「旦那、俺いい加減大将に報告してくるよ。巴ちゃんが軍神の知り合いで、かすがが今の状況を話してんなら、こっちも事情くらい話しとかないと、余計な火種になりかねないしね。」



別れ際のかすが殿の微笑を見る限り、彼女の願いを呑み込んだらしい佐助は、それからどこか吹っ切れた様子で、お館様への報告に向かった。

やはり、忍の事は忍が最も解っているのであろう。あの日以来、佐助はいつも通りに振る舞ってはいたが、表面のその向こう、晴れない胸の内は、近しい者には察することができた程だ。

それは、俺も恐らく同じであっただろう。何せ、巴殿はあの時から話はおろか、我々の前で目を覚ましてもいないのだから。



「何かちょっとスッキリしてたかい?あんたの忍。」

「…そうやもしれませぬ。」



佐助が巴殿を、某が彼女の荷物を抱えて躑躅ヶ館に戻ってから、早二日。そして、佐助に運ばれている間に意識を手放してしまったらしい巴殿が眠り続けてからも、二日目だ。

手当ては戻って直ぐに済み、麻痺毒も一日あれば充分抜ける程度だと佐助は言っていた。しかし巴殿は、微熱を持ったまま目を覚まさない。
いや、正確には二度は目を覚ましていたようなのだ。一度は、水差しの水が減っていたので恐らく夜半に。二度目は、夕刻に女中が廊下で厠の場所を聞かれたとのことで、慌てて某に知らせてはくれたのだが、駆けつけた時には既に用を足して戻ってきたところだったのか、行き倒れるように布団に入る寸前で伏し、再び深い眠り落ちていた。

そうして今日も今日とて暇を見つけては、彼女の様子を見ようと水桶と手拭いを用意して、彼女の部屋に向かっていたのだ。

そこで突然現れた前田慶次殿、新たにやってきたかすが殿。二方が話す真実に、我々は少なからず動揺していたが、胸の内ではすとんとすっきり合点いった。

浚われたことから始まって、波乱万丈の旅路、命懸けの渡航。そして、やっとのことで辿り着いた筈の日ノ本では、まるで存在そのものを拒絶されるような、不可思議で理解のできない仕打ちを受け──それでも諦めることを選べずに、日ノ本中を探し回っていた少女。それが、我々が出会った巴殿だった。

全てが繋がっていく。何より不思議で仕方がなかった、佐助が巴殿を忘れてしまっていたあの事象は、同じ忍の立場であるかすが殿の話で理由が付けられた。巴殿は知っていたのだ。相手が─忍の者が自分を忘れることで、どれだけ自身が疑われるかを。

政宗殿は、この事を知って、我々にあの言葉を発したのだろう。巴殿を疑いたいのなら好きなだけ疑えばいい、そうすれば害も与えないし、関わりすら持たない、と。
今まで散々存在を疑われ、その度に不本意な迷惑の種を蒔いてしまったこともあるのかもしれない。短い間なからも理解した彼女の性格を考えれば、政宗殿の言う通り、自身の経験を加味して、迷惑のかかりそうな関わりは減らそうと努力するだろう。

─巴殿が何を言おうと、潔白が真実であろうと、相手の記憶に彼女はいない。

それは何と残酷で、救いようのないことだろうか。



「……しかし、佐助は忘れてしまったというのに、何故某は巴殿を覚えていられたのでござろうか。」

「うーん、それはさ、かすがちゃんも言ってたけど、短い間に何度も何度も思い出すようにすれば、完全に忘れる事は避けられるみたいなんだ。それこそ、一日足りとも思い出さない日がなければね。…ってことは、幸村は毎日巴のことを考えてたってことかい?それってもしや…恋、」

「なっななな何を申されるか!!!慶次殿はいつもそうして色事にこじつけようとっ…!!!」

「違うのかい?恋に時間は関係ないぜ!」

「違いまする!!!そ、某はただ、巴殿が作られるぷりん大福を待ち望んでいただけで…!!」

「あー、そっちかぁ。でも、大福も巴の内ってね。巴の作る大福に惚れたんなら、巴自身に惚れる可能性もあるわけだな!」

「ど、どうしてそうなるのでござるか!!?極論でござる!!!」

「いやー実際、女の子って甘味みたいだよ!柔らかくて、甘くてさ…」

「破廉恥いぃい!!!!」



何ゆえ慶次殿はいつもいつも、こう、は、破廉恥なことをっ…!!!

表情を緩めながら動く、その妙な身振り手振りに堪えきれず、某が耳を塞いで俯くと、焦ったように肩を揺すられた。慶次殿は謝っては下さるが、この手の話については一切反省されぬのだ…!今日はそう簡単には絆されぬぞ!!

と、話が逸れに逸れ、本題を忘れてどうでもよい所に意地を張っていたことに気付くのは、間もなく慶次殿が力ずくで某の手を耳から引き剥がした後だった。



「幸村!巴が起きた!!」

「は…、」



一瞬、何を言われたのか分からぬままに、視線は無意識の内に告げられた名前の主に移る。

微睡みの無表情が浮かぶその中で、その眼は確かに開いていた。薄く、しかしまごうことなく瞼を持ち上げ、彼女は天井を見つめていたのだ。



「巴殿!!」

「……さ、なだ、さん…。」

「巴、大丈夫かい?起きれるか?」

「あれ……慶次、さん…だ…。」



ぼんやりと目だけを慶次殿に向けた巴殿は、夢…?と小さく呟いて、再び目を閉じかける。慌てて、夢ではございませぬ!とそれを阻止してしっかり視線を合わせれば、定まりきらずにいた焦点が、自身を見つめてぴたりと止まった。



「巴殿、御気分は如何でござろうか。優れぬようなら直ぐに医者をお呼びいたしまする。無理をせずに仰って下され。」

「いえ…特に、気分は…大丈夫、です…けど、…」

「けれど?」

「此処は、どこでしたでしょう、か。」

「此処は、某がお仕えしております師匠・武田信玄公が住まい、躑躅ヶ館でござる。あの後、巴殿は二日も眠り続けておられたのです。…それもこれも、某が巴殿との約束を破ってしまったが為に…!!っ申し訳ございませぬううぅう!!!」



積もりに積もった懺悔の叫びに、巴殿は目を見開いたようだった。言葉を紡ぐと同時に畳に額を打ちつけたので、はっきりとは見ていなかったが…呆れられたであろうか、怒っているだろうか。いや、呆れられて当然、怒りをぶつけて下さって構わない。全てが全て、某が悪かったのだから。



「すみませんでした。」



しかし、返った言葉はどちらでもなかった。いやに近くで聞こえた声に顔を上げると、そこには某に負けず劣らず、ぺったりと額を敷き布団に埋めた、巴殿の頭が。



「なっ…!と、巴殿が謝ることなど何もございませぬ!!頭を上げて下され!」

「あたしがあの時折れずに、大福をお渡ししなければ何も起こりませんでした。元はと言えば、奥州でお会いした時から、猿飛さんに疑われていることは分かっていたのに、此処に来ることを約束をしてしまった、あたしの軽はずみな行動が全ての元凶です。だから、謝らせて下さい。どうか、謝らないで下さい。あたしは真田さんのせいだなんて、全然思ったいませんから。」



ひれ伏したまま一息で言い切った彼女の声は、一瞬前のぼんやりとしたたどたどしさが跡形もなく消え、ひやりとするほど冷静だった。二日前のあの時より、ずっと。

慶次殿に全てを聞いた今だから解る。彼女の謝罪の真意。全てを己が責任とする頑なな加害意識。


嗚呼……彼女は、恐らく…



「…巴は相変わらずだなあ。」

「お久しぶりです、慶次さん。まさか真田さんともお知り合いだなんてびっくりしました。」

「俺はまさか巴が武田で倒れてるなんて思わなかったからびっくりだよ。」

「ご心配おかけしました。」



一拍の無言の後、やっと顔を上げた彼女は、説明も無しに慶次殿が此処に居る状況を把握したらしい。いくらか柔らかくなる声も、会話をする表情も、僅かな差ながら慶次殿への信頼と親愛を察することができた。

…俺と彼女の関係は、只の職人と客だ。会話の数とて数えられる程しかない。疑心を根付かせてもおかしくないこともした。自身と慶次殿を比べるのは間違っている。…間違っているとは、分かってはいるが…、






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