかし……
佐助が姿を消して向かった方向を見て、周りの気配を探る。そうしてまだ代わりの忍が来ていないことを確かめてから、そっと懐に手をやった。
「…すぐに気付くと思ったのだが…。」
指先に当たる感触は柔らかく、まるで幼子の頬の如く。魅惑の食感を内に秘めたる薄皮─それが今、たった一つ、この懐にあることを佐助は気付かずに行ってしまった。
実は…先程佐助が支払いをしている時に、大福をこっそり一つくすねたのだ。神経を研ぎ澄まし、佐助にも巴殿にも気付かれないよう最大限の注意と速さで、そっとかすめたこの大福。とは言え、きっと巴殿と別れた後で佐助に奪われるだろうと思っていたのだが、これは幸運か、佐助がそれだけ巴殿に警戒していたのか。
無論、佐助の警戒を蔑ろにする気はない。これは調べた結果が出て、問題が無いようなら、こっそり一人で食べることにしよう。うむ!これならば問題無い!元々、自分自身は彼女に警戒を抱いていないせいで、まるで幼い頃の悪戯の算段のように思わず顔がにやける。
しかし、この時大人しく佐助に見つかっていれば、もしくは巴殿のあの眼差しを理解していれば、
あのような大事にはならなかったと後悔をするのは、それから一日経ってからのことだ。